服従/河出書房新社
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なんと、まだ一年もたたないうちに、ウェルベックのSoumissionが翻訳された。そのまま『服従』というタイトル。

フランス語では既に読んでいる。
『Soumission』ミシェル・ウェルベック
翻訳は今日の半日で読んだ、やっぱり日本語のほうが楽だね。

原著を読んだときは、そのあまりにもひどい皮肉のニュアンスがいまいちつかめていなかった気がするが、ウェルベック(の主人公)の女性蔑視具合がまたひどい。

 「夫が国内治安総局で働いていてね……」ぼくは驚いて彼女の方を見た。ここ十年来彼女と交流があるが、今初めて、ぼくは彼女が女性だったこと、そして、男性の性欲の対象になりうる女性だと意識したからだ。彼女はずんぐりがっしりして、ほとんど両生類のようなのだ。幸いにも彼女はぼくの反応を別の意味で受け取ったようで、「驚くのは分かるわ……」と満足そうに言った。(75-76)

ひどいなあ。ずんぐり・・・両生類みたいな、あたりの書き方は難しかったはず。全般に、非常に読みやすかった本だけど、ここまで辛辣だったとは、読み飛ばしていた。

今回は、地図を広げながら読んでいったのだけれども、この小説はパリにとても密着したものだということがよく分かる。すぐ近くで銃撃戦が起こっても、人々があまりうろたえないのは、「・・・通り」という心理的に残るパリの壁の外で起こっていることだからであったり、チャイナタウンに住んでいる主人公は、そこに中国人が大勢で住み着いているおかげで、イスラムの侵入を意識せずに済む。
 それと主人公は最初っから最後まで常に、マグレブや他のアラブ圏の料理を食べ続ける。過去の世界に属するミリアムとの邂逅の時にだけ「スシ」を頼むのはちょっと象徴的。だがいずれにせよ、エキゾチックな料理だ。
 最後の最後でイスラムに改宗するフランソワだが、もしかしたら(もしかしたなくとも、明らかに)胃袋を密かに、段階的に掴まれていったのかもしれない。
「ポトフ女」と「(寝るための)若い女」だけが文士にふさわしい女だ、とボードレールが言ったと書いてあるが、この二つのタイプの女性像は(後者は後に前者になる)、一夫多妻制のイスラムだけが両立させることができるものであり、危機の中でカトリックの信仰を呼び起こそうと努力したフランソワは、結局のところ食と色の欲求を満たす事が大事だと理解したのだ。

面白いことに、これを翻訳した「大塚桃」さんというフランス文学の翻訳家はどうやら存在しない。翻訳多数となっているのに情報がないということは、ラシュディの『悪魔の詩』事件の再来を懸念しての判断だろう。
 それと佐藤優の解説が、全く解説の体を成していない。「イスラエルの友人」との本書についての会話と称する詰まらない数ページと、本書からの長過ぎる要約で終わる短く、中身のない解説。こんなんだったら代わりに書いてあげるのに、というかあれかな、まともな学者に解説頼むのは時節柄はばかられたのかな。
 ただ、イスラムに支配されるフランスという問題作であることは置いておいて、少なくとも男性読者にとっては、とても興味深い「実験」だと思う。日頃から恐れているイスラムの脅威を、大逆転させ、イスラムに征服された性のユートピアとしてのパリに置き換えるのだから。その一方で、ひ弱でむさ苦しい60歳の大学教授に19歳の彼女を取られたであろう、本書に書かれぬマッチョで貧乏でイケメンのティーンエイジャーたちが黙ってはいないだろうとか、そういうツッコミどころがあり過ぎるのもまた面白いと思う。

結局、完全に荒唐無稽なイスラム・ユートピアだけど、面白い作品ではある。あんまり真面目に読む物じゃない(褒めている)。