『ワーグナーとニーチェ』 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ | とある文学徒の日常
- ワーグナーとニーチェ (ちくま学芸文庫)/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

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研究者やニーチェ、ワーグナー大好きって人なら楽しめるでしょう。僕にとっては大して面白い本ではなかった。ニーチェの著作に関しては興味は尽きないが、彼の交友関係や「あまりに人間的な」面なんかはそんなに興味がない。ニーチェがワーグナーの使い走りのような役をしていたこととか、ワーグナーにいつごろまでは心酔していたかなど、確かに重要な点は多いのだが・・・
最大の問題点はやはり、著者なのだろうか。決して読みにくい本ではないし、むしろ非常に読みやすい。文章家としては十分な力量の持ち主であろう。ただ、ディースカウ氏バリトン歌手。失礼を承知で言えば、ワーグナーとニーチェに関する本を書くだけの資格が無かったのではないか。ワーグナーとニーチェの交友を音楽を中心にとらえている点が、勉強になったし、分量としてもなかなかのものを書いている。しかし、どうも表層をすらすら流れているような印象が否めない。二人の交友を眺めながらも、どうも深くは入り込めない。音が聞こえても意味が分からない対話のよう。
ワーグナーの音楽に関しても、ニーチェの作品に対してもほとんど本質的な言及はなく、どこか表層的な事実のみをなぞるかのよう。伝記的事実から離れないようにしたかったのかもしれない。ただ、実際のところ、ディースカウ氏に二人の関係について本質的記述を物すだけの力がなかったのではないか。それは別に彼を貶めるものではなく、哲学畑の人間でないのだから当然のところ。音楽家として、見えるところのものを書いたのであろう。
だから、どうも、平板に思える。ニーチェの著作のワクワク感も伝わらないし、ワーグナーの音楽の(知らないけどたぶん)衝撃も伝わらない。二人の世界にどっぷりとつかったことのある読者が読むべきであって、そうでなければ退屈な読書になってしまうだろう。
天才といわれる人物の伝記を、読んで面白いものとするのは大変だろうとは思う。ディースカウ氏もおそらくは大それた願望を抱いてこの本を書いたわけではなく、自分の力の及ぶ範囲で書くことだけに専念したのだろう。
いわゆる文学作品と伝記との「面白さ」の差っていうものを考えるにはもってこいの本。ニーチェもサルトルもヴァレリーもそういう観点ではえげつないくらい面白いのに、易しく書かれたこれらの伝記作品にはどうしても生気が宿らない。生気が宿らない文章を読むのは・・・正直苦痛。
ただ、読んでいる途中はそんな考えは浮かばないんだけど。というか一度読んだ本を諦めるのが惜しいからその考えを抑圧しているんだろうな。

