梢の演技が認められ、段々と応援してくれる人が増えていった。

  テレビのニュースでは、様々な知識人達やベテランの芸能リポーターが、梢を応援したいとコメントを述べていた。

  ずっとテレビや映画で梢を見てきた全国のファンから、電話や手紙が各テレビ局に殺到していた。

  ネットの視聴者の声には「記者会見を見て舞台を観に行きました。吉川さんに勇気をもらった気がします。」「いろんなことで傷ついてきた吉川さんは、完全に復活したと思います。これからも応援します。」「個性的な吉川さんが好きです。生身の人間として尊敬します。」「吉川さんの生き様が好きです。」「舞台を初めて観に行きました。感動しました。」というような声が沢山届いていた。

  新聞の見出しが『吉川梢舞台大成功』『カーテンコールに涙』という見出しに変わっていた。

  梢は、何か大きな見えない存在に突き動かされているような感覚さえ感じた。

「まだまだあなたは、この地球に来た役割を全て終えてはいませんよ。まだ半分ですよ。」と言われているようだった。

  オセロが全てひっくり返った瞬間だった。

  優しい陽射しに甘え、ぼんやりと過ぎていく季節のことを梢は思っていた。

  次の日、仕事のオファーが舞い込んできたため梢は事務所にいた。

  「今日は、吉川さんを説得しにきました。」

  スタッフが言った。

「何ですか?」

「CMの仕事なんですが。」

「はい。」

「一般視聴者に向けて、東京オリンピックを支えるボランティア募集のPRになります。」

 「二十代の役者やタレントさんの方がいいと思いますよ。」

「いえいえ、吉川さんには話題性がありますので。」

  スタッフが笑った。

「吉川さんは、どちらかというと逆境にめげませんよね?吉川さんの女優活動で、勇気をもらったファンは沢山いるんですよ。それと言いにくいのですが、ボランティア募集のPRなのでギャラは出ません。」

  スタッフは、梢のあの記者会見や舞台でのことも話し始め説得力があった。

  仕事は何でも引き受けると決めていた梢は、ギャラなしでCMの仕事を引き受けた。

  他の共演者は映画で梢が女医の役をやった時の役者二人で、梢は神様からのサプライズかもしれないと嬉しく思った。

「久しぶりだね。」

「おはようございます。十二年振りですね。よろしくお願いします。」

  梢は挨拶した。

  共演者二人は、記者会見のことは何も聞かないでいてくれた。

  家に帰り梢は恐る恐る包帯をとってみると、傷痕もきれいになくなって完治していた。

  結局、あれから梢は一度も自分のホロスコープを作ったことはなく、ホロスコープ通りの人生かと聞かれればわからない。

  母との関係は何も変わっていないが、防音壁にしたリビングでは満開の赤いチューリップが透明な硝子の花瓶に飾られ、雫がピアノを弾いていた。

  十一歳になった耀は、今自分の部屋で宿題をやっている。

  空になった耀のお弁当箱を洗いながら、日常の何でもないほのぼのとした安心感に包まれた梢の顔に、優しい笑みが浮かんでいた。

  雫はツインレイではないことはわかっているが、今感じる幸せが梢の全てだった。

  梢なりの着地点であり、女優人生も含め内田梢という大輪の花を咲かせることはできたような気がした。

 (色々あったけど乗り越えてきてよかった。きっとこれで良かったに違いない、今もそしてこれからも。)

 人生は、喜ばしいこともそうでないことも両方あっていい。両方味わってやればいい。そう思える心のしなやかさが梢の中に育っていた。

  家庭環境も含め、全てを許し受け入れることができた梢は大きく成長していた。もしかしたら、それが本当に手に入れたかったものなのかもしれない。

  母の理想やいろんなことが混ざりあって、元々の本質を梢自身が嫌っていたのかもしれない。     

  母の呪縛に翻弄された部分はあったが、一番自分を傷つけ、自分の良い部分を見てこなかったのは自分自身だったのかもしれない。自己否定していたのは自分だったのかもしれない。

