素晴らしい新書。

木村幹先生は京都大学法学部出身。発展途上国について研究したいなと思ったけど、欧米の研究者と渡り合うのはきついし(やはりアフリカやラテンアメリカ、インドなどの研究では、英米仏の研究者が圧倒的に強いらしい)、中東は語学が大変だし、っていうので、「あっ、韓国なら日本語に近いし、強い欧米研究者もいないから、チャンスじゃん」とばかりに、当時は好きでも嫌いでもなかった韓国政治を研究対象に選んだらしい。

そして、1992年に修士論文を出し博士課程に進学すると、何と直ちに「愛媛大学にポストがあるから行かないか?」と打診があったと・・・何ちゅう時代だ。やはりバブル、バブルは全てを解決する。でも、そもそもこの時点で韓国への留学経験すらない、だから大学教員になる前に半年だけ留学。そして愛媛大学で四年勤めた後は、今に続く神戸大学時代。そこでもすぐにハーヴァード大学へと留学させられるなど、超エリート研究者。なるほど、90年代までの研究者が博論遅かったのはこういう理由か。で、初めての単行本を博論として京大に提出、その本は賞を受賞。

 ここまで見ると、常人では考えられないようなスーパーエリート街道なんだけども、勤務先では苦労が多かったよう。アメリカ帰りの研究者などの中では「より科学的な政治学」なるものが主流となっており、木村先生の行う研究を「それは政治学ではない、それは歴史学ではない」と面と向かって嘲罵することもあったとか。なるほど、昨今でも話題となる話か。レヴァイアサン。そんな彼らを見返すように、毎年二冊本を出し続け、その著作は賞を取り続ける。

 

 だから、右肩上がりの分野での人文系研究者のキャリア形成という面でも(そう、人文系でもそんな分野があるらしい)、とんでもなく面白い本だ。

 

 で、本書を手に取る多くの人が興味を持つ韓国についても、そんな消極的選択による研究者からの視点は、今まで聞いてきたような反日、嫌韓言説とは根本的にずれていて、その距離感がいい。

 木村先生が韓国研究者となってからの1990年からの30年間は、韓国にとってはあまりに激動の時代だった。軍事政権化の貧しい国から88年オリンピックで脱したばかりの国が、急激に成長し、97年のアジア通貨危機ではデフォルト寸前まで追い込まれたが、IMFによる構造改革を経て、かえってグローバル経済に向いた国となり2000年以降はあっという間に一人当たりGDPで日本に追いつくまでになった。その変化が急激すぎたために、その間の変化が緩やかだった日本(同時期の山一證券破綻などを、日本は補助金じゃぶじゃぶの護送船団方式で乗り切ろうとし、そのせいでゾンビ企業が増え、景気低迷が長期化した、と韓国はそれ以降もはや日本をモデルとしなくなった)との関係性が変わっていく。かつては垂直関係だったのが、韓国にとっての日本の重要性が薄れ多くの外国のうちの一つとなっていき、水平関係に移っていく。昔は日韓当局者間での会合は、日本語と韓国語の通訳、あるいは韓国側が日本語を話すという形だったのが、みんな英語で話すようになる。

 そんな韓国の日本への関心と重要性の低下こそが、昨今の関係悪化につながるのだと。以前は日本との関係が死活問題だったので、政府がコントロールしていた。でも今では韓国政府は日韓問題が深刻化しないように制御する意欲すら持っていない(重要度が低い)ので、それまでも韓国社会で当たり前だった「反日」言説が制御されない状態噴出し、海を越えて日本を刺激するようになった。またインターネットも全てを変えた。朝鮮日報などの韓国の新聞は、日本語の翻訳記事を出すようになったが、閲覧数が多いのはヨン様よりも韓国が日本を批判する記事だった。だから、わざわざ刺激的な記事ばかりを選び翻訳する。それに日本の読者がこれは何事か!と飛びつき、コメントする。こうして、0年代の嫌韓言説は作られていく。嫌韓ブームは韓国の出版社が経済的利益追求のために焚き付けたものでもある。(この構図の裏返しが、日本の国内問題を海外向けに発信する左翼的知識人やメディアへのバッシングにもつながっているんだろうな。)(だから反日と嫌韓はウィンウィンの関係、そんなものに振り回されてちゃあねえ)

 あと、共同歴史事業への参加の話とか面白かった。2002年当時はお互いにバラ色の未来を夢見ていたのに、お互いに政権が変わるごとに、徐々に仲が険悪になっていく。学術的な話をしようと言っても、お互いの「これが正しい政治学・歴史学」というのはずれていて、神学論争になっちゃう(だから、それは・・・学ではない、と人に言っちゃあいけないよと木村先生はおっしゃるのだ)。日韓関係について考える上で、韓国好きではない韓国研究者による本書は必読本だと思う。あとタイトルもいいよね。韓国懲らしめてやるっておじさんが手に取りそうだもん。