この哲学まとめシリーズはかなり簡潔で、それでいてしっかり構成されているので、全体を捉えるときにとても役に立ちそうだ。
ショーペンハウアー
1788年、ダンツィヒ生まれ、1860年、フランクフルトで死去
『意志と表象の世界』(1819)が主著(だけど1859年の第3版まで、哲学界でも知られていなかった)
商人の家に生まれ、グローバルな商売人になるための英才教育として、ヨーロッパのあちこちに移り住む幼少期を送ったおかげで、欧州の主要言語に精通。
父が運河に落ちて死に(自殺説あり)、母はワイマールに息子を連れて移り住む。そこで、彼女は文学サロンを開き、そこにゲーテが通う。ショーペンハウアーは文学の道へと進み出す。
カントの弟子を自認し、彼を乗り越えるために、『意志と表象の世界』を書く。ベルリン大学で哲学講座を持つが、全く同じ時間帯にヘーゲルの講義。当然学生はほとんど来ない(だから、『読書について』であんなにヘーゲルを個人批判)
1833年、フランクフルトで早くも年金生活へ。
ストア派、仏教、ヒューム(形而上学否定とイギリス経験主義)、カント、などからの影響。
ところで形而上学の説明がすごく分かりやすかったのでメモ
La métaphysique est une branche de la philosophie qui porte sur la recherche des causes et des principes premiers. Par conséquent, elle a pour dessin la connaissance de l'être absolu comme cause première de l'univers et de la nature : elle prétend à la connaissance rationnelle des réalités transcendantes et des choses en elles-mêmes.
形而上学とは哲学の一分野で、原因と第一原理の探求に向いたもの。・・・それは先験的な現実と物自体の理性的な認識を要求する。(哲学用語の訳し方知らないので、適当です)
そんで、ヒュームは普遍的な法としての原因(因果関係)の存在を否定。自然法則は、経験的だ。
メタフィジック(形而上学)は、数学的科学でも、経験的科学でもない、そう、形而上学は科学scienceではない、という立場。
カントとの関係はいつか書いた気がするから飛ばす。
マルクス、ニーチェ、フロイトの三人組が、ショーペンハウアーに影響された、疑いの哲学者として紹介。フロイトの無意識と、ショーペンの意志の世界ってのは確かに似ているんだろう。
その、意志の世界とは
「無意識の世界で、盲目的な力によって動き、個人が消失した背後ー世界」
で、因果関係(原因)と、究極目的がない世界。
財布を手に持ったのはパン屋に行くためで、パン屋に行くのはバゲットを買うためで、バゲットを買うのは昼ごはんのサンドイッチを作るためで、サンドイッチを作るのは空腹を満たすためで、空腹を満たすのは・・・式に、どこまで行っても究極の目的がない、神なき、不条理の世界。
存在が辛くのは、「不満足」のロジックに答えるため。人の飢餓は決して満足することはない。その一方で「退屈」もまた存在の一部。(退屈と不満足のシーソーだったけ?)
最大の問題は、こういった存在自体が辛い、世界の不条理な状態からどうやって幸福に生きる術を構築するかということだ。ショーペンハウアーは、ペシミスムばかりに注目されるが、別に自殺しろって言っているわけじゃない。彼は三つの道を指し示す。
第一に芸術による道。美学的な凝視(瞑想)によって、個人主義的な心配事から離れ、普遍性へと向くことができる。芸術は、個人的でエゴイスティックな心配事から、一般的な「存在」と「生vivant」への関心への移りゆきの扉を開く。
第二に、哀れみの道徳、これもまたエゴイスム、個人主義から人を引き離す。(この解説ではégoïsmeとindividualismeがほぼ一緒のタイミングで使われているが、両者はかなり違う(たまたま今回はショーペンハウアー の文脈では一緒に使えるだけ)。フランス語ではそれが読者に伝わるんだろうけど、日本語では、結構注意しないといけない二つの言葉)
ちなみに、ショーペンハ動物愛護に関心を持った最初の哲学者だとか。意外だね。憐れみという感情こそは、普遍的(宇宙的)な苦しみを前にした普遍的な「同情」compassion(ともに苦しむ)から来ているから大事らしい。
そして、哲学と瞑想だけが本当の知へと導くのだと。
そのためには、三段階が必要だそうで、
1、死は「表象」の世界にのみ属し、「意志の世界」にはないことを知る。個人は死ぬが種は死なない。ここで、仏教の自我の幻想の解体という哲学に結びつく。
2、キリスト教とあらゆる個人主義的哲学の批判。彼によるとキリスト教は個人の復活の哲学。死後の世界でも「個人というアイデンティティ」が永続するという「幻想」を教えるという誤りを犯していると。
3、死には「時宜」opportunitéがあることを理解すること、それは自我という幻想から抜け出る唯一の「機会(と訳していいのだろうか)」だ。死は「意志の世界」へと抜け出すという知恵に到達した時に、静かにやって来るべきものであって、それゆえに、ショーペンハウアー は自殺のような暴力的な手段を否定する。そんなことすると、知恵に到達する時間ないじゃん。
ショーペンハウアーって、それをちょっとだけ読んで分かった気になった「ペシミスト」たちが多かったせいで誤解されてきた哲学者なんだろう。なんとなく魂のルフランがBGMとして流れてきそうな作家でもある。