  梢は、美しいと思える独自の美意識がちゃんと自分の中に育っていたことが誇りだった。だから、母とは折り合いが悪いことは当然だったことも腑に落ちた。

  人生に必要なものは全て自分の中にあり、何もなかったわけではなかった。

  あの日、梢が夕焼けを見ながら祈ったことは全て叶っていた。

  自信と安心感を手に入れたのだから・・・。

  普通に結婚して子供を生んで幸せな家庭を作るということが女性にとって一番幸せだと言う人もいるが、時代と共に人間の"幸せ"は多様化していくのだ。一過性の流行りすたりとかではなく、もっと多様性があり、個人の個性が煌めくしっくりくる生き方や環境はそれぞれ違う。違っているのが当然なのだから、世間に惑わされてはいけない。

  梢は枠にとらわれず歪な自分の個性のまま、オリジナリティのある女優、梢という人間の人生を歩んでいきたいと思った。

  雫と耀が同意してくれるかわからないが、今夜は屋根に登り三人で星空を眺めたくなった。



  完


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  どんな時も自分を信じようと、意識を切り替えた梢は自分を奮い立たせた。

  ずっと自己否定し自分を傷つけてきたのは、自分自身だったのかもしれない。

  昔にこれと似た感覚を経験したことを思い出し、梢は自宅に帰ると机の引き出しを開け、昔自分なりに作成した新月のアファメーションを取り出し読んでみた。

  アファメーションとは、簡単に言うと新月に自分の願いを紙に書くというものだ。

『私にはずっと満たされない思いがありました。その思いをずっと辿っていくと、両親との関係が影響していることに気づきました。自分の真面目な雰囲気もあまり好きになれません。

  神よ、私が満たされるようにしてください。今の私が無理をせず、自分らしさを保ちながらも成功できますように導いてください。

 自分を否定したり責める癖が必要以上に出てきたら、その度に取り除いていつの間にか気持ちが満たされていますように。もしそのために必要のない思い込みがあるのなら、その思い込みが出る度に取り除いてください!

  神よ、何よりも私が自分自身を大好きになれるようにあらゆるサポートをしてください。

  自信がいつの間にか持てるように環境を整えてください。その上でありのままの自分を生かしながらも、もっと魅力的にする方法があるのなら私に教えてください。そのために、私をサポートしてくれる人がいるのなら出会わせてください。もっと良い方法があるのならそう導いてください。

  そして、本音を上手に伝えられるコミュニケーションが身につくようにしてください。

  私の最終的な目標は、自分を受け入れ自分を大好きになって心から幸せを感じることのような気がします。

  いずれにせよ、今私が満たされていない部分がいつの間にか解消していくように何とかしてください!』

  母との葛藤、殺害、そして自分を信じてくれる人間と足を引っ張る人間、いろんな人間関係を知り梢が辿り着いた結論は他者承認はいらないということだった。勿論母から認めてもらうために自分の本音を無視することも、梢にとってもういらないものになっていた。

  子供の頃から、周りの目を気にして自己表現できず流され反論できなかったことをアホらしいと思ったら、今までの恐怖や我慢してきたことが梢の中で怒りに変わっていった。

(自分が成し遂げたい、譲れないプライドとは何なのだろうか?)そのことだけを頭に入れておけば、いい作品ができ自分も癒されるのではないかと梢は考えた。

  梢はいい作品を作ることに集中すること、そして女優として返り咲くことが自分のプライドだと思ったら、周りの嫌がらせを気にしている時間がもったいないとさえ思った。

  揺らいでいたメンタルが安定を取り戻し、梢は復活した。

  いつしか、梢は子供の頃の満たされなかったものを自分に与えることを忘れていた。だから、大人になった自分が自分自身を育て満たしてあげなければならない。何が何でも、今回の舞台は成功させなければならなかった。

