平野啓一郎という作家を知らなかったので、一冊目として読んで見た。
舞台は2030年代のアメリカ。火星への有人飛行を成功させた6人の「英雄」たちは無事に地球への帰還を果たす。共和党はその搭乗員の一人リリアン・レインの父親アーサー・レインを副大統領候補として、大統領選挙で優位に立つ。
 しかし、そんな中、二年半の任務の中である「事件」が発生していたとの噂が流れ始める。唯一の黒人乗組員ノノ・ワシントンが精神に異常をきたし二年間拘束されていた、リリアン・レインに「中絶手術のようなもの」を火星着陸後に主人公である佐野明日人が施していたという暴露映像がネットに流れ、ノノ、リリアン、明日人の三角関係を妄想した二次創作ならぬ、妄想小説が、Wikipediaならぬウィキノベルとして、匿名の多数の著者により執筆、加筆、編纂されて行った。
 リリアンをレイプした後に、罪の意識から正気を失ったのだ、とのストーリーを展開する妄想小説は、人種的観点から批判を浴びる。一方の明日人は、二年半の留守の間に妻である今日子との間に生じてしまった距離(もちろん妄想小説で囁かれるリリアンとの浮気がそれを強めた)に悩まされる。
 
 そこに最も核心的な問題として浮上してくるのが、東アフリカでアメリカが「世界の警察官」として介入している紛争だ。そこで正規兵の犠牲を減らすために、ブッシュ政権以降続いてきた「小さな政府」の路線で拡大してきた「民間軍事会社」が、致死性の高いマラリアを媒介するように遺伝子操作を施したハマダラ蚊を、ゲリラ相手に生物兵器として使用してきたという情報がもたらされる。そしてその軍事会社で、生物学者としてリリアンは働いていた。
 時期アメリカ大統領の椅子は、宇宙飛行士の下半身ゴシップ、東アフリカでの軍事介入の手法の是非などを巡って見込みのなかった民主党へと一気に傾き始める。

 そんでもって、2030年代の近未来SFとして、最も読者の関心を引くのが、「分人主義」である。これは現代の個人主義Individualismeから「in」を取って、「不可分な一個の人格」である個人ではない、「対話する相手との間で別個に生成される互いに別個の分人Dividualの集合体」として一人の人間を捉える考え方である。妻は夫の「一つの分人」との間で生活を送るのだが、彼の職場での、あるいは昔の仲間との間で作られた分人までもを全てまとめて「Individual個人」として理解することは出来ない。
 二年半の間、密封空間で、自分たちの尿を濾過した水を飲み続ける宇宙飛行士たちは、「たった一つの分人」であり続けることを余儀無くされる。地上では、適宜、別の分人が現れ、ストレスが発散されていたのだが、船内では「宇宙飛行士としての分人」で100パーセント体を乗っ取られる。すると、夢の中で回想として何度となく現れる「別の分人(例えば昔の彼女との間の分人)」がついには暴走してノノを狂気へと導く。
 もう一つのディヴィジュアルがDivisual「散影」である。ロンドン型の警察による監視カメラの監視社会に対して、コンビニなどの民間が自分のために設置した監視カメラを警察が適宜利用する東京型の監視社会。2030年代では、政府による情報の独占を避けるために、東京型を極限にまで推し進め、誰もが、誰ものDivisualをネット上で検索し、追跡することができる社会が出来上がっている。妻は夫の一日を、監視カメラのネットワークによって全て知ることができる。この「Divisual散影」のシステムのおかげで、妻は自分の知らない夫の別の「Dividual分人」を知ることができる。
 もちろんそれに対抗して、仕事用のDivudualとは別に、やましい場所に行く時用の変装用の可塑整形?技術も発達し、その上で、それらの複数の顔、複数のDivudualを一人の「個人」へと紐付けるサービスも発達している、というイタチごっこ。
 
SF的面白さという観点から言えば、密室状況という以上には、火星探索ということ自体は利用されず、後半はアメリカの共和党と民主党の主張合戦になって行くわけで・・・だから、近未来政治シミュレーションかな、ウェルベックよりもずっと現実的だけど。

共和党、民主党、それぞれの立場の人が言うセリフ、独り言がいちいち説得力あって面白い。

この八年間で、国民は脳ミソの芯まで、国連の無能さと言う共和党政権のPRを刷り込まれている。世界協調など小学生の夢くらいに思っているんだ。

ディヴはキャラみたいに操作的operationalじゃなくて、向かい合った相手との協同的cooperativeなものだって言われているんだよ。

人を好きになるって、・・・その人のわたし向けのディヴィジュアルを愛するってことなの?・・・インディヴィジュアル同士で愛し合うって、一人の人間の全体同士で愛しあうって、やっぱり無理なの?

