『ナボコフの文学講義』 ウラジーミル・ナボコフ | とある文学徒の日常
- ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)/河出書房新社

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これは非常に面白かった。上は、まだ読み切ってないので後ほど。下で講義されるのは。スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』、プルーストの『失われた時を求めて』、カフカの『変身』、そしてジョイスの『ユリシーズ』。20世紀最高の文学作品としての評価が確定している二つの長編と、間違いなく歴史的な一つの短編に紛れ込む、場違いな奴。フランス料理のフルコースの前菜として、激しく上手いケバブが出てくるくらい変な取り合わせ。そういった本の組み合わせそのものが、ナボコフの非常に独断的な文学的嗜好を示している。(ナボコフ曰く、ドストエフスキーは感傷的な二流の探偵小説家とか)
全うな文学教授なら絶対に言わない、言えないことを、ぽんぽん言っちゃう。(カフカと比べるとリルケなんて石膏像だ、とか。)
とはいえ、実作者が好きな事をペラペラしゃべっているだけではない。ナボコフは作家として一流であるだけでなく、読者としても超一流なようだ。凡百の文学教師ならば、作家の生い立ち、思想、文学理論を駆使して、滋味豊なごちそうを、淡泊きわまりない精進料理に変えるところを、ナボコフは徹底して小説だけを見る。その作品を目を皿にして何度も何度も再読することで、ようやく、20世紀最高の傑作と目される小説群を読むことが出来るのだ。
となると、上よりも明らかに熱の入った講義であることもうなづける。19世紀作家が如何に偉大であろうとも、20世紀に小説を書くナボコフにとっては、20世紀作家を語ることの方がより楽しかったろう。オースティンとかは別にやりたくなかったけど、勧められたからしゃあなしにやったとのことだし。フロベールは面白いとしても、割と普通な講義だった。
同時代の作品を読み解くときにこそ、ナボコフが如何に小説を読み、そして書くのかということが見えてくる。ジョイスの『ユリシーズ』分析などは、外の世界を一切排し、フロイトなんかも当然無視し、地図上に登場人物たちの道筋を引くことから読解を始める。明らかに、初読者のための読解法ではなく、「如何に名作を再読するか」という方法論だ。その意味でも、本を読むことは出来ない、再読するだけなのだ。