  どこかの新聞が意地悪く『舞台降板』と書いていたが、アホらしいと梢は思った。

  何もない自分や傷ついているのに従姉妹と比べてしまう自分、梢は母の呪縛を前提に自分を見ていたので、母の理想になるために奮闘してきたが梢の元々の本質は違っていた。だから、母と折り合いが悪く家を飛び出した。それは、母の呪縛から自分を解き放つための本能だったのかもしれない。

  梢は自分を勇敢な戦士だとも思うし、心を癒すヒーラーでもあるように思っていた。

  見た目が自信家に見られるけど、木を見て森を見ずなところがあるけど、自分の可能性を無意識に信じてるけど、メンタル弱いけど、ボロボロに傷ついたけど梢は一度破壊し再生した。完全に復活したのだった。

  表面上は傷ついているかもしれないが、梢の魂の奥底にある繊細で歪な個性は誰にも傷をつけることはできなかった。

  本当の意味で真の部分は誰にも傷つけることはできない、迎合しない清らかな部分を梢は保っていた。

  幼少の頃から敵か味方かわからない様々な意図が飛びかっている人間関係の中で、梢はいつも試行錯誤してきた。

  本当は梢は華やかできれいで憧れられる胡蝶蘭みたいな存在になりたかったが、自分の本質は、もっと親近感のあるチューリップだったのかもしれないと梢は思った。

  この舞台が終わったら、梢は正式に内田と入籍しようと考えていた。

  しかし、予期せぬ出来事が起こった。

  『吉川梢舞台で負傷、降板か?』という大袈裟なニュースが流れたせいもあるだろうが、もうすぐ千秋楽を迎えるという一週間前、梢見たさに舞台が一週間延長になったのだ。

  捨てる神ありなら拾う神ありで、何がどう展開するのかわからないのがこの業界だった。



  三月 

  千秋楽を無事終えた梢は、カーテンコールでは感無量で目に涙が滲んでいた。緊張から解き放された瞬間だった。

  酷い嫌がらせのある中、稽古も映画以上に厳しくナマモノの怖さを初めて知った梢は、メンタルを保つことに必死でひとまわり大きくなっていた。

  梢は、打ち上げには参加せずそのまま事務所に戻った。

  いつから降っていたのだろうか、外は雪が降っていた。舞台で汗をかいた梢の体が温度差を感じ、一瞬ブルッと震えた。

  マネージャーが温めてくれたのか、車内に入ると温室のような暖かさで梢の体はジワーと痺れたようになり、外気で冷えた体がリラックスした。

  事務所に着くと、梢は千秋楽を観客席で観ていた社長に聞いてみた。

「お疲れ様でした。舞台どうでしたか?」

「よく頑張ったな。感動したよ。」

「本当ですか?」

「本当だよ。やってよかっただろう?」

「はい。初日はお客さんの視線が怖かったけど、最後の方はなんか優しく感じました。メンタルも強くなりました。」

  梢はいい顔をしていた。

「次の仕事はまだ入ってないから、ゆっくり焦らずやっていこうな。腕と足のこともあるからな。」

「はい。あの、私結婚してもいいですか?」

「いいよ。仕事が来たらのんびり出来なくなるから、今の内にすませておいた方がいいからな。」

  あっさり社長は言った。

  三日後、内田と梢は婚姻届けを出しに市役所に向かった。そして、梢は都内の自宅から内田の鎌倉へ引っ越し本名が内田梢になった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  通し稽古   

