今日からバンバン香港時代の、香港への馴染んでいき方を、思いつくまま書こうと思っていたのに、また胃が暴れている。


おととしあたりから、年に一度胃が食べ物を受け付けなくなり、1週間点滴のみで、筋肉の全くなくなった足でなんとか病院まで通う、という症状になる。

もとは風邪なんだろうけど、そこへストレスがかかると、12個のポリープを抱える私の胃はすね始めるのだ。

1週間点滴だけだと、階段の上り下りがすっごく大変で、健康って大事だなと痛感している。怖い。


でも、そんな不調ではあるけど、少しでも・・・。


それまで実家でぬくぬくと暮らしていた私がなぜ突然海外で一人暮らしを、なんてことになっていったかというと、何度か観光で香港を訪れるうち、香港の宝石店に勤めている同い年の日本人女性に出会ったからだ。

同い年でこの冒険心の違い・・・手紙をやりとりしているうちに、「自分は旅行社に引き抜かれようとしているんだけど、宝石店が後任を探さないと辞めさせてくれない。思い切ってこっちへ来ない?」という文面がきっかけ。

当分彼女の家に居候させてくれるというし、すでに職は決まっているし、エンプロイメントビザも向うが用意してくれるという。

こんな機会、二度とないでしょう・・・。

家族と離れるのは辛かったけど、とりあえずすぐだめで戻ってくるかもしれないし、と言い残して自分でも知らぬ間に香港にいた、という感じ。


すぐ仕事も始まり、その友人の家に居候させてもらっていたのだけれど、やはり申し訳ないので少しでも早く自分のアパートを見つけようと、不動産屋巡り。

向うでは「○○地産」と書いてあるのが不動産屋さん。日本と同じようにガラス面に物件の紙がいっぱい貼ってある。

「冷気机」と書いてあればクーラー有とか、少し家具のある物件なんだな、とか見ていくうちにいろいろわかるようになる。

もちろんわからない記述は、次の日同僚たちに聞く。


で、一番最初に家賃の安さで決めたのがコーズウェイベイのすごく小さな一室。

すでに小さなベッドと、鏡台と、頭上に物入れがあって、ベッドの脇にスーツケースを置いたらもう通れないくらいの狭さ。

もちろんシャワーのみでシャワーのすぐ横にトイレ。間にシャワーカーテンつけないと、シャワーのたびにトイレットペーパーがびしょびしょだ。


仕事場の宝石店は九龍サイドなので、毎日香港島から九龍へバスで海底トンネルを通って通勤していた。

今から思えば、どうして最初から九龍サイドにしなかったか、自分でもその時の動機がさっぱりわからない・・・。