『無神論の歴史 (下)』 ジョルジュ・ミノワ | とある文学徒の日常
- 無神論の歴史 上・下: 始原から今日にいたるヨーロッパ世界の信仰を持たざる人々 (叢書・ウニベ.../法政大学出版局

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1729年のメリエ神父の宣言についての章から始まり、2000年前後の状況までが検討される。40年間司祭職を忠実に全うし、信頼の厚かったメリエ司祭が死んだ時、机のうえに一つの封筒が置かれていた、それは死後初めて訪れる同業者に向けて、自分が信じていないものを数十年間も語り続けていたことを懺悔する衝撃的なものだった。そのあまりにも攻撃的な文書は、地下文書となり、痕跡が消えそうになりながらも、さまざまな筆写本や要約書によって伝えられ、18世紀の思想家たちを揺るがすことになる。
フリードリヒ二世は、自分の書斎にそのうちの一冊を所有し・・・全ヨーロッパがメリエを知っていた。キース卿は、この「多くの人の話題になっている田舎司祭の著作」をルソーに送ろうと申し出た。1762年に、「好奇心のある人」なら誰もがその写しを持っていることは事実だ、とグリムは述べた。・・・ヴォルテールはメリエ、いやむしろ『ジャン・メリエの覚え書の抜粋』をおおいに売り込み、ヨーロッパ中に広めた。この小品は、実際には原著の完全な曲解だった。後半の三つの証明をカットし、理神論的著作として表わされ、・・・。ヴォルテールはメリエの名前を利用して、社会を破壊するような箇所、また無神論的な箇所は取り除いて、自分自身の思想を広めようとした。(487-488)
多くの者にとって、その場合ジャンセニズムが酵母の役割を果たした。というのも、メリエの近隣の司祭をはじめとして多くの司祭たちの場合、ジャンセニズムが刺激となって反体制的な態度をとるようになったからである。(497)
ディドロはもっと率直だった。「凡庸な人間は獣のように生き、死ぬ。生きていた間は卓越したことは何もせず、この世の者ではなくなる時に人の話題になることは何もない。その名は語られず、墓所は知られることもなく、草に隠れて分からなくなる」。作品によって、文学の天才、フィロゾフたちは不死となる。「この種の不死はただ幾人かの者たちだけが意のままにできるのであって、ほかの者たちは獣のように朽ち果てる」。
感動的でもあるがまた忌まわしくも、フィロゾフたちは不死という破局的な難破からの救命ボートへの乗船券を独り占めするのだ。(591-592)
織物製造業が、ここでは直接に批判の対象とされている。反聖職者主義者でヴォルテール主義者だったパトロンたちは、日曜の朝も労働者を働かせ、労働者階級はこの地方で一番先に非キリスト教化された者たちのひとつだった。(714)
ラ・ブリュイエール『人さまざま』第十章《人間について》・・・「何やら野獣のごときものが見える。雄もあり雌もあって、野良に散らばっている。黒きもあり、鉛色なのもあり、いずれも陽に焼けている。大地にへばりつき、その絶ちがたき執拗さをもって、掘りかつ耕している。その声には何やら音節がある。腰を起こしたところを見ると人の顔をしている。いや、それは本当の人間だった。」(717)
オメー氏は、伝統的には田舎の商店主の視野の狭い反聖職者主義の軽蔑的な意味合いを持った好例として示されてきたし、そしてこうした肖像はカトリックの護教論に十分役立ってきた。護教論にとって重要なのは、それが俗物的無神論と粗雑な唯物論の変種であるということだった。(732)
トリエント公会議以降の教会は、世界を広大な瞑想の場である修道院にしようと望んだ。カルメル会修道女の敬虔さを押しつけようとして、教会は一方でイエスの幼な子聖女テレーズを生みだし、他方で別の場所に自己実現を求めようとする数百万の不信仰者を生み出した。それというのも、天国に備えるよりも、この世でやらなければならないほかのことがある、と彼らは考えたからだった。19世紀の無神論はかなりの程度トリエント公会議移行のキリスト教の産物である。(747)
こうした《くそ坊主ども》による《遺体泥棒》は、死にゆく者の心理という問題を提出した。自由思想家によれば、司祭たちは人生の最後の瞬間の精神的機能の弱体化を悪用した。(765)
その証明をモワニョーは1863年、『無限数の不可能性、およびそこから生じる諸帰結について。近年世界に起こった事柄に関わる教義の数学的証明』で行った。人類は6000年前に創造され、ノアの大洪水は4205年前に起こったことを、誤りのない仕方で証明したのである。さらに1902年には、ルネ・ド・クレレが『神の存在の数学的必然性』を公刊したが、添えられていたのはモワニョーのものと同様まったく根拠のない数字だった。(775)
もっとも極端で、もっとも党派的なキリスト教徒にとって、ルナンは唾棄すべきものとなった。たとえばレオン・ブロワはルナンを「腐った老いぼれの雌牛」扱いしたし、ポール・クローデルはルナンを「サタン」「豚」「司祭職離脱者の筆頭」扱いし、「体が真ん中から裂けて死んだ」ユダにたとえた。(800)