  立ち稽古が終わり、今日から本格的に通し稽古に入った。開演二週間を切っていた。

  通し稽古というのは、実際に衣装を着て最初から中断しないで本番通りに進めていくものでドレスリハーサルとも言う。

  梢は冷たい風から身を守るように肩をすぼめ稽古場に入った。

  素足にパジャマ姿の梢に、いよいよ出番が近づいてきた。

  主婦の梢が狂乱し、夫を殺してしまう寝室でのシーンで見せ場だった。

  吊るしてあるシャンデリアのワイヤーを誰かが切ったのだろう、梢をめがけて上から大きなシャンデリアが落ちてきて、床にシャンデリアの硝子の破片が四散した。

  梢の体スレスレのところに落ち顔に怪我はなかったが、硝子の破片が右腕と足に棘のように突き刺さり負傷してしまった。

  夫役の俳優は斜め後方にいたので、最初から舞台中央の梢を狙ってのことだった。

「すみません。大丈夫ですか?」

  スタッフが慌てて、右腕と足から血を流している梢に駆け寄ってきた。

「大丈夫です。」

  梢は、平然を装っていたが足がガクガク震えうつ向いていた。

(多分、あの駐車場で会った女優だろう。犯人は誰でもいい。私の復帰を望まない人間がいてもおかしくないのだから。)そう自分に言い聞かせた。

「三十分休憩です。」

  稽古は中断した。

「お疲れ様です。吉川です。明日の朝一で病院の予約を取ってもらいたいのですが。」

「どうした?」

「稽古中ちょっと怪我してしまったんです。スタッフには了解もらっています。」

  明日病院へ行くため、梢はマネージャーに病院の予約をお願いした。

「明日病院へ行きますので、包帯だけ巻かせて下さい。明日は遅刻して入ります。」

  梢はスタッフに言った。

  何ごともなかったかのように、また最初から通し稽古が始まった。梢は申し訳なさでいっぱいだった。

  寝室でのシーンでの梢の衣装は、パジャマの上からカーディガンを羽織って靴下を履くことに変更になった。なるべく、包帯を巻いていることを目立たなくさせるためだった。

  梢は限界に追い込まれていた。肉体だけならまだしも、精神的に体が悲鳴をあげていた。ボロボロだった。

  女優は作品で示すしかないと梢は思っていたが、不安や恐怖、舞台での主役のプレッシャーや嫌がらせなど気にしないようにしていても、嫌がらせがあると梢の意識はそれに全て乗っ取られてメンタルが大きく揺らいでしまった。

(復帰は間違っていたんじゃないか?決心したはずなのに揺らいでしまう自分は、駄目な人間だ。)自己否定でいっぱいの梢がいた。

  精神的にも体力的にもいっぱいいっぱいの梢は、昔希子から聞いたことがある人気のスピリチュアルセッションをしている方の個人セッションを受けるため、マンションの一室を訪ねた。

  その方はオーラリーディングとヒーリングというものを一緒にやってくれる方で、今の自分のオーラから様々な情報を読み整えてくれるらしいのだ。またオーラの状態は常に変化するらしいとのことだった。

「吉川です。よろしくお願いします。」

「こういうセッションは、初めてですか?」

  その方は、優しく言った。

「はい。仕事で色々ありまして。」

「そうですね。芸能界は人に見られるお仕事ですから大変ですね。」

  梢は、今現在の自分のオーラの状態を見てもらった。

「エネルギーが枯渇しているような状態ですね。」

「なんか疲れてしまって。」

「場自体は比較的きれいな場ができていますが、吉川さんのエネルギーが何故か感じられない不思議な場ですね。それは何故なのか尋ねると、気持ちは決まっているのにそれを無視しているからと返事がきました。」

「私が自分の本心を無視しているということですか?」

「はい、そうです。」

「今、吉川さんは何がやりたいですか?本当の思いは何でしょうか?本当の本当の思いは何ですか?」

「女優の仕事がしたいです。でも、自信がなくなってしまって。」

「今ヒーリングしているのですが、傷ついた吉川さんの満身創痍のハートがあらわれました。」

「心当たりあります。」

  梢は苦笑いした。

「自分の本心や気持ちを認めてしまうと、自分がより傷つくということに“恐れ”をもっていたので、まず傷ついたハートを癒しその恐れを取り除きました。ヒーリング中、今は変化の時です。ハートの声にしっかり耳を傾けましょう。望みどおりの生き方は、新しい人生に挑むことで拓けていきます。あなたは独創的で創造性があって、繊細で優美で素晴らしい感性を持っています。あなたをあなた自身がもっと好きになってあげてくださいとのメッセージです。」

