ハイデガー「存在と時間」入門 (講談社学術文庫)/岡本 宏正

¥1,050
Amazon.co.jp
まだ半分しか読み終わってませんが、内容が濃いのでまず一回まとめます。
そもそもハイデガーの『存在と時間』をこの前買ったんです。前々から読みたかったんですが、ちょっとハードルが高くて。でも、まだまだ不安しかないので、さらっと入門書で予習です。
存在への問い
金閣寺に行こうとして道に迷った場合をお考える。その時人は、①他のひとに尋ねる ②金閣寺への行き方を知る ③実際に金閣寺の前に立ち、その美しさを問い確かめる
という手順で問うとする。
①「問いかけられるもの」は地元の人
②「問われているもの」は金閣寺への行き方
③「問いたしかめられるもの」は金閣寺の美しさ
となる。
ここで、金閣寺のところに「存在」を入れたらどうなるか。
②「問われているもの」は存在
③「問いたしかめられるもの」は存在の意味
であるが、①「問いかけられるもの」は何か?これが、存在者である。これがハイデガーの図式。
存在者ってものはわたしが語るもの、考えるもの、関係を持つものすべてがそうであり、わたし自身もそうだということ。
ここでハイデガーは次のような言葉を作る。
「私たち自身がそのつどそうであるところの、問うという存在可能性を持った存在者」のことを「現存在」と名づける。問うという行為を知るためには、問うという行為の唯一なしえる「現存在」について知ることが先決となる。ここからハイデガーが始まる。
道具的存在者と事物的存在者
ここはなかなか面白い。サルトルなんかがよく言っていたように思う。眼鏡は道具として十分に役割を果たしているときには、ほとんど存在を意識されない。入れ歯もそう。そう考えてみると、ものっていうものは役割を十分に果たせば果たすほど、その存在は薄くなっていく。
小学生のころよく鍵を忘れて家の前で何時間も待っていたことがあった。その時の「鍵」と「ドア」の存在感は時が経つにつれてますます大きくなっていく。ドアは普通は全く意識されない。ところが、鍵を忘れた瞬間、ドアは鉄の板としての、事物的存在者としてのドアを全面に出してくる。
眼鏡もそう。眼鏡を変えて2週間ほど経ってから、以前の眼鏡をかけてみるとレンズの傷が目について仕方ない。世界が透明ではなく、傷だらけの、埃っぽいものに見えてくる。道具としての役割を果たせなくなったとき、急に道具は自己主張を始める。
ところで、道具的存在者について見てみると、あることが分かる。ハンマーは釘を打つために存在し、釘を木と木を固定するために存在し、木は屋根を作るために存在し、屋根を雨を防ぐために存在する。結局のところ、→の終着点は「現存在」つまり人間になる。人間への配慮がこの世界を作っている。
こう見てくると、世界観がガラッと変わりうる。
子供のころ、全世界は自分のために作られた映画のようなものだと思っていた時期がありましたが、それが回りまわって一理あることになる。「現存在」なくして、世界はなりたたない。(もっともこの時の世界っていうのは、通常使う意味での世界とは異なるので注意が必要)
そして、ここで現実の世界を見て見ると。ほとんどの人間は自分の存在について一日中思い悩むなんてことはない。仕事に忙殺され、スポーツを楽しみ、なんのことはない会話で時間を潰す。パスカルからは断罪されそうなこれらのことを、ハイデガーは「自己喪失」と呼ぶ。ただ、これは別に断罪しているわけではないそう。それが人間の姿。他の人間との関わりあいのなかで生きていく。ここで、注意しておきたいのが、この「共存在」っていうのは道具的存在のありかたと近い。
で、ちょっと違うような気もするけれども、考えを進めると。人間は何かしら人に認められたがっている、つまり道具的存在者として生きることが、とっても楽で、いい生きかた。人には感謝されるし、それ以上に尊敬を受ける。人とのつながりの中で存在感を増すことは基本的には嬉しいこと。ブログのアクセス数が増えると嬉しいし、読者数が増えるともっと嬉しい。
で、ハイデガーはそれを積極的に捉えるらしい。まだ途中なのでなんともいえないが、これこそシンジ君が直面していた最大の問題。シンジ君がハイデガーを読んでいたら、世界は変わったかもしれない。