ゲイの俳優自由を優先させて小さな政府にしよう、いや、平等の方が大事だから、大きな政府にしよう。ーーーバカよ。どっちも大事に決まっているでしょう、そんなの。それは、矛盾することはあるわよ。それをとりもつのが愛でしょう?政治のいろはよ。愛を忘れてるの。だからケンカになるのよ。
同胞愛fraternitéっていうのは、みんなで愛し合うってことよ。・・・」
「学があるねえ。フランス革命だね。」
「若いころ付き合っていたフランス人のボーイフレンドが教えてくれたのよ。ーーー「愛」と一緒にね」

個人的に一番ツボだったやりとりだ。いうまでもなく自由、平等、博愛はフランス共和国の標語だ。


悪というのは、なんというのか。それを告白した人間に対して、不謹慎な畏怖の念を抱かせるものだよ。・・・それに、悪とは、究極的には、一般的(原罪)なものだ。・・・
しかしだ、恥というのは、どことなく共感を拒むものだ。そして、告白になんの重みも与えない。何か馬鹿げた、滑稽なことをしたと告白する。・・・
だから、教会の告白には、恥を悪として語らせる洗練された機能が備わっているんだろう。

悪をどう捉えるかが、共和党と民主党の候補者間の争点になっている。共和党は「善と悪の戦い」という「中世のマニ教」的な図式で、悪を「神秘化」して、東アフリカの「悪者」の固有名詞を出そうとしない、と民主党候補は批判する。彼によれば、「悪者」とは、軍需産業を延命させるために、アメリカが自ら作り上げたものだ。

「ロマンチックに悪を神秘化することに、わたしは反対です。・・・それは翻って、我々の善を神秘化し、誇大視させることになります。
どんなに巨悪に見えようとも、それは徹底して、具体的に突き詰めて、ミもフタもないレヴェルにまで解体すべきです。そう出来ない悪など、この世界には存在しません。その果てには、必ず固有名詞を持った個人が存在し、その個人を悪へと駆り立てた分人が発見できるはずです。


何にもせずに、平和な世界で富を築き、良い家にすみ、美味しいものを食べ、ふしだらな恋愛を謳歌し、そうした享楽にもそろそろ飽きて、「世界平和」についてでも考えてみようかと思い立ったころに、ネットで調べて、あとから我々の必死の仕事を、ああだ、こうだと論評する。
 わたしは、観念的な平和主義者というのが、大嫌いなんだ。一番見栄えが良くて、一番気楽な人間!それが彼らだ。


こういうアメリカ政治ものって、やはりどうしても民主党を勝たせることが「政治的に正しい」ことになってしまう。のだけれども、共和党候補者のスピーチにも手は抜かれていない。

今ある多様性を善しとする一方で、世界をより正しい、ある方向へと導いていくためにはどうすればいいのか。政治の永遠の矛盾だよ。一人一人の個性を絶対的に認めるならば、徹底した現状肯定しかない。・・・そうして何世紀も、他者に対する敵意と無関心とを克服できずに来たのがこの国だ。

空疎な平和論だと、訳知り顔で冷笑するのをやめましょう。シニシズムことは、人間が何かに取り組み、生み出すための最大の敵です。シニカルであることを知的であることと錯覚している人たちに向かって、こう問いかけましょう。あなたたちが、これまで一体、何を生み出してきたのかと。

日本の今のあり方を振り返って見る時、僕らには「世界をより正しい方向へと導こう」(例えば(一般的な)共和党的な世界の警察官としてのアメリカ像であったり)という意欲(あるいはそれを持つ資格)が完全に欠落している。そして、その一方で「空疎な平和論」へのシニカルな冷笑っていう点においては、日本社会はおそらく相当に進んでいるだろう。つまり、エネルギーを向ける先がない。だから擬似の対立構造を無理やり作らざるを得ないのだろうけれども。
 そう、つまり2035年のアメリカ大統領選挙の仮想の争点を見て、民主主義ってこんなに面白いんだ、そして政治ってこんなに真面目なんだと思えてしまう。京大法学部で学んだ経験が著作に反映されているなあと思う。