「自分を好きになるって自分の心の声に耳を傾けてそれを実際に行動に移す、自分を信じるということですか?」

「そうです。吉川さんの中には、女優として輝きたいという思いがあるにもかかわらず、自分を信じられず不安になっているんじゃないですか?」

  その方は、スラスラとメッセージを伝えた。

  梢は、何故そこまでわかるのか不思議だったがその通りだった。

(自分の意識を切り替えなければいけない。新しい人生を、自分なりのやり方でやってみよう。)梢はそう思うと少し気が楽になった。

  もう梢にとっては、ネットやニュースでの批判や仕事での嫌がらせはどうでもよかった。  

  自分の中の広い部屋を綺麗に掃除して、綺麗な花を一輪飾る。そうすれば自分に自信がつく。 

  簡単に手に入れたものは簡単に失うことも、梢自身が知っていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  終幕  〜開封された手紙〜


  今日も夏の延長戦のような暑い九月だった。

  怒涛の記者会見から一ヶ月経っていた。

  やはりすぐに仕事というわけにはいかず、梢は事務所から電話が入るまでは基本自宅待機だった。

  シャワーを浴びた梢は、暑さで髪は自然に乾くだろうとそのままパソコンに向かい、自分への世間の声を検索した。梢はネットでの意見は悪戯もあり全てが本音とは思っていないが、梢への世間の反応は冷ややかなものだった。

「刑務所から出てきて復帰するなんてありえない。」

「テレビに出ないでほしい。」

「もうテレビは見ません。」

「もう年なんだから、無理じゃない?」

「保釈金いくら払ったの?」

「以前のオーラなくなったね。」

「痛々しい。」

  梢は自分が置かれている状況や世間の批判も全て覚悟だったが、顔や名前も知らないネットなどの不特定多数の意見が胸に熱い火箸をあてられたようで痛みが走った。

  それでも梢は女優の自分を見たかった。演じている間は全て辛いことを忘れられた。

  よーいスタートのカチンコがなる前の氷がピンと張ったような静寂、なった瞬間に現実とは違う空間にいるような感覚が好きで、言葉では言い表せない梢の独特な感性だった。

  徳島の優弦からラインが届いていた。

「もしもし、梢?」

「うん、久しぶりだね。元気?」

「俺は元気だよ。記者会見見たよ。」

「うん。」

「もう、気持ちは固まってるんだな。」

「うん。私はこの仕事好きだからしょうがないよね。」

  梢は嬉しそうに微笑んだ。

「元気そうでよかったよ。夏バテでもしてないかって心配したよ。女って、やっぱり強いな。」

「そうだね。もう私、人からなんて言われてもいいの。好きか嫌いか、やりたいかやりたくないかだけなのよ。人から承認されたいという欲求で自分を見失うのは嫌なのよ。」

「そうだな。まあ、俺はテレビを観てしか応援できないけどな。」

  支配人や昔梢が女医の役を務めた映画の共演者やスタッフ達からも、メールで励ましの言葉がいくつか届いていた。

  梢が主演を務めた映画から、約十年と数ヶ月が経っていた。


 

