2年くらい前から、暇ができると家系図をちょこちょこ書いてきた。


やっぱり一番知りたいのは、遡る方なので、祖父母は簡単だが曽祖父母の時代になると、もう戸籍が危うい。

その役所ごとかもしれないが、保管期間が決まっていて、手書きからパソコンに取り込んだものでも、ある年数を超えると、内容を消去してしまうというのだ。


じゃあもとの手書きのものは残ってないのか、と聞いても「ない」とのこと。


曽祖父母が戸主だった時代のものがぎりぎり取れて、その前がもう抹消されているのだが、もしその前が取れたとしても、果たして読めるかどうか・・・なぜなら曽祖父母が戸主の時代の謄本ですら、もうかな部分がカタカナの古文書チックな文章で、その頃の住所と今とでは区画も全くずれている。


でも、名前だけでも知りたい・・・そう思って、今度は遡るのではなく私たち末端系の方で、何か詳しく知っている人がいないか、と家系図を書き足し始めた。


しかし、もう皆ちりぢりになっていて、連絡も取れない状態がほとんどだ。連絡が取れる親戚たちからは、根掘り葉掘り聞いて、結果もうその親戚たちからも忘れられていた曽祖父母のお墓を発見した。

親戚のおばさんたちの記憶を頼りに、山の中を探したら、するするっと墓地に行き当たり見つけることができた。

それが、去年の秋のことだ。


そして、そのお墓に誰かがお花をお供えしているのがわかった。まだ枯れきっていないお花があったからだ。

一旦家に帰った私は、お墓を守って下さっているであろう人あてに、手紙を書き、ビニールに入れ、再度お墓に出向いて、わかりやすい場所に巻きつけてきた。


内容は、「曽祖父母のことを知りたくて、家系をたどっていること」「唐突に私がこのお墓にお花をお供えすることがあっても問題ないか」的なことで、あと家系図も同封して、自分はその中の誰であるか、あと電話番号を明記した。


しかし、その頃は、尼崎の方で一家が監禁されてひどい目に遭うという事件があったりしていたので、きっと手紙を読んだお墓の守り人さんも、警戒して電話してきてくれないだろうと思っていた。半分は諦めていた。


そして、一年が過ぎて今年もお盆が終わった。守り人さんが怖がるといけないので、その後曽祖父母のお墓へは行っていない。


うちの父は、おそらく自由にうちの中を浮遊したり、楽しんでいるのだろうけれど、曽祖父母、それから一緒にお墓が並んでいた祖父の妹や弟に当たる方々のお墓は、なんとなく、もう少し多くの人が行ってあげないといけないような気がした。初めて偶然お墓を見つけた時の直感だ。


お盆が終わる今日、ふと「もう少し涼しくなったら、一度思い切って行ってみよう」と思っていた。

そしたら・・・なんと・・・知らない番号から携帯に電話があり、お墓の守り人さんのお兄さんからだった。


実は守り人さんは家系図の中で、存在はわかってはいたものの、お名前のわかっていなかった3兄弟の一番下の妹さんだった。

やはり、手紙をかなり警戒したらしい。そしてお兄さんに相談したという経緯。


しかし、お兄さんはちょうど転勤の時期と重なり、私の怪手紙に時間を割くことができず、その後すっかり忘れ、一年後のお盆にふわっと思い出した、ということらしい。


長くお話してしまった。私が家系図の中で、お名前のわかっていなかった末端系の私たち世代の部分がほぼ判明した。すごい。


なんせ、祖父は9人兄弟(4男5女)なのだ。しかし、そのうち3人の妹が10代で亡くなっている。

もちろん、長男の祖父は遠い昔に他界し、3人の弟のうち2人もすでにこの世にはいない。

あと一人の弟は、今居所もわからない。


若くして亡くなることなく育った2人の妹のうち、1人はすでに他界、そしてもう1人は調べがつかない。

なので、この2系統を調べるすべを今模索中。


しかし、一年越しでお電話をいただけた同じ一族の方とのお話は、とても心が緩むものがあった。

昔は一族の中で、数々揉め事等あったと聞いてはいるが、今こうして末端系の私たちが、そういうものに捕らわれることなく会話できることが嬉しい。


お電話でお許しもいただいたので、涼しくなったら本当にがっつりもう一度、曽祖父母たちのお墓へお花を持って行こうと思っている。