沖ノ島世界遺産登録と女人禁制
たまたまフェイスブックでルモンドの記事に大量のコメントが付いているのを見て、初めて沖ノ島の世界遺産登録がむしろ日本の外で、というかヨーロッパで大きな関心を集めていることを知った。論点はこうだ。「女性が立ち入ることができない」沖ノ島がユニセフによって 」une valeur universel exceptionnel」 があるとして世界遺産登録された。と、その理由を煽るようにしてフランスのメディアは大々的に報じている。まあ、こう切り取られると明らかに矛盾しているわけで、コメントにはまず脊髄反射が来る「まあ、普遍的な価値ね、メルシー、私は人間じゃなかったのね」とか「ああ日本人は先進国の中ではもっとも女性嫌いの国だからね」みたいなそんなもの。怒りの矛先がまずは「こんな前時代的で偏狭な価値観で作られた文化をなぜ「普遍的」だとユネスコが認めたのか」という風にユネスコに向けられた後、そもそも日本社会の縮図だよねと一般化される。ただ、フランスのフェイスブックコメントがすごいなあと思うのは、ここから文字通りのテーズ、アンチテーズ、サンテーズの議論が延々と何十人が加わって続くこと。速攻で知日派が仏教、神道の知識を振りかざしながら、この島に祀られる神様が女神だったから、嫉妬を避けるために女人禁制になっているんだ、我々は彼らの文化を尊重すべきだ、とまっとうな意見を表面する。「そうだそうだ、文化を理解しようともせず、それを批判するなんて傲慢だ」だが、そこはフランス、むしろここから一気に爆発し始める。おばさんA「素晴らしい資料をメルシー、ヴァンサン。ところで男たちっていつも「文化」を性差別の言い訳にするのよねえ。あら、男が入れない聖域があったかしら、私に教えて欲しいのだけれども。」(シュバババ、何人もが実例を提示)「あんた典型的なマッチ?」おにいさんB「その質問にはノーだ。私は他者の慣習を尊重し批評する前に理解しようと試みる者だ」お姉さんC「私、日本語と日本文化を四年間勉強しているけど、確かに日本社会には性差別的側面はあるんだよねえ、女人禁制の山とか、会社での立場とか。この国に対する愛情にもかかわらず、その点は認めなくちゃいけないわ」にいさんD「ヴァンサン(仮名)ありがとう。頭を爆発させるまえに知ろうぜ」おばさんA「ああああああ、分かったわよ、説明がありましたねええええええ、ううう。あっちではここでは正当化されないものも正しくなるんでしょうねええ。」にいさんE「あなたは結局のところ、なにについて憤っているのですか。日本人と彼らの伝統を尊重することについてですか。ああ、あなたは未だに「西洋から来た良き入植者」がその価値観を世界に強制する世界にいるんですか」おねえさんF「ええ確かに宗教的説明がありましたね。でも私は女性の権利を認めないいかなる宗教も慣習も認めませんよ」お姉さんC「ええ、それが私の言いたかったことよ。宗教的理由があるからといって、女性の権利について検討しなくていい理由にはならないわ」おにいさんG「日本には我々とはちがう社会的伝統とコードがある。それを君たちに受け入れろとは言わないが、尊重するべきじゃないかね。彼らは公共の場で人を殺しているわけじゃないんだから」おねえさんC「ええ、私はさっきも言ったけど日本大好きよ、それでもその社会のコードには納得できないの」おばさんA「ドンク、ブルカも認めろっていうのねええええ、纏足や女性器切除も文化だもんねえええ」おねえさんC「おばさんA,あのね仏教にも神道にもそんな習慣ないのよ」おにいさんG「ブラボーおばさんA,関係ない物事を見事に結びつけてくれたねえ。」おにんさんE [セクシーーーーーーースム、って叫ぶ前にちょっと勉強するといいんだけどね」まあこのまとめは僕のものすごく偏った偏見に基づいて再構成したもので、年齢も知るわけないのに勝手にお兄さんとかおねえさんとかおばさんとかいって印象操作をしているのだけれども、まあそれはともかく、とても面白いコメント欄だった。ちなみに、他のコメントでもこのおばさんAは大活躍していてそっちでは、「そんな言い訳なんてどうでもいいのよ、仏教徒はみんな女性差別主義者で、日本人はそれ以上なんだから」って言い放って、ドン引きされ「口を閉じな、そんでもってキッチンから出ないことを忘れるんじゃないぜ」「les Japonais sontから始まる言い回しは必ず、一般化という間違いを犯しているものだよ」と一気に議論を終わらせてしまうというファインプレーを見せている。まあいっちゃ悪いが、フェミニストの最高に悪い見本の実例だ。 ただ、それでも、このおばさんAのコメントにはとても重要な役割があった、このコメント全体を通して、すくなくとも彼女がまだ冷静だった間は。実際、僕がちらっとこの記事を読んで頭に浮かんだ反論ってのはことごとくこのおばさんによって予め反駁されてしまっていたのだから。