  一月中旬

  新年を迎え正月も梢は雫と耀と一緒に家でのんびりと過ごした。

  記者会見から五ヶ月経ち新年を迎えた梢に、まだ仕事はなかった。

  ある日、自宅待機の梢に主演舞台の話が舞い込んできた。

  主役である専業主婦の梢が、夫の浮気に狂乱して殺害してしまう役だった。梢も、主婦役がくるのは当たり前の年齢になっていた。

  梢が事務所へ行くと、そこには脚本家と事務所の社長とマネージャーが待っていた。

  マネージャーから渡された台本を読むと、梢のために書かれたものだというのが手にとるようにわかった。

「これ、自分に似ている気がします。」

「俺がお願いしたんだ。お前主役で脚本を書いてくれって頼んだんだ。」

  社長が言った。

「記者会見見てすぐ書いたよ。急ぎって言われたからさあ。」

  笑いをかみ殺すように脚本家が言った。

「そうなんですか?」

「社長に頼まれたんだ、絶対君を復帰させないからって。社長とは、お互い二十代の頃からの付き合いなんだよ。」

「そうだったんですか!」

「舞台は初めてだっけ?」

「初めてですが頑張ります。」

「じゃあ、受けてくれる?」

「はい、 喜んでやらせていただきます。」

「よかった!」

「ありがとうございます。」

「稽古は二ヶ月あるから体力つけといてね。」

「はい。」

「舞台はナマモノだから、リアルでお客さんの反応がわかるから面白いと思うよ。同じ台詞や動きをしていても、毎回自分の感覚もお客さんの反応も全く違うから。それが映像とは違う舞台の醍醐味だよ。舞台は昨日なかったアドリブをバンバン入れてくる役者もいるからね。お客さんと一体感を感じ、共有するんだよ。全てが貴重な時間だよね。だから、中途半端なものは見せたくないから稽古はきついけど、頑張ってついてきてほしい。絶対勉強になるから。」

「はい、頑張ります。こちらこそよろしくお願いします。」

  梢は感謝で胸がいっぱいになった。

  稽古は一ヶ月後に始まり、舞台の幕開けは三月十二日で二週間公演だった。



  稽古初日

  今にも雪が降り出しそうな寒々とした空だった。

  稽古初日は顔合わせだった。監督やスタッフ達、共演者がそれぞれ自己紹介し舞台に対する意気込みなどを話す日だ。

  今回の公演はお客さんが千人以上入る大劇場なので、顔合わせはスタッフ達も含め大勢の人がいた。

 「おはようございます。主役を務めさせていただきます吉川梢です。舞台は初めてですが精一杯頑張ります。よろしくお願いします。」

  梢は事件のことには触れなかった。

  みんなが梢を値踏みするような目つきでしげしげと見た。

  舞台の本読みが終わり立ち稽古が始まると、待ってましたと言わんばかりに梢への共演者の嫌がらせが始まった。

  ある日、梢が稽古場の近くの駐車場にとめた車から降りマネージャーと歩いていると、後方から来た黒塗りのベンツが梢達の斜め前にとまった。

  「人殺しが女優やってんじゃないわよ!」

  窓が開き、ファンデーションを塗りながら共演者の女優が一方的に言い放った。梢をチラッと見てそのまま車は走り去っていった。

  梢はこれくらいのことには動じなかった。まだこれだけでは終わらないというのが、なんとなく梢にはわかっていた。それよりも、あと一週間で通し稽古に入るプレッシャーと年齢を重ねたせいか、自分の台詞覚えが悪くなっていることに焦りを感じていた。

  梢は持っていたホッカイロを自分の頰にあてて温めた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  梢は、内田との結婚はタイミングを見計らってすることにした。もちろんアンチも沢山出てくるだろう、嫌がらせもあるだろう。

  最初は、人から甘いと言われないように人に認めてもらうために、女優としていい作品を作ることだけに集中しようと梢は思っていたが、途中でお芝居が好きだから、自分がやりたいから女優としていい作品を作ろうに変わり、他者承認をどこかで求めていた梢はいなくなっていた。

  どこでどんな生き方をしても、多かれ少なかれ必ず批判する人は出てくるものだから。

  同時に、自分の居場所耀く場所は芸能界であり、女優であるということがはっきりとわかった瞬間だった。




  八月下旬

  梢は、もうすぐ夏が終わり秋を迎える気配を感じていた。

  予定通り一週間後の今日、梢は謝罪と今後の方針を伝えるため記者会見を開いた。保釈されてから初めての公の場だった。

  梢は、腰まであった長い髪を肩の上までバッサリ切りボブヘアーになっていたが、女優のオーラは健在だった。

  会場に入ると、カメラやマイクを持った報道陣達が待ち構えていた。無数にたかれるフラッシュの中、席に向かう梢がいた。

  動揺したのか梢は床につまづき転倒しそうになったが、何事もなかったかのように席に座った。

「皆さん、今日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。今から緊急記者会見を始めさせていただきます。質問のある方は挙手をお願いします。」

