皆様、おはようございます!
新月明けの2月の朝を迎えました。
ようこそ、うつつワールドへ。
光陰矢のごとし。しかし、失ってはいけないものがある。桜水現実です(^^)
本日の一枚はこちらです。
宝を守る
私ごとになりますが、ガスの給湯器が寿命を迎え、
床暖房も効かず、暖房はアレルギーで使えず、
しかもお湯が出ないので「銭湯通い」と言う数日を過ごしました(笑)
今、実は給湯器の交換にきて頂いている横で、このブログを更新しています。
最初は、この寒空のなか、銭湯なんて身体が帰り道で冷えてしまう、と思いました。
でもすごいのです。
銭湯の馬力たるや、そんじょそこらの家庭用とは違う。
あたたまり方が半端ないのです。
昨日、銭湯を出て真っ暗な空の下、濡れた髪を拭きながらの帰り道、ふと心に浮かびました。
あー、幸せだ。
宝とは何でしょうか?
私たちは便利な世の中になって、何か本当の意味の宝を忘れてしまってはいないでしょうか。
銭湯で「こんばんは」「おやすみなさい」と声をかけあうご近所さんたち。
テレビかと思うくらい、嘘みたいに居眠りをしている番台のおばあちゃん。
「ご飯はもう食べてきたの?」とか
「風邪はひいてないの?」とか。
お風呂に浸かりながら、会話をするおばあちゃん達。
かつて、社交場だったはずの銭湯が時代の流れとともに失われつつあります。
宝とは、それを思うだけで、
あなたの心に勇気が出たり、心が温かくなるものではないでしょうか。
そして、何よりもそれと寄り添うだけで、暗い夜空の下で、小銭しか持ってなくても、髪が濡れていても、
心が温かく、幸せを感じられるもの。
補助カードの光の女王が、その身を逆位置にして言います。
光にもいろいろあるように見える。
だけど本物は一つだけ、と。
イミテーションの光に騙されることなく、
本物の光を光としなさい、と。
光とは、常にあなたを通して放たれるパワーであり、
誰の力を借りるものではないと思います。
光とは、ごくごく自然なものであり、ギラギラとするのは、まがいものの愛。
自分の心の奥から出てくる愛と感謝の心が光になる時、それにはエゴはありません。
宝とは光そのものであり、きっとさりげないものなのではないか、と思うのです。
闇があるから、光があると言います。
それも一理です。
でも、私は光は光のままで光であると思っています。
わざわざ闇を意識する必要もなく、不安や恐れを感じることなく、純粋無垢に、
楽しいことは楽しいのだと。
笑うかどには、福が来るのだと。
様々な事象の理由を考える必要はない、と。
素っ裸で、おしゃべりを続けるおばあちゃん達を見ながら、そう思いました。
一日一日が、明るい光に包まれていれば、
声をかける一言一言に笑顔があれば、
もうそれは、あなたが難しいことを語らなくても、
あなたの内側から溢れ出す光なのだと思うのです。
あなたがやってみたいこと。
あなたの人生の目的や願い。
それらは、すべてそういう逐一の光の上に、
成り立っていくのだと思います。
そうでないと、土台のない家と同じ。
銭湯はいたるところに光がありました。
それぞれの人が放つ光は、その場所を丸ごと浄化していました。
本当は、かくあるべきであり、
それだけでいいのだと思います。
読んで下さって、ありがとうございます。
うつつ