ヒプノセラピー体験談 (本格版)その3


そんなこんなで、過去世(オランダかどっか)を旅し、現世の小学校にも行き、

泣いたり、怒ったりしながら、過去の自分と話をし、

へとへとになってきたころ、セラピーはいよいよクライマックス!


最後に、自分の捨てたいものを全部引き取って持ってってくれる人をイメージして、って言われるのであるが、人ぞれぞれ、そのイメージが違うらしい。

女神だったり、天使だったり・・・・


私の元に現れたのは・・・なんとっ!


なが~いひきずるような白ひげを生やしたおじいちゃんで、

これまたなが~い白髪を一つに束ねて

白いなが~い服を着て、手には琥珀色の杖を持っていて、

ふぉっふぉっと、優しく笑っていた。


正直、えー!ちょっとぉー。誰よー!と思った。

私はてっきり、洋物(天使とか女神とか妖精とか)が登場すると思ったのだ。

こてこての純アジア風であった。

でも、何だかあまりにもアジアーンに、にこやかに笑うので、こちらまで気持ちがほっこりする。


「何か聞きたいことはないですか?なんでもこたえてくれるよ」と、ささやく声(By セラピストさん)


「私はどうしてこんなに弱くなってしまったのですか?」


とっさに出たこの質問に、自分でも腰を抜かすぐらいびっくりした。

私は年々、強くなっていってると絶対的に思っていたからだ。

小学校より、中学校、高校より、大学、社会人、20代より30代、30代より40代。

自分で結論を導いて、自分で決断できるようになっている。

ちゃんと自分一人ぐらい養える力もある。

しかも、こんな大酒のみの私を!だ。


その老人と言うか仙人と言うか、彼は優しく言った。

「強いも弱いもない」

「自分を信じて、流れに逆らわず、流れに乗ること。それから、楽しく希望を持って夢を追うこと」


人生に強いも弱いもない。


そこでセラピーは終了した。


ここからはセラピー後に考えたことだ。


家族が一緒に居たいと願うことに逆らって、私は家族と離れて暮らす生き方を選んだ。

きっとこれからもそうなると思う。

それは、私の「強さ」だと思い込んできた。


でも、違ったのかもしれない。

私はそのせいで、「罪悪感」をいつも持っていて、

自分のやりたいことのために誰かに犠牲を強いたことを

ある意味「弱さ」とも思っていたのかもしれない。それこそ、潜在意識のどこかで。

我慢出来ることが「強い」ことだと勘違いしていたのかもしれない。


哀しいとか嬉しいとか、良いとか悪いとか、白や黒、怒りや喜び。

それらは相反する感情に見えてそうではない。

真反対のものではなく、実は心の中で寄り添うようにして共に在るものではないかと思う。

だからこそ、人は生きていけるのではないか。

その二つが溶け合う領域があるからこそ、人は前に進めるのだと思う。

だから、感情に優劣、善悪はない。


どちらも同じくらい大切で、どちらもなくてはならないものだ。

だから自分を強いとか弱いとか限定することなく、

正しいとか正しくないとかを測ることなく

心のありのままをまるごと受け入れて生きていくことが、

きっと「弱いも強いもない」領域だ。


ヒプノセラピーでは、結局自分で自問自答をしているようなものだ。

だから、いつも答えは自分の中にある。

自分の中にいる神様が知っている。


希望をもって、自分を信じて、夢を追おう。


嘘か真かわからない、長い長い心のなかの旅を終えた後、そう思えた自分だけは真だと思う。

少なくとも・・・。



桜水現実のサクラサク-花