モーム『月と六ペンス』、多分初読はこの岩波文庫を高校生の頃。

高校生の頃って、西洋文学に哲学みとか、人生の価値とは?みたいなものを求めがちだと思うのだけれども、そのころの趣向にはとてもマッチしていたのがモーム。今読むと、モームの中で、例えば『片隅の人生』と比べると、『月と六ペンス』が何十倍もいい小説だということは確かだと思うのだけれども、その良さってのが、十九世紀フランス文学の残り香的なところにしかないんじゃないかという疑念が拭えないのも確か。だから、モームが自分のことを大衆小説家だと見なすのも、それは当然なのかもしれない。

 

もちろんモームは20世紀イギリスの作家で、月と六ペンスは1919年に出版されたのだが、そこから漂ってくるのは、19世紀パリに他ならない。主人公ストリックランドは凡庸な株式仲買人だったのだが、突如芸術への熱に取り憑かれ、妻子をロンドンに捨て去り、パリで孤独で極貧の中、絵を描くようになる。誰が見ても、素人くさい、あまりにも下手くそな彼の絵を理解できたのは、三流の画家ながら鑑識眼は一流のダーク・ストルーヴただ一人。ストルーヴの描くのは、「絵になる」南イタリアの風景画、つまり薬にも毒にもならない、ただの「きれいな」絵だ(絵画を分からない商人が客間に飾るような)。それを見て、ストリックランドは嘲笑。侮辱され続けても、ストルーヴは彼を嫌いになれない、なぜなら「彼は僕とは違う、天才だからだ」。

 ある日、ストルーヴはストリックランドが瀕死であることを知る。慌てて彼を自宅で看病しようとする、でもその妻ブランチは絶対に天才画家を家に入れようとしない、「だってあの男、あなたはあんなに侮辱したのよ、悔しくないの?」。でも渋々看病。数週間後、ストリックランドは夫婦の昼夜を問わない看病によって命を取り止め、再び絵筆を取れるようになる。すると、なんとこの男、アトリエで自分の仕事をするから、お前は出て行けと主人であるストルーヴを追い出す。お前こそ、治ったなら出て行ってくれと哀願すると、なんと妻ブランチが「彼を追い出すなら、私も一緒に出ていきます」、え?

 そんで、なんとストリックランドは命の恩人の家と妻を乗っ取ったのだ。しかもその後、ブランチに飽きると(性的に、そして彼女をモデルとした絵が完成すると)、彼を引き止められないと知ったブランチは服毒自殺をする・・・

 自分が幸せな夫婦を破滅させたことになんの良心の仮借も感じないストリックランドはその後、タヒチに行って、そこで地上の楽園(と自分に従順でかつ、自分をほったらかしにしてくれる妻)を見つけて暮らしたのだ。この「変人」「天才」は、西洋文明社会ではとんでもない卑劣漢、極悪人だったが、地球でもっとも自然に近い土地では、彼の欲望、粗野さは受け入れられたのだと。

 

 この小説は、19世紀フランス文学によくある「天才画家の破滅物語」の系譜を引き継いでいる。バルザック『知られざる傑作』、ゾラ『作品』を初めてとして、一般社会の常識では「狂っている」としか思えない画家による、一見すると何が描かれているのか理解することもできないような絵画が、その前衛性を理解できる少数の同業者に衝撃を与える、という構造はありふれたものである。モームのストリックランドがそれらと違う点は、画家自身が破滅するというよりも、彼に関わる女(ロンドンの妻(意外とけろりと立ち直る)、パリで出会うブランチ)や男(凡庸な画家ストルーヴ)を破滅させ、そのことになんの後悔も感じないという点だろう。そして、彼が全く芸術家らしくなく、芸術の苦悩などが全く語られない点も面白い。モーム自身を思わせる一人称の語り手が、外からストリックランドを観察するので、彼が制作する場面は全くといっていいほど語られないのだ。

 そしてこの点が、この小説の二つ目のテーゼに繋がっている。それは「芸術家の天才は、その日常生活における卑俗な人間性からは測れない」。これはほぼ同時代に『失われた時を求めて』を執筆していたプルーストが19世紀の文学批評家「サント=ブーヴに反して」提示したものである。そしてこれをさらに推し進めると、「日常生活において狂った行動をとり、卑劣漢、悪人としか思われない人物こそが、本物の芸術作品を生み出しうる」という倒錯的テーゼを(誤って)導きうる。そしてこれは大正、昭和の破滅型文豪物語として、日本人には親しみがあるだろう。

