「あっ・・・・・・」
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飛んだのは、うちで飼っているトラネコのグリコだった。
グリコは軽い身のこなしで木の枝に着地すると、その勢いを保ったまま、向かいの窓へと飛び移った。
「あ、ネコ」
意外にも橘 アキが好反応をみせる。
「名前は?」
「え・・・・・グリコだけど・・・・」
「すげぇネーミング」
ふ、とかすかに笑みを浮かべて、橘 アキはグリコを抱き上げた。
そして、毛並みに沿って優しく手を滑らせ始める。
・・・・・動物をかわいがる心なんて持ってたんだ、コイツ。
てゆーか、窓、閉められなくなっちゃったじゃねーか。
なんか知んないけど、グリコもちゃっかり気持ちよさそうに抱かれてるし・・・。
「ネコ、好きなの?」
間がもたないから、しかたなく質問してみた。
「ん。てか動物全部好き。猫とか犬とかツチノコとか。」
なんでそこでツチノコが出てくるんだ?
ゴロゴロ・・・と喉を鳴らし始めたグリコを、橘 アキは慈しむようになでてあげている。
なんだよ、その優しい顔。調子狂うじゃん・・・・・・。
「・・・そういや、さ。今までその部屋、窓が開いてんの見たことなかったんだけど・・・」
ひそかに気になっていたことを尋ねると、橘 アキはグリコをなでながら淡々と答えた。
「ずっと物置だったんだ、ここ。でも広いから、先週から俺の部屋にしてもらった」
そうだったんだ。だから、今まで顔を合わす機会がなかったわけか。
「てか・・・あんたって、オニ高生だったんだね」
「うん」
「歳、あたしより上だよね?他の高校中退したとか?」
・・・・あれ。あたし、なんでこんなことまで質問してんだろう。べつにコイツのことなんか、知る必要ないのに。
「こっち引っ越してくる前、神奈川の高校いってた。そこで2年ダブって、中退」
2年ダブって・・・・ってことは、今19歳くらいか。つーか、2回も留年するとか何者だよ。
「ふ~ん・・・・・。じゃぁ、んたの彼女は相当寂しかっただろうね」
「は?」
「中退したあげく引っ越したんじゃ、完全に離れ離れだもんなぁ」
なぜかあたしは、わざとそんな意地悪を言った。
すると橘 アキは、腕の中のグリコに視線をおとしたまま、まるでなにかに思いを馳せるように、ふっと微笑んでつぶやいた。
「そんなの、いねーし」
湿気を帯びた夜風が、あたしたちの間の木を揺らす。ざわざわ、ざわざわと。
その音が胸の奥まで響いて、なぜだろう、あたしは言葉を返せなくなった。
5月の夜はまだ肌寒い。体が冷えたのか、橘 アキは突然「くしゅっ」と男とは思えないかわいいクシャミをした。
「乙女か!」
クシャミのおかげで空気がなごみ、調子を取り戻したあたしは憎まれ口を叩く。
彼がズズッと鼻をすすりながら、グリコを抱く腕をゆるめると、グリコはさっきのように木を中継地点にして、こちらの窓にとんだ。
グリコが戻ってきたってことは、つまりもう、窓を開ける必要はないってことで。
「・・・・えっと。じゃあ」
おやすみ、と蚊の鳴くような声で言って、あたしは窓に手をかけた。
橘 アキも「ん」といって、同じ動作をみせる。
だけど、なぜかあたしは、すぐに窓をしめることができなかった。
なんだ?どうしたんだ、あたし。
ビミョウに、名残惜しい・・・・・・みたいな。この変な気持ちは。
自分の感情にとまどいながら、あたしは4メートル先の、アキの顔を見つめた。
形のいい目や鼻や唇。色素の薄い肌。
あぁ、悔しいけどやっぱりコイツって、本当にキレイな顔――・・・。
「――キレイだったよな」
え?
「こないだの、虹」
すーっと閉じていく窓のむこうに、虹よりキレイな微笑みがみえた。
あたしの足元で、グリコが「にゃあ」と高く鳴いた。