ロシア系フランス人の小説家、伝記作家アンリ・トロワイヤによる伝記『モーパッサン伝』(1989)の翻訳、2023年3月。翻訳者はモーパッサン研究家の足立和彦氏。
モーパッサンの生涯って知っているようで知らないことが意外と多い。母親がフロベールの友達で、その縁もあり少年時代からフロベールの薫陶を受け、形だけゾラの傘下で自然主義作家みたいに『脂肪の塊』デビューし大成功、しかし若い頃にかかった梅毒で狂気に陥り、43歳でなくなる。
これだけでも十分波瀾万丈だが、モーパッサンの場合は文学史の教科書には載せられないようなやばいエピソードが多すぎる。
まだ役所で働いていた頃に、鈍臭い同僚の肛門に悪ふざけのつもりで定規を突っ込んで、数日後に彼は死んでしまう。それにショックを受けるどころか、モーパッサンは彼が「滑稽な死に方」をしたことを大笑いしている。(55ページ)
何となく東京オリンピックの開会式を直前で降ろされた音楽家っぽい雰囲気を感じるよね。どこまで本当なのだろうかわからないけど、彼がフロベールやゴンクールらに吹聴する武勇伝(主に性に関する)もいちいち下品過ぎて、ノリについていけない。やれ、毎週日曜日にはセーヌ川でボートを漕ぐがそれは毎回必ず肉体関係で終わる(娼婦を連れて行くとかガンゲットで出会うとかかな)、やれ三日間で19回とか。ご婦人たちもその伝説的な性豪の姿に興味津々で、いつでもどこでも自由自在に立たせられる、って話をキャーキャー言いながら聞いているようだ(露出癖があるとかどうとか)。どうやら娼婦や下層民の娘とは出会ってすぐの乱行をして、その伝説で寄ってくる上流のご婦人たちとは恋のゲームを楽しむということらしい、よく分からないけど。
で、ゾラとかはその下品なユーモアに全然ついていけないんだけど、それは多分社会階層のせいでもあるんだろうな。モーパッサンは一応貴族だから、その家柄をかなり鼻にかけているところがあって、だからこそサロンで自由気ままに下品な話をできる。ゾラは半分外国人で技師の息子だから、そんなことができない。あとモーパッサンは正真正銘のミソジニーで女を乱暴に扱えるからこそモテていたタイプ(その繋がりを肯定してはいない、念の為)だけど、ゾラはちょっと女性を偶像視しがちだよね。
つまりモーパッサンってプルーストの描く貴族たちの会話を思い起こさせるんだよね(ていうかモーパッサンって社交界で少年プルーストに会っているんだね)。成り上がりブルジョワのヴェルデュラン夫人のサロンでは一生懸命高尚な芸術の話をするけど、本物の貴族のゲルマント家のサロンではうんこ、おしっこレベルの会話で大爆笑。肩の力が抜けている人が話すと何でも面白く聞こえるのか、結局下世話な話が一番盛り上がるというだけなのか。
さて、そんな下の話ばかりしてしまったけど、この伝記は別に「文豪の隠された秘密」みたいなことをスキャンダラスに暴く系の伝記ではなくて、結構ちゃんと文学史の勉強にもなってしまうのが面白いところ。特に1880年代のゴンクールとの確執(というか売れに売れ、モテにモテたモーパッサンがゴンクールの「芸術家的文体」を擦ったことを根に持った、ゴンクールの一方的な恨みという感じもするが)や、ゾラとの微妙な関係(自然主義の理論はモーパッサンは終始受け入れないんだけど、ゾラの作品はすごく評価しているし、80年代後半になってもゾラのために蒸気機関車に乗れるよう手配したり、勲章をもらえるよう働きかけたりしている。でも根本的なユーモアのセンスが合わない)など、いちいち面白い。モーパッサンを軸にして見てみると1880年代の文壇はこう見えるのかと、新鮮な驚きが多い。
20代での乱行がたたって、モーパッサンは梅毒性髄膜脳炎にかかり狂気に陥っていく。本書によるとそもそも遺伝的に狂気の可能性を孕んでいた上に、梅毒を治療しなかったことが重なり、という風に書かれている。でももちろん母親はそんな不名誉な死因を認めたくないので、否定する(「弟のエルヴェは狂人じゃなかったんです、日射病だったんです。ギィが梅毒なんて、そんな馬鹿な!」みたいな)。20世紀半ばごろまでその作戦は功を奏し?モーパッサンの狂気はむしろ天才性の発露のように捉えられていたのかな?
高校生以下には勧めづらいけど、すごく読んでいて楽しい伝記。