今日も暑い・・・。かんかん照りだ。


不思議なことだが、かんかん照りの日に限って、雨の日の出来事を思い出すことがある。

きっと、さえぎるもののない世の中が少しだけ逃げ場なく感じるからだと思う。


仕事でシアトルに行ったとき、出くわした光景がある。

3年ぐらい前の話だ。


到着早々、現地の友人とご飯を食べようということになり、

彼女が住むBallardsと言うダウンタウンから少し離れたところまで行くことになっていた。


シアトルはもう初冬と言う寒さだった。

ホテルを出たのは、6時半だったけど、もう真っ暗で、おまけにこの街名物の大粒の雨が降っていた。


いつ降られてもおかしくないから、逆にあちらの人は傘をささない。

だから多くの人が少しの雨なら濡れて歩くか、フード付のレインコートを日頃から持っている。


バス停を探すのに手間取って、お目当てのバス停に着いたときには、傘は差していたけれど、すっかり体が冷え切っていた。


そのカップルは、バス停の傍に立っていて、そこには雨よけもなく、フードも被っておらず、二人はずぶぬれだった。

数あるカップルの中で、なぜその二人に目が行ったかというと、あまりに二人がお似合いだったからだ。

決して美男美女ではなく、普通なんだけど、服装、雰囲気があまりにもそっくりで、

顔立ちもどこか似ていて、しかもほかにない独特の雰囲気があった。


とにかく、そのまま舞台に出ても通用するようなアートなカップルと言うか・・・・

あ、格好は本当に本当に個性的なのに、ある種、ものすごくクラッシックだったのだ。


二人は見詰め合っていたが、そのうち無言でどちらともなく、抱き合った。

それも女性が彼の胸に体を寄せるような感じで、彼は彼女を包みこむみたいな・・・。

そして、彼女は無表情のまま・・・泣いていた。


見惚れてしまった・・・・。

追い討ちをかけるようにまた雨がぽつぽつ降ってきて、映画のようだった。


はっきり言って、そんな光景アメリカにはざらだ。

なんてったって、恋愛万歳至上主義の方々の集まりなので、公衆の面前で、

チュッ、チュッ、チュッ、チュッ、やりやがったり、ハグハグハグハグしやがる。


でも何か違ったのよね~。悲しい光景だった。


やがて、バスが来て、私は乗ったけれど、彼女はチラっと見ただけで乗らなかった。

彼女が乗れるのは何台目のバスだろうか。


あのこちらに伝わってくる痛々しさは一体なんだったのだろう、と今でも時々考える。

恋なんて、自分が渦中に居るときには、がけっぷちのような気が絶えずしているもんである。

次にまた良い人現れるよ、なんて気休めはまったく通用していなかった。

次第に、そうかもしれない、なんて諦めが良くなって来たのは、それを繰り返してからのこと。

新しい恋に、この恋もそう「特別」でもないかもしれないという疑いを持ち始めてからだ。


彼らの恋には、まだそんな疑いはかけらもなかった。


ずいぶんずいぶん古い歌だが、松本伊代ちゃんが「サヨナラは私のために」と言う歌を歌っている。

初のデートで家になかなか帰れなかったほど、好きあっていた二人に別れが来たときの歌だ。


伊代ちゃんは、「サヨナラは私のために、いつかはあなたのために」と歌っている。


彼らはあれからどうしたのだろうか。

彼女はバスに乗れただろうか。

本当に時間がそこだけフリーズしたみたいに、二人は動かなかった。

時間の流れを雨だけがかろうじてあらわしているみたいに。


なんだか切ないような、泣きたくなるような、

それでいて微笑みたくなるような、見守っていたいようなそんな不思議な光景。


見てるときは寒くて辛かったはずなのに、今はどこか甘い温かみを帯びているそんな光景。


今日のかんかん照りの日に、淋しい雨の日を思う不思議さと似ているかもしれない。


ちなみに、伊代ちゃんは、さよならを言った理由を

「心から嘘ついたの、それも自分に」と歌っている。


くぅ~、いい歌である。



桜水現実のサクラサク-シアトル