夏休みなので、パリに来た。今年は幸運にも2度目の長期滞在である。留学は終わったけども、こうしてまとまった期間パリで勉強できるのはとても嬉しいことだ。

 

今回はエティハド航空で、成田発アブダビ経由のパリ着の飛行機に乗った。このご時世で、どんなに安くとも20万円かなと覚悟してチケットを取ろうとしたとき、なんとなく成田発で検索してみたらなんと10万6000円のチケットが見つかった。数日後には同じ日程で30万か40万になっていたから、たまたまキャンペーンでも打っていたのだろうか。

 

そこで初めてのエティハド。UAEの航空会社ではエミレーツの方が有名だが、そちらは商都ドバイが本拠地。エティハドは首都アブダビが本拠地。サッカー好きの人は、アーセナルとシティをそれぞれ思い起こすだろう。

 

さて、そんなエティハドだが、エミレーツと比較しても、日本人向けコンテンツが微妙である。日本語表記はそもそもなくて、アラビア語か英語だけなんだけど、もちろん日本語字幕、吹き替えはない。そうすると日本の映画を見るくらいしかないかなあとなるだろう。で、日本の映画は4つほどだけ。ただそこそこ面白そうなラインナップだった。

 

マスカレードホテルの続編。安定のキムタク。

 

 

まずはドライブ・マイ・カー。実は初見だった。しかしこの映画、地味だし、すごい長いな。アカデミー賞らしいぜ、見に行こう。と思った人も、なんか微妙な雰囲気になるかも。是枝作品や『パラサイト』みたいに、自国の闇を暴いて国外で受ける系の映画って、それはそれでエンターテイメント性が高いのだが、この『ドライブ・マイ・カー』はそういうスキャンダラスなところでは売っていない(無自覚スキャンダルかもしれんが、演劇界的には)。この映画で、複数の言葉で演じる舞台という前衛的な挑戦をする役者たちは、いかに感情を殺して、棒読みで言葉を交わしていくかということを練習の前半では徹底的にやり続ける。その流れで、映画の前半は特に、高野豆腐を延々と反芻しているような、よく分からない感じだ。でも、終盤にかけては、「なるほどなあ、感情を出そうとして演技しちゃあダメなんだな。だからむしろ必死に、それを抑えるような演技指導を行なってきたんか」と納得できるようになる。

 

 

 

 

次に見たのは、この『そして、バトンは渡された』。最初の数十分は何やら群像劇っぽくて、後継母にいじめられそうで、見るのが辛いかなと思ったが、いい意味で期待を裏切られた。結局は、登場人物みんな底抜けの善人で、涙涙の映画なんだけれども、結構ちゃんと作られているから、前半(卒業式まで)をもう一度、確認しながら見たくなった(実際、要所は見直した)くらいだ。いわゆる伏線改修系の、今時のよくできた物語であって、当時思っていた恨みとか悲しみとかが、その裏に隠された真実が見えるや否や正反対のものとなって感謝になっていく系な、お涙頂戴なんだけれども、意外によかった。時系列を欺くように作られている。見るポイントは、石原さとみの帽子だったのか。

 

一本目に見たゴジラvsコングがあんまりにもあんまりだったので、全く期待していなかったバトンが意外と良かった。ドライブ・マイ・カーの評価って難しいね。すごく地味なんだよね。登場人物が苦しむ妻の不倫や、彼らが起こす、「大事件」っていうのも、全て画面の外で起こっており、それ自体が描写されるわけじゃないんだよね。古傷を徹底的に語り尽くそうとする人たちの中で、ほとんど喋らないドライバーが異物となって、いい感じに痛みを共苦していく物語だ。どういう点が評価されたんだろうな? 演技ではなく真実を俳優から引き出す演技指導?的なものなのだろうか(この映画は枠物語で、その映画と類似した手法?で、劇の練習が行われる)。あるいは、「多様性」だろうか(多言語劇、日本語、ロシア語、韓国語、中国語、さらには韓国語手話まで)。

 そして、バトンとかが、完全にドラマタッチであり、俳優たちは「とてもいいお父さんを演じるお父さんを演じる俳優」だったり、「とても良いお母さんを演じるために悪女を演じる、本当はいいお母さんを演じる女優」だったりで、徹底的に仮面に仮面なんだけれども、マイカーはそうじゃないってことなんだろうかね。