この世界は、本当に絶望に満ちているから
心に青空を持って生きていくのは、とても大変だ。

自分の存在自体が希望であると気がつかないと
いつまでも、ずっと絶望の淵にたたずむことになってしまう。

時々思うんだけれど

おぎゃあと生まれた瞬間から、
もう「死」へ歩き始めるのだなら
考えてみたら、絶望に向かって歩いていくようなものだと思う。

でも歩いている途中で
温かいものや、柔らかいものに触れて
いつしか真っ暗な一直線だった道が幅広くなって
周囲を見渡せば、花が咲いていたり、ちょうちょが飛んでたり
探ってみたい獣道があったり
下ばっかり見てたら気がつかないけれど
上を見上げたら、虹を発見することもあるのだ。

冷たいものや固いものに触れると
また道が急に狭くなって
真っ暗な道しか見えなくなる

まるで失神するときみたいに
目の前が真っ暗になるのは、一瞬。
星さえ見えなくなるから、もう大変だ。

それまで、道の幅を広げてきた途方もない時間が
あっと言う間に消え去ってしまう。
広げるのには時間がかかり、閉じてしまうのは一瞬で済んでしまう。

人生はなんとなくそんな風に暗闇と明るみの連続で出来ているから

疲れる・・・・。
ほんっとうに疲れる・・・。
へとへとに疲れる。
自分を抱えて生きていくのは疲れる。

だけど、やっぱり呼吸し続けるように
歩くのを止めてはいけないと思う。
きっとたどり着く果てに何があるのか、
それは最期しかわからないんだろうと思うけれど

きっと、ちゃんとキャンディのように甘い記憶や
墨のように苦い記憶も
なにがいいとか悪いとかではなく、
全て平等に洗い流してくれる何かがあるのだと信じたい。

おぎゃあ、と生まれて
いま、ここで授かっているものは
愛を知るための愛のムチなのかなあ
と思う今日この頃。

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