ジョルジュ・サンドってもちろん19世紀を代表する作家だということは知っているのだけれども、この15年ぐらい、一度も手に取ろうと思えなかった。そういう究極の食わず嫌い作家である、僕にとって。

 

それも良くないなと思ったので、一番読まれている『愛の妖精』を読んでみた。結論、素晴らしく「現代の少女漫画のベース」だ。

愛の妖精は二つの物語が絡み合っており、メインが始まるのは結構遅い。

第一に、そして副次的なのが、双子の兄弟の物語。兄シルヴィネと弟ランドリー。あまりにそっくりで、いつでもどこでも二人一緒。絶対に離れないぞ! でも、弟ランドリーが少し離れた農園に奉公に出かけることに。そこから二人の性格の違いが大きくなっていく。ランドリーは大人にならないと、と思い新たな環境で頑張る。一方のシルヴィネ、ランドリーとの思い出の場所ばかりを彷徨って一日中ぼんやりとする。そしてランドリーが自分のことをあまり思ってくれないと、嫉妬心を膨らませていく。この辺、双子の兄弟の話を書いているのだが、とてもそうは思えない。シルヴィネがあまりにも女性的すぎる。つまり、とても15歳の兄弟が思い合う描写には思えず、別の何かを描こうとしているようにも思えるのだが、その辺の精神分析的批評は色々あるんじゃないかな、知らないけど。

 

 さて、正直そっちはあまり面白くなくて(ただただシルヴィネにうんざりする)、面白いのが第二の、そしてメインの、ランドリーとファデットの恋愛物語。ランドリーはイケメンで活発に育つ、村の女の子たちもチヤホヤし始める。そしてファデットというのが、魔女みたいなお婆さんの家に暮らす孫娘て、「おとこおんな」扱いされ、色黒で、「不器量」な女の子。どうやらその母親が子供と夫を捨て何処かに逃げたとかで、ファデットは「魔女の孫、娼婦の娘」的な扱いを村のガキンチョにされるわけだ。黙ってやられ放題ではなく、悪口やいたずらをし返すので、とにかく評判が悪い。

 ランドリーは、川で溺れそうになった時に(兄が、そして自分が)、ファデットに2度も助けられる。それに一種の気味の悪さを感じ、「噂通り魔女なんじゃないか」とまで思う彼だったが、そこでファデットに命を助けたお礼、あるいは「罰ゲーム」として、村の祭りで7度も自分と、自分だけと踊ることを約束させられてしまう。

 その時、ランドリーは、実は奉公先で、ちょっと良い仲になりかけていたマドレーヌという女の子と踊ることになっていた。しかしマドレーヌに断り、冷たい目で見られながら、彼は7度も奇怪な頭巾をかぶったファデットと踊り続ける。しかもその踊りがめっちゃうまい。ムカついたマドレーヌは取り巻きに命じて、ファデットをいじめる「あんた、ランドリーに恋の呪いでもかけたの、キッモ」みたいな。ランドリーは、マドレーヌの本性を知って急に冷める、そして正義感からかファデットを庇って「しまう」。「全く、なんでこんなことに」、ランドリーは「あの不器量なファデット」と仲良くなったと村中からからかわれてしまう・・・

 

 でも、そこからはお決まりの少女漫画展開だ。実は罰ゲームじゃなくて、ファデットはずっと前からランドリーが好きで、上手な踊りを見せたら見直してくれるかもと期待したのだ。それがむしろランドリーの評判に泥を塗ることになって、ファデットは絶望。その涙を見て、そしてなんと言っても頻繁な接触効果で、ランドリーはファデットに恋していく。

もちろんヒロインが不細工なままなわけがない。不器量に見えていたのは、お婆さんが全く孫娘の身なりを気にかけていなかったから。ランドリーに気に入られたくて、ファデットはちゃんとした服を着て、顔も洗って、男の子みたいに悪態をつかないようになる。そしたらどうでしょう、色白になって、背も伸びて、ついにはおばあちゃんが死んだ時に4000万円もの遺産が入ってくる。

 家族と村中から反対されたランドリーとファデットの交際も、ファデットの評判(と資産)が変わってことで一変。村中を巻き込む盛大な結婚式になる・・・

 

 とすると、あまりにも能天気だ。そのとんとん拍子の結婚へのブレーキ(主に物語論的な意味で)となるのが、忘れそうになっていたあのお兄さんシルヴィネだ。弟ランドリーが結婚すると聞いて、嫉妬に苦しむ兄ちゃん。結婚話が進みそうになると、苦しみを見せつけるために、当て付けのように高熱を出す。それを看病したのがファデット。「あんた本当はどこも悪くないでしょ、お母さんたちが今まで甘やかしてきたのがダメだったのよ、このクズ」と罵られたことで、シルヴィネの何かが目覚めてしまう。彼は弟ランドリーへの強すぎる愛情をなんとか抑制することに成功したのだ。

 でも、それは新たな愛の対象を発見したことによって、それはもちろんファデット。この許されぬ愛(なんてもんじゃないな、このガキの愛着だ)から逃れるために、シルヴィネはなんと兵隊に入り、十年後には勲章までもらうのだ。つまり、シルヴィネ目線では結局は兄弟愛の物語なんだよね。自分が一方的に好きになったファデットを、弟に譲る(っていうかもう結婚しているのだが、夫婦に横入りしようとしないというだけのことだけど)、ことによって、兄弟愛>異性愛を証明する。というのは19世紀には定番の、兄弟愛の表現だ。セジウィックのホモソーシャル的に言えば、たぶん。

 

 面白いなと思ったのは、ファデットが四つ葉のクローバーを集める時、それが「この地域の風習」だとして、その意味がわざわざ説明されている点。1851年のパリ人にとっては必ずしも自明ではない遊びなのか、ていうかルーツはどこにあるんだろう。

 日本語wikiを見ると、四つ葉のクローバー=幸運という迷信は1877年説が紹介されているが、『愛の妖精』は1849年初版らしいので、やはり大体1850年ごろには一部で広まっていたらしい。

 というわけで、現代の恋愛小説、少女漫画でよく見るトポスがとてもたくさんあって面白いよ。