今までのブログの中で行っていた海外の国の名を、はっきりと書いたことはなかったけれど、結局は読めばすぐわかる通り「香港」である。

一回「九龍城」とも書いたしね。


私が向うへ渡ったのは確か1989年。

挨拶くらいはと広東語を覚えていったつもりなのに、決まっていた職場で、朝「チョウサン(おはようの意)」と皆に声をかけたら、発音が悪くて、皆ただ一様に首をかしげてすれ違っていった。

普通、朝でこのシチュエーションだったら、こっちは明らかに日本人なんだし、「おはようって言ってるんだな」ってわかってくれたっていいじゃん!「えっ?なに?」って聞き直すくらいしてくれたっていいじゃん!


という職場の一日目だった。お店にくるのは日本人の観光客だから、そこで働く香港人たちも日本語がわかる、と聞いていたけど、結局「安いよ」「お買い得」「社長」みたいな必要最小限。

で、ただ一人の日本人の私は、挨拶さえ通じない広東語力のなさ。


しばらくの間は、なに一つ意味のわからないワヤワヤした雑音の中で一人座禅を組んでいる境地だった。

仕事自体は、日本人のお客さんを店内へご案内することだったので、別に必死で広東語を勉強することもなく、毎日がゼスチャーと偶然意味が同じ漢字を書く(中には同じ漢字でも全く意味が違う)ことでなんとかコミュニケーションをとっていた。


するとある日突然、誰かの発した音から、私の脳に「お昼ごはん」をいう言葉が浮かんだ。

それでその子の方を見たら、ちょうどお昼ごはんに皆がお弁当を取る店のメニューを持っていて、私の反応に「あっ、広東語わかってきたらしい!」(後日談で判明)と皆で大騒ぎした。


毎日、同じくらいの時間帯に同じようなトーンで聞こえてきたその「音」が、私の脳の中で「お昼ごはん」と判断した瞬間・・・赤ちゃんはこうやって言葉を覚えていくんだな、と感動した。

それからは数珠つなぎに広東語が脳に入ってくるようになった。


広東語はイントネーションが命なので、字面では同じでもイントネーションが違うと、全く別の意味になる。

イントネーションの間違いは言ってみないとわからないので、とりあえず音に出して言ってみて直してもらう、という耳で必死に捕まえる覚え方をしていた。

時には間違ったイントネーションの言葉が、放送禁止用語のような言葉だったりして、店中が大笑いになったり、いつも笑われていたけれど、私は「今日もウケた!」とニヤニヤしながら、あの2階建てバスにもまれながら家路についたものだった。


三年目には夢の中まで全部広東語、そして逆に日本語がすごくヘタになって、言いたい表現がでてこなくなり、母親と国際電話していても「え~っと、ほら、あれ・・・なんだっけ」みたいな会話がもどかしかった。