現代哲学のオリジナリティーが存するのはまさにこの点においてである。哲学者はいきなり無神論に身を置いた。もっともこの無神論は、「全面的な否定から絶対的な無関心」に移行した無神論である。18世紀においてそうだったように、一風変わった幾人かのリベルタンの立場であるどころか、無神論は共有され、なんの媒介もなしにほとんど自明の立場となったのだ。(902)
大衆レジャーの到来は根本的な役割を果たした。かつては敬虔な祈りと休息のためと厳密に定められていた安息日が、大発行部数を誇る出版物、映画、サッカー、テレビで満たされるようになった。(936)
実際イエス=キリストから2000年たってもっとも驚くべきことは、まさしく解決されもしないのに、神の存在の問題が二次的なものになってしまったことである。神がいようがいまいが、この世界でどれほど違いがあるのか。誰ひとりとしてもはやあえて証明しようとも、反論しようともしないほどなのだ。(948)
青年期は、社会に人格を同化させる時期である。ところが社会のほうは世俗化されているために、聖なるものが何を意味するのか表現される機会はほとんどあたえられず、若者は消費社会によってつくりだされた、とりわけ映画やスポーツのスターたちといったさまざまな《アイドル》に向かうことになる。(961)
無神論と信仰とはしたがってかつて以上に緊密な立場であるかのように思われる。というのも、両者はともに世界についてのグローバルな主張をもっているからである。両者はともに生きながらえるか、さもなければ、ともに滅び去るだろう。(976)
依然として神、アラー、ヤハウェが話題となったとしても、何も変わりはしない。というのも、ディスクールの内実はもはや宗教的ではなく、政治的・社会的・心理的なものとなっているからである。聖なるものは廃れ去った。19世紀には神の後継者ときわめてはっきりと見なされた人間さえも、その跡を継がなかった。人が神をどのように扱い、どのように操り、どのように虐待しているかを見るだけで、人類が神と祭り上げられはしなかったことがただちに納得できよう。もろもろの価値すべてに及ぶ壊滅のなかで、ただひとつなにものにも還元されない聖なるもの、《わたし》だけが残っている。(984)
「キリスト教無神論を知らなければ、キリスト教を理解することはできないし、キリスト教が生んだ近代理念とその変貌を理解できない」・・・「無神論を知ることは、神を知ること」なのだ。これは無神論を、キリスト教の神の補完物とする典型的な議論であろう。(995)
非常に長い本だったが、とても興味深く読み終えた。無神論とは、教会側としては、粗野で、酒飲みで、非理性的な・・・というイメージを付与し、大切に守って行きたいものであるのだが、実際には、キリスト教の発展においては無神論者(その時々においてそれが指すものは異なるが)たちこそが、信仰を発展させてきた傾向は否定できない。19世紀末の、教会が嫌うニーチェや、マルクスのように、あるいは「神の死」を宣言し、あるいは宗教を断罪する人たちがいるころまでは、無神論は生きていたし、同時に信仰も生きていた。だから、彼らは神の死を最初に宣言した人たちであるどころか、むしろ最後に無神論者でありえた人だった。
しかし、人間自身を讃え、その存在に酔いしれようとしたとたんに、20世紀の悲劇が立て続けに起こり、またフーコーによって「人間」もまた「神」と同様に、「創造」された概念であると暴かれ、後継者となりえなかった。ところが、その大論争が終わったいま、もはや、その対立すら存在しない。無神論者はもういない、10億人を超える無神論者は、もはや自らの正当性を主張する必要もない。
ちなみに、19世紀末の無神論にも(というか、この言葉はほぼすべてを指すことが出来てしまう)いろいろある。好きの反対は、って話でいうと、ニーチェの「神は死んだ」は、明らかに「ママなんて大っ嫌い」なほうであって、マルクスは「桐島?・・・しらね、休みちゃう」なわけだ。ニーチェはキリスト教の低俗さに吐き気を催し、怒るが、マルクスは宗教を道具として使っている支配者層に怒る。ニーチェ的無神論は今ではもう生き延びていない、さらにいえば、こういうひとは、容易にカトリックから「本来は信仰者である無神論者」として取り込まれうるだろう。
さらにどうでもいいことを書くと、現代マスカルチャーにも大きな二大潮流があり、ドラマを見る層はそこに代理宗教を求めないが、アニメを見る層はそこに代理宗教を求める。
かなり分厚いが、高校の先生が書いたものらしいというべきか、読みやすい。概説であることを目指しているため、19世紀後半が思いのほかさらっと流されたり、20世紀前半がすっ飛ばされている感あったりもあるが、思えば2000年を超える無神論の歴史は非常に血湧き肉踊る物語だった。

