地震、また少し起こってきてますねー。


朝、母親からすかさず電話があって、「地震は大丈夫だった?」と聞かれました。


母は高齢ですし、遠くに居るので、いまひとつ、地震の緊迫感や、節電等に対しての切迫感がないのですが、

ただ単純に、私の「無事」と「結婚」に対してだけは、切迫してくれているのです。


すごく有難いことに・・・。


家族って有難いな、と思いますよね。


親も有難いけれど、兄弟も超有難いです。


一人っ子の方の気持ちはわかりませんが、兄弟がいてよかったと思います。

何かといろいろと助け合えて、心強いのです。



でも・・・・

矛盾するようですが、それでも人はやはり究極は「一人だ」と感じています。


どうしようもない孤独感は、誰もが抱えて生きていくものだ、と。


同時に、誰もが分かり合えないからこそ、分かり合おうと努力し合えるのだ、と。


そういう意味では、冷たいように聞こえてしまうと思うのですが、


他人への「諦め」と「希望」の両方が、バランスよくあってこそ、うまく付き合えるし、


けっして悲観的ではなく、「諦め」によって救われることもすごく多いです。

共感できることも、共感できないことも、全ては「お互い様」だから、


決して共感を得なかったことで他人を恨んではいけないし、過剰に期待してはいけない。


「諦め」はある意味、自分にとっての「救い」だし、


相手に対しての「許し」だと思っています。(自己中心的な言い方をすると)


反対から言うと、自分も許してもらってるし。

共感し合えたり、自分がかけて欲しい言葉をその時にかけてもらえる、とか、


かけてあげられる、と言うのは、どうしようもないタイミングの問題、と言うのもあるのですよね。


こちらが切羽つまる思いで、聞いて欲しいときに、


「ふ~ん。へぇー。そうなんだ。ところでさ、このパスタ美味しいねー」


なーんて言われると・・・・んもぉ・・・・・


ガックリなんですよ。


ガックリ・・・・・


もう絶対、こいつには何も話すもんかぁぁぁぁぁぁ (心の叫び)


でも、ま、そういうことはお互い様なんでしょうね・・・。


私も絶対言ってる。


「へぇー。そうなんだ。あ、ちょっとトイレ行って来るね」とか、絶対どこかで。


それも含めた人と人との相性だと思うし、神様からの学習計画なんだろうな、と思います。


ちなみに、私決して、宗教家ではございません汗

皆、生きていくことが日に日に歳ととるごとにハードになっていくのは、確かだもんね。

ま、そんなしちめんどうくさいことを考えているから、結婚出来ないんだろうなー。

そもそも、こんなうんちくを恋愛対象男に話したら、間違いなく、ドン引きされますねー(笑)


「おっまえさ、だったら、一人で生きてけよー」みたいな。


でも、だからと言って、「うん、わかるわかる」って言う男も嫌やなー。


私、結構、めんどくさい。(今気がついた目


ま、恋愛は、別モードってことでっ!!べーっだ!


これもまた矛盾しているようですが、諦めや希望を感じれば感じるほど、


人生の喜びと悲しみを深く感じとれるし、濃厚な時間を過ごしていけるのも確かで、


それによって、幸せを感じているのも、不思議なことに、やはり確かなのです。

生きてる実感、と言うのかな。


要するに、「ひとり」と「皆」は、「諦め」と「希望」みたいに、コインの裏と表なのでしょうね。



でもそんな「ひとり」を抱えたところの、一番近くに寄り添ってくれるのが、家族なのだろうと思います。


と、朝、母の電話と地震とのコンビネーションで、アラフォー女子は感じました。