  進行役は梢の事務所の専務が仕切った。挨拶が終わると無数に手が上がった。

「先程転びそうになりましたが大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。」

  優しい質問をしてからキツイ質問に入ってくるマスコミのやり方はわかっていたが、梢はとっさに愛想笑いを顔に貼り付けた。

  何年もこの仕事から遠ざかっていた梢は、カメラのフラッシュに目が乾き何度も瞬きをした。「今回の件で沢山の方にご迷惑やご心配をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。」

  一瞬会場がどよめき、無数のカメラのシャッター音と共に光線のようなフラッシュが一気に梢に押し寄せた。

「吉川さん、今回は大変なことになりましたね。今どんなお気持ちですか?ファンの方に一言メッセージをください。」

「今まで応援してくださったファンの方々には、大変申し訳なく思っています。それだけです。」

「今後は、どうされるおつもりなんでしょうか?」

「最初は、引退を考えていまして事務所に伝えました。でも、事務所の社長と話し合った結果、私はこの女優というお仕事が好きですし、今まで以上に皆さんに感動を与えられる作品を作ることが償いだと思うようになりました。それなので、今後も女優のお仕事は続けていくつもりです。ただ、自分がやったことを考えますと好きということだけでは成立しませんから、事務所と相談しながら慎重にやっていきたいと思っています。」

「以前、事務所との仲違いで移籍するという噂が出ましたが移籍されるのでしょうか?」

「移籍はありませんし、仲違いも嘘です。そういったことは一切ございません。」

「ホステスをやっていた時期があるというのは、本当ですか?」

「すぐこの仕事に恵まれたわけではなかったので、事務所のレッスンに通っている時期に経済的な理由からホステスをしていたこともありますし、このお仕事とかぶっていた時期もありその事を隠すつもりはありません。」

  梢は芝居がかった笑みを浮かべた。

「わかりました。ありがとうございます。」

「次の質問、ある方は?」

「はい。新聞配達をしていたのはなぜですか?」

「それも経済的な理由と私の家庭環境から、家を出て住み込みで働ける場所が新聞配達だったからです。」

「今回の事件に戻りますが、母親との関係はずっとうまくいってなかったということですか?」

「はい、家庭機能不全家族でした。私自身、葛藤や寂しさ、家庭への理想がいつもありました。」

「実家を十七歳で離れることに不安はありましたか?」

「もちろん不安もありましたし、それ以上に希望がありました。」

「わかりました。」

「高校は中退されたということでいいのでしょうか?」

「はい。」

  マスコミは一つのスキャンダルにかこつけ、昔のことまで葉掘り根掘りほじくり返し梢を質問攻めにした。

「今お付き合いしてる人がいるというのは、本当でしょうか?」

「はい、相手は一般人の方で息子もいます。結婚を前提にお付き合いさせていただいております。保釈当日も二人が迎えに来てくれました。これから色々とやらなければならないこともありますが、あまいと言われないようにもっと皆さんに感動を与えられる素敵な作品を作れるように、女優として地道に頑張っていきたいと思っておりますので、温かく見守ってくださると嬉しいです。」  

  梢は一気にまくしたてた。見事だった。

  カメラのシャッター音が機関銃のように激しくなった。

「お時間になりましたので、これにて記者会見を終わりたいと思います。お忙しい中ありがとうございました。」

  進行役のアナウンスが流れ、怒涛の記者会見は無事終わった。

  梢は報道陣達に深く一礼すると、足早に会場を出て事務所の車に乗り込んだ。

  全てを吐ききった梢は懐かしい興奮を感じていた。それは一人の女優のために舞台の幕があがり、スポットライトに照らされ頰が熱り胸が躍るような感覚だった。

  梢は最後まで女優だった。



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