 この卑劣漢、悪人ストリックランドはしかし、奇妙なまでに魅力的な人物として見えるようになる。確かに彼は何人もの身近な人を破滅させたし、彼の言動はあまりに思いやりがない、でもそれは天才画家なのだからしょうがないじゃないか? 我々凡庸な小市民とは違い、彼らはモラルなんてものに縛られないんだ、彼らは西洋「文明社会」には大きすぎるのだ(だからタヒチに渡る)。

 その文脈で、彼は夥しい女性蔑視発言を繰り広げる。そしてまともな文明人である語り手はそれを批判的に描写するのだが、ここには一種のずるい戦略があるようだ。執筆当時、モームは妻と不和となり別居していた。そして妻への不満を、女性蔑視発言としてストリックランドに言わせていたようだ。ここには『月と六ペンス』の受容をめぐる一つの問題点があるようにも思われる。つまり、これまた19世紀後半のフランスでは「独身者文学」と呼べるものがあり、女性蔑視=芸術崇拝が繋がっていた。というか、天才的な画家が、妻との小市民的な生活に溺れて、その才能を失う、という物語があまりに当然視されてきたのだ。本書でも、女性蔑視思想の持ち主だったから、ストリックランドは天才画家となれた、という因果関係を、読者は容易に想像することができるだろう。(この女性蔑視はストリックランドのセリフの中にとどまるものではない。女を殴ることが出来ないストルーヴはブランチに捨てられ、女を殴ることの出来るストリックランドはブランチを奪う。同様に、女は自分を殴らない男は軽蔑し、殴る男には惚れると、タヒチ在住の現地女性に言わせている。)

 

 だからモームはずるいのだ、卑劣漢、女性蔑視のストリックランドは現実の尺度(六ペンス)では明白に悪人なのだが、それは彼が芸術の世界(月)に生きる天才だからであり、だから天才の中に悪が住うことが仕方ないとされる。そして読者はその悪こそが、天才を生む源泉なんだと誤認し、そこに魅力を認めるようになる(だって本作ではストリックランドの創作シーンはないのだから)。

 これはヴィクトリア朝的な極めて厳しい道徳的ルールの支配するイギリス社会において、その秩序を破壊するエネルギーを描いたものなのだとは思う。第一次大戦直後、「文明」というものがもたらした悲惨に唖然とした西洋人にとって、それを相対化するタヒチの「自然」「野生」は魅力的にみえただろう。しかし、現代にこれを読むに当たって、そこにあるどうしようもないオリエンタリズムとセクシズム(それも誤魔化された)が、かなり大きな刺となって読者に突き刺さる(ハンセン病の描写に対しても、何らかの注をつけても良かったのではないか(僕が初めてこの病気を知ったのは小学生の時にヴェルヌの『地底旅行』を読んだ時だったが、その時にはしっかりと時代的偏見を訂正する訳注があった。本書で初めてハンセン病という語を目にする読者もいるかもしれない)?

 そう思うのも、僕がおそらくこの訳書(2005年出版)を初めて読んだ高校生のころ、僕はその「芸術の狂気」による免罪をかなり素朴に受け止めていたと思うからだ。誤解を恐れずにいえば、モームってすごく男子高校生受けする作家なんだよね。卑俗な現世なんか気にせず、何か(芸術活動にせよ、スポーツにせよ、勉強・学問にせよ)に打ち込むカッコよさ。この旧制高校的、ホモソーシャル的なノリを、今そのまま留保なしに、世界文学全集的カノンとして打ち出せるのかということをちゃんと考える必要があると思ってしまう。モームの冷笑がカッコよかった時代もあったのだろうが(もちろん全体主義的な社会では、秩序破壊のエネルギーとしての価値は高かっただろう)、今僕らが見るのはその劣化版が溢れたSNSだ。モームの(通俗的)面白さを認めた上で、十分に批判的な後書きを付した上で読まれるべきではないか、などとも考える。