西洋美術史について学ぼうと思ったら、まずは高階秀爾と三浦篤を読めばいいと思うのだけど、その高階さんの「新刊」が出たと聞いてびっくりした。八十を超えてすごいな(それどころじゃなかった、91歳!の新刊!)。

と思ったら、序文のみ書き下ろしで他は自選論文集。主に60年代から90年代にかけて書かれた論文。前半は今更読まなくても良かったかなあと思ってさらさら読んでいたんだけど、後半になると俄然面白くなる。というのも、序盤は60年代でまだ日本がフランス(西洋)を仰ぎ見る時代の論文で時代を感じるし、90年代の論文はというと概説的、教育的なものが多く、どっかで読んだなあ(そりゃそうだ、その後の高階—三浦へとつながる美術史の教科書はこのへんの論文が基になっているのだろう)って感じていた。ところが後半では70年代に書かれた、19世紀のフランス、特に文学と美術の関わりについて専門的な論文がまとめて収録されており、美術史からもこんなに文学に迫れるんだと感銘を受けたわけだ。

 「マラルメと造形芸術」の章では、マラルメと印象派画家や象徴派画家との交友が主題となっており、あの詩に似合わず、マラルメがすごくきめ細やかな心遣いの出来る社交人であるという知る人ぞ知る側面がよくわかる。特に面白いのは、サロメに関して。マラルメの詩、エロディアードって当たり前のようにギュスターヴ・モロー、ユイスマンス、ルドン的な、サロメの文脈の中で読みたくなると思うのだけど、その直接の霊感として高階が上げるのが青年時代の親友であったアンリ・ルニョー。なんか名前聞いたことあるなと思ったら、そうあの、オルセー美術館の右側の1番目の部屋にデカデカと《ムーア人の処刑》が飾られていた、アカデミスムの、オリエンタリズムの画家だ! (この本ではルーヴル美術館所蔵となっているから、その後移されたのだろう。こういう情報は本にまとめる時に更新しなかったんだな) 実は《処刑》が話題になった1870年のサロンにルニョーは《サロメ》と題された、お盆を膝の上に乗せたエキゾチックな女性画も出品している。《処刑》と《サロメ》をまとめると、まさにヨハネの首がお盆から浮かび上がるような、マラルメ=モロー=ユイスマンス的な情景が出てくるだろう。つまりここで高階が言いたいのは、知識のない我々はAマラルメとBモロー、あるいはAマラルメとBユイスマンスを見て、AとBとの間に影響関係、因果関係を結ぼうとしてしまうが、そうではなく、両者の共通の霊感としてのCがある、あるいは同時代にはさらに複雑に張り巡らされた引用の網が(まさに間テクスト性)があったことを忘れてはならないということだ。

 それで一番素晴らしいと思った論文は「『知られざる傑作』をめぐって」と題されたもの。これほど深くこのバルザックの小品を読み込めるかと驚く。知られざる傑作というタイトルがバルザックには珍しく誘導的な題であることから論は始まる。読者は短編を読み進めながら「傑作」がいつ全貌を明らかにするか固唾を飲んで見守る。ところが最後に日の目を見たのは、ごちゃごちゃに絵の具が塗り固めれられた壁でしかなかった。フレンホーフェルが製作中に自画自賛していた絵は、完成を目指すあまり度を越して塗り重ねたために、気付かぬうちに大失敗に終わっていたのだ。というのが第一層の読み。

 第二層の読みでは、混沌とし何が描かれているのかもわからないと評されるその「失敗作」こそが、時代を100年も先取りした大傑作であったというものだ。周知のように、マネ以降、絵画は対象との間の参照関係をなくしていき、自律した表現を模索していく。モデルの影も形も見えない「知られざる傑作」こそが、睡蓮が消えていくモネの晩年の作品、あるいは20世紀の表現的抽象絵画の先駆けなのだ・・・というもの。これはかなり魅力的だが、おそらく贔屓の引き倒しだろう。

 第三層で(そしてほとんどのバルザック読者はこう読む)のは、現実と芸術の区別がつかなるなるほどに芸術にのめり込んだ天才芸術家の狂気をそこに見るもの。最初はモデルの女を画布上に「再現」していくのだが、後半では画布上に架空の女を生み出していく。後者の裸婦像はフレンホーフェルが製作中には、いきいきと艶かしく、今にも姿を表すように見えていたのだが、他人が見ると黒い絵の具の壁にしか見えない。他人の目を通して初めてフレンホーフェルも自分の「失敗」に気が付く。途中まで出来ていた「傑作」は、狂気の塗り重ねによって地層の奥深くに埋葬されてしまったのだ。

 そして、なぜ「天才」バルザックは現代芸術を100年も先駆けるような「第二の読み」に耐えうる美術理論を、狂ったフレンホーフェルの口から発させることができたのか、ということが問題。それは彼が預言者でも千里眼の持ち主であったわけでもない。まさにマネ、セザンヌらの絵画的革新を遠く準備したドラクロワの《女と鸚鵡》(1827)が霊感源であろうと。

 

というわけで、興味がある章から読むのでもいいし、日本における西洋美術史の成り立ちもなんとなく感じられるし、良かった。