おそらく、彼女は「文化を尊重すべきだよ」と冷静に理性的にしたり顔で結論を下す男たちの前に何十年も苦渋を飲んできたのだろう。だから、そのヒステリックな怒りにも、もちろん半径10メートル以内には絶対入りたくないが、妙に説得力がある。 日本のニュースに対するコメントでは、こんなふうにまっすぐな怒りってのをなかなかぶつけ合うことがない、と思う。たいていはここで登場した兄さんたちみたいに、正論によって自分がいる立場を強化するか、あるいは「はっはっは、女性が排除されているから、普遍的価値だってよ、まちげえねえ」みたいにわかりもせずにシニカルぶってみるか、それ以前に「〇〇人なら普通」って言う風に考える以前にテンプレを繰り返すだけだもんな。 というか、フランス人ってよくフェイスブックって政治的議論できるよなあ。最初はばかじゃないかと思っていたけど、一周回ってそろそろすげえなあって思えてくる。一人ひとりの意見は大した事ないんだけど、寄り集まってちゃんと発展的な議論になっているところがすごい。ヤフコメとは大違いだ。日本のは、まあ良くも悪くも便所の落書きで、匿名だからなあ。シニカルとシニカルでは本気の喧嘩じゃなく、ただのレスバトルだもんな。 じゃあ、日本人としてこの問題にどう答えるべきか。一番悪いのはたぶん「西洋人が自分の価値観を押し付けるんじゃねえ」って怒り返すことだ。これじゃあ、日本政府がなんでユネスコの正解遺産登録に邁進したんだよって言われるし、それは西洋人が言っていい意見ではあるんだけど、その一方で日本人だからという理由で「人権」という問題を回避できるなんてだれも思っていない。伝統、宗教の尊重と、現実社会における人権問題をごっちゃにすると中庸的立場からも批判を受けるからしっかり区別すべきだろう。(もちろん、僕は世界遺産登録されたから女人禁制を緩和すべきだ、なんて全く主張する気はない。まあ、なんでわざわざ火中の栗を拾うような真似をするかなあとは思うけど、正直あんまり一生懸命擁護する気にもならない。だって、知らん島だし。年200人だけしか入れないような島を観光地にする気もないのになんでガイドブックに載せようとするかなあ。ってのは、沖ノ島を出汁に陸地側の観光地を発展させようという抱き合わせ販売でしかないっぽいから、勝手にしてと思う。) ちかごろ常々思うのは、ドイツ人やフランス人は自分たちを、ドイツ人やフランス人である以前に(ていうかとくにドイツ人は)「ヨーロッパ人」だと思っているし、さらにいえば「地球」人だと思っているってこと。中心にいれば国境は存在しない。 それは男女でもいえることで、男の立場から見て一部のフェミニストがヒステリックに見えるのは、男からはそこにもう壁があるようには見えないから。(もっとも日本とヨーロッパとの関わりで考えると、さっきのおばさんAみたいに、この21世紀にヘーゲルみたいな歴史観を出しながら、女性蔑視なイスラム教、仏教諸国を断罪するフェミニストもいるわけで、まあそれは別の話しだ。うーん、ていうかこれは完全に宗教は消えたフランス特有の問題なのかな、アメリカ行ったことないからわからんが。フランス人ってけっこう素朴に王様がいるからイギリスは遅れていて、キリスト教をまだ信じているからアメリカは野蛮って心の中では思っているだろうから) そんなわけでフランス人は「ヨーロッパ的価値観」ではなく、「世界の当たり前の価値観」なんだからみんな普通に従うべきでしょ、と考える。(ちなみにここまでの二十行ほど、さっきのコメントのおじさんのいう「Les Japonais sontから始まる文章はすべて」理論からして、完全に一般化という間違いを犯している。それでもまあ、そのことは分かってそれでも書いている) で、結局なにが言いたいかというと、案外「日本のことが誤解されている!ちゃんと説明しなくちゃ!」なんて思う必要はないってこと。「日本人はみんな性差別主義者だ!」とかいう人は絶対いるけど、フランスっていう社会は自浄力がとても強くて、どうせ日本通っていう人が一生懸命説明して「彼らのことを理解しようと努力しようぜ」と、理性的で知的な一段回目の結論は簡単に出る。 このSNS時代において、その議論を経る以前のコメント、つまり脊髄反射的「へーい、またヘンタイの国のニュースだぜ」とか「性差別のニュースっていつも日本から来るわね」みたいなのが目立つことは確かなんだけれども、その奥にはかなり深く議論している人たちがいる。 2ちゃんねるの「クッサ死ね」文化がいろいろなものを実際に殺してしまったとすれば、一つにはこういった自分のアイデンティティがかかった議論がネット上から消えたことかなあ(もちろん識者とかそういうのを覗いて)。 そういうわけで、フランス社会の底力を感じるフェイスブックのコメント欄だった。