ジョルジュ・サンドの小説『黒い町』1861年。

出版当時も全く論評されず、100年くらい経ってから、「あのゾラ『ジェルミナール』に先駆けること四半世紀、サンドはすでに労働者小説を描いていた!」っと売り出されてちょっと読まれるようになった小説らしい。確かに、1861年の時点で、刃物職人が集まる谷底の「黒い町」とブルジョワが住む山の手の町を対比させ、さらにはラストでヒロインがユートピア的工場の経営者となり労働環境の改善を図る、と言う意味でかなり先進的にも思われる。

 のは、そこまで。実際には、「ジェルミナールより早く・・・」という売り文句に釣られた人にとっては、驚くまでに保守的で、反リアリズムな作品だ。女性が工場経営者・・・と聞いて何かフェミニズム的先進性を期待した人も頭を抱えるに違いない、この小説はあまりにも体制順応的で、反革命的で、そしてブルジョワ階級との結婚以外に労働者の幸福がないように描かれているように見えるからだ。

 

 あらすじとしては、

主人公セテぺは優秀な刃物職人。いつかは自分の工房を持って、経営者側に周り、こんな地獄のような谷間を抜け出して山の手に引っ越したいと思っている。彼はもう一つの夢を持っており、それはこんなドブのような中に咲く花、気品のある女性トニーヌと結婚したいということ。

 ところがトニーヌは、「いつか一国一城の主人になるんだ!」と言う彼の野心のために、彼との結婚を拒絶する。分不相応な夢を追いかけて目の前の仕事に身が入らない職人なんて嫌なのか。彼女のモットーは、ブルジョワなんかになったら不幸になる。それはブルジョワ旦那と結婚した姉がわずか数ヶ月で捨てられ亡くなった事件を経験しているから。

 ややあって、セテぺにはある工場主の娘との縁談が、一方のトニーヌにもお医者様との縁談が持ち上がる。なんと!これでブルジョワになれるね! 一瞬は生活に不自由のない未来に心惹かれた二人。でも、やっぱり相手のことを忘れられない。ああでも、あの人は結婚しちゃうのか!じゃあその幸せは邪魔しちゃだめだ!

 こうして、セテぺは黒い町を去り(トニーヌが医者と結婚すると思い込んで)フランス全土を巡歴し、職人としての技術を高めていく。そして数年後?「トニーヌが病気で今にも死にそう」という手紙を受け取り、急いで黒い町へと戻る。

 「貧乏だし、病で顔も変わっちゃったけど、それでもまだ好きなの?」「もちろんさ!」というトニーヌの妹との問答の末、トニーヌと再会。なんと彼女、もっと美人になって、なおかつあの姉を捨てた義兄(改心した)からの相続財産で工場主となっていた!二人は結婚しめでたしめでたし・・・

 

つまり、なんか背筋が寒くなるような、労働者階級を馴致しようとする小説に見えちゃうんだよね。労働者階級からブルジョワ階級への上昇を夢みた男は過分な欲望を持ったが故に罰せられ、追放される。旅の中で、手工業に真面目に取り組む職人としての真面目さを獲得し、貧乏な労働者となったヒロインとの結婚を、愛ゆえに決意する。そうすると、二人の愛が報われて、相続財産が降り注ぎ、二人は工場主(ブルジョワ)となる。

 

 え、これでいいの? となっちゃう。でも、色々とエクスキューズはあるだろう。まずマルクス資本論の出版前。「労働者と資本家は仲良くね!真面目に労働したら資本家にクラスアップできるよ(実際には結婚による財産相続しか有り得ないけどね!)」っていうメッセージは、僕らにはどこのネオリベの、どこの経営者論理を内面化したバイトリーダーのセリフなんだろうって思うんだけど、もしかしたら当時としては、前向きな言説だったのかもしれない。それにサンドとしても、実際の労働環境の悲惨さはちゃんと知っていたのだけど、それを小説で書くのはあまりに暗いから?書かなかったようだ(だって主人公12歳から働かされてるんだよ)。

 だから、やっぱり「ジェルミナールの四半世紀も前に!」というのはセールストークとしては微妙だと思うんだよね。それが通用するのは、ある意味ではかなり形式的な面だけであり、思想的面においてはほとんど正反対だし、ゾラ的観点からはかなり強く批判されて然るべき小説だと思う。ただ『ジェルミナール』をしっかり読み込んでいるフランス人にとってはその類似性は意外にも多くあると思える、例えば労働者の下の町とブルジョワの上の町の、上下対立とか、鍛冶場での火と水のせめぎ合いとか、ただいずれにしても『黒い町』では労働のシーンはあまり深く描かれないので、それ自体の面白さといえるかといわれると微妙か。

  

 だから、この小説の面白みって違うやり方で提示した方がいいと思うんだよなあ。例えば一年後の1862年にはユゴーの『レ・ミゼラブル』が出てくるけど、その御涙頂戴の悲惨趣味、貧困を恋愛の味付けにするような部分への反発が、ゴンクール兄弟の『ジェルミニー・ラセルトゥー』に繋がるわけだけど、やっぱり『黒い町』はそっちの文脈で考えたくなる。善良なブルジョワが理想的な工場を建設して、そこで労働者がニコニコ労働。めでたしめでた・・・それで、いいんかい! っていう反発は、『黒い町』を読むことでとてもよく理解できた。