来週の月曜日で、震災からちょうど一ヶ月である。
あまりのショックにご飯も喉を通らなかった数日間。
東京のど真ん中、それも道のど真ん中で、揺れを感じたわけだけれど、
被災者の方達には叱られるかもしれいないが、
私は私で本当に死ぬかと思うぐらい怖かった。
道に立っていられなくて、
土の中を大きな蛇が移動しているような感覚を受けた。
それなのに、頭の隅っこではものすごく冷静で、
隣の公園みたいなところから、鳥が一斉に飛び立って行くのをみて、
あー、鳥は飛べるからいいな、
と思い、
わんわんと揺れる大地に、「何をそんなに怒ってるの?」と思って泣きそうだった。
ビルもおもちゃみたいにぐわんぐわん揺れていて、本気で「倒壊する!」と思った。
長ーく感じた。
その後、訪問先のビルの9階に上ったら、
水道管は破裂しているし、壁の中身は飛び出しているし、
自然が怒ってる前では、人はただじっと耐えるしかないんだな、と。
なんて無力なんだろう、と思いながら、何度も何度も繰り返す余震を迎えた。
でも、津波の映像はそんなことを私に考えさせる間も無いほど、
衝撃的で、目を見開いたまま、泣いてしまった。
何度も何度も泣いた。
それならば、テレビを消せばいいのに、なぜか「見なくては」と思ったのだ。
自宅待機になった数日間は、ずっと、そんな感じだった。
それからは原発と言う目に見えないものに、疑問と不安と、現地にいる人達のことと・・・。
こういうことを言うと、すごく不謹慎なことだと思うけれど、
敢えて、思ったことを書いておこうと思う。
ある政治家さんが、「天罰だ」と言ってバッシング受けてたし、
あの言い方はない、と思ったけれど、
ある意味、人類全体への警鐘であるかもしれないと実は思う。
戦争のときは、二つの原爆を受けて、
日本は戦争の悲惨さを体験し、戦争について、もう一度世界に考えさせる役割を担い、
(それが出来てるかどうかは別にして)
今回は、こんな風に悲惨な天災を受けて、
人類にもう一度自然と科学の進歩のあり方について考えさせ、
日本と言う国は、もしかしたらそういう国かもしれない、と思ったのだ。
世界に向けて発信する為に深い深い傷を負う。
これでいいのか、と世界に問い続けるためにある意味、
ものすごい尊い犠牲になっているような
気が、どうしてもする。
なんで日本なんだ、とすごく思うけれど。
(それは本当に不謹慎かもしれないけれど)
要するに、
原爆もそうだし、今回の震災もそうだけれど、
亡くなってしまわれた命を決して無駄にしてはいけないと思うのです。
だから少しずつだけど、変わり始めていることもある。
ごくごく小さなことだけれど、節電をしたことで、
前がいかに無駄に明るかったかもよくわかった。
今回の震災は、皆が心に深い傷を負ったのだ。
本当に大切なこと。
それを神様に「考えなさい」と言われた気がしてならないのです。
だから、ここから私も変わって行きたいと思う。
自然は恐ろしいけれど、優しい。