人は守りたいものに向かって嘘をつく

これは、江國香織の小説に出てきた言葉だ。
詳細は忘れたが、主人公は女性。
夫のことが好きで好きでたまらない。
だけど、若い男と浮気してしまう。
好き過ぎて、バランスがとれないからだ。
好き過ぎて不安になり、浮気をして、また不安になる。
夫は気がつかない。
浮気相手は彼女に夫がいることをもちろん知っている。
浮気相手は、そのうち(確か)離婚して自分と付き合うことを望むようになる。
その時に言うのだ。
「だめよ。彼を愛しているから」
じゃなんで浮気をするのか?と。君は夫に嘘をついてる、と。
その時に彼女が言うセリフ。
「嘘は守りたいものに向かってつくものなの」

彼女の言い分の正しさの是非は置いといて…

人はいろんな嘘をつく。
小さな嘘から大きな嘘。
その髪型にあってるよ、的な嘘から、癌の告知の有無。
相手の心を傷つけたくない時、嘘をつく。

反面、自分が人より大切な人は自分に向かって嘘をつく。
自分を飾り立てて、よくみせようとしたり。
虚飾を重ねて、自分を大きくみせようとしたり。
その場を逃れるために、しのぐためだけに。

でも共通して言えるのは、
嘘の重さを感じるのは、結局巡り巡って、嘘をついた本人だ。
当然と言えば当然だけど。

辻褄という言葉がある。
辻褄が合わなくなったとき、
またその間を嘘で埋めるか、それとも勇気をもって、真実で洗い流して限りなく元に戻す努力をするか、
その二つに一つだと思う。
決して元通りにはならないけれど、洗い流した後に誠意が残るか否かは、どちらに向かってついた嘘かで、
明暗を分けると思う。

嘘は本当に重い。

相手を思ってつく嘘は、
相手と共にその重責を負うことを愛とする場合もある。
でも自分だけを思ってつく嘘は、
何も美しいものは生み出さない。
自分と周囲を傷つけるだけだと思う。

嘘なしの人生は不可能だけど
せめて嘘をつくならば
自分ではなく、誰かを守るためにつきたい
そう思う。

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