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そもそもハイデガーの『存在と時間』をこの前買ったんです。前々から読みたかったんですが、ちょっとハードルが高くて。でも、まだまだ不安しかないので、さらっと入門書で予習です。
存在への問い
金閣寺に行こうとして道に迷った場合をお考える。その時人は、①他のひとに尋ねる ②金閣寺への行き方を知る ③実際に金閣寺の前に立ち、その美しさを問い確かめる
という手順で問うとする。
①「問いかけられるもの」は地元の人
②「問われているもの」は金閣寺への行き方
③「問いたしかめられるもの」は金閣寺の美しさ
となる。
ここで、金閣寺のところに「存在」を入れたらどうなるか。
②「問われているもの」は存在
③「問いたしかめられるもの」は存在の意味
であるが、①「問いかけられるもの」は何か?これが、存在者である。これがハイデガーの図式。
存在者ってものはわたしが語るもの、考えるもの、関係を持つものすべてがそうであり、わたし自身もそうだということ。
ここでハイデガーは次のような言葉を作る。
「私たち自身がそのつどそうであるところの、問うという存在可能性を持った存在者」のことを「現存在」と名づける。問うという行為を知るためには、問うという行為の唯一なしえる「現存在」について知ることが先決となる。ここからハイデガーが始まる。
道具的存在者と事物的存在者
ここはなかなか面白い。サルトルなんかがよく言っていたように思う。眼鏡は道具として十分に役割を果たしているときには、ほとんど存在を意識されない。入れ歯もそう。そう考えてみると、ものっていうものは役割を十分に果たせば果たすほど、その存在は薄くなっていく。
小学生のころよく鍵を忘れて家の前で何時間も待っていたことがあった。その時の「鍵」と「ドア」の存在感は時が経つにつれてますます大きくなっていく。ドアは普通は全く意識されない。ところが、鍵を忘れた瞬間、ドアは鉄の板としての、事物的存在者としてのドアを全面に出してくる。
眼鏡もそう。眼鏡を変えて2週間ほど経ってから、以前の眼鏡をかけてみるとレンズの傷が目について仕方ない。世界が透明ではなく、傷だらけの、埃っぽいものに見えてくる。道具としての役割を果たせなくなったとき、急に道具は自己主張を始める。
ところで、道具的存在者について見てみると、あることが分かる。ハンマーは釘を打つために存在し、釘を木と木を固定するために存在し、木は屋根を作るために存在し、屋根を雨を防ぐために存在する。結局のところ、→の終着点は「現存在」つまり人間になる。人間への配慮がこの世界を作っている。
こう見てくると、世界観がガラッと変わりうる。
子供のころ、全世界は自分のために作られた映画のようなものだと思っていた時期がありましたが、それが回りまわって一理あることになる。「現存在」なくして、世界はなりたたない。(もっともこの時の世界っていうのは、通常使う意味での世界とは異なるので注意が必要)
そして、ここで現実の世界を見て見ると。ほとんどの人間は自分の存在について一日中思い悩むなんてことはない。仕事に忙殺され、スポーツを楽しみ、なんのことはない会話で時間を潰す。パスカルからは断罪されそうなこれらのことを、ハイデガーは「自己喪失」と呼ぶ。ただ、これは別に断罪しているわけではないそう。それが人間の姿。他の人間との関わりあいのなかで生きていく。ここで、注意しておきたいのが、この「共存在」っていうのは道具的存在のありかたと近い。
で、ちょっと違うような気もするけれども、考えを進めると。人間は何かしら人に認められたがっている、つまり道具的存在者として生きることが、とっても楽で、いい生きかた。人には感謝されるし、それ以上に尊敬を受ける。人とのつながりの中で存在感を増すことは基本的には嬉しいこと。ブログのアクセス数が増えると嬉しいし、読者数が増えるともっと嬉しい。
で、ハイデガーはそれを積極的に捉えるらしい。まだ途中なのでなんともいえないが、これこそシンジ君が直面していた最大の問題。シンジ君がハイデガーを読んでいたら、世界は変わったかもしれない。