聖ユルゲンにて・後見人カルステン 他一篇 (岩波文庫)/シュトルム

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ドイツ文学って感想書きにくいんですよね、全般的に。岩波文庫化されているドイツの作品とかとくにそう。どちらかというと小粒の作品が多い。時代が下るにつれ特にその傾向が強くなる。短編なんかで上手くまとまった作品は多いのだけど、世界文学に名を残すような作家が正直ぱっと出てこなくなる。
と、そんな印象を持ってしまうドイツ文学ですが、そもそもドイツ文学って垣根が不明確。ドイツなんてもともとなかったしね。早くから国の形がはっきりしていた国とそうでない国では文学の流行も違いそう。イタリアとかもそんな気がする。と思うと、なんだかんだ国力って大事。
シュトルムさんは、1817年北ドイツの海沿いの町フーズムに生まれた。今でもデンマークとの国境近くにある町だが、当時はデンマークの統治下だったそう。あの牛のホルスタインの生まれ故郷あたりです。
幼いころからラテン語学校で学び、大学では法学を勉強し、第二席で卒業。ドイツ各地で判事を務め、さらには知事にまでなる。その一方でデンマーク統治に反発したかどで仕事を失ったりと、結構現実界に住んでいた人。
10代から抒情詩を書き始め、長ずるにつれ、その作風がリアリスティックになっていくらしい。ちょうどバルザックとゾラの間ぐらいの世代だから時代の流れを敏感に感じ取っていたのかもしれない。一編が100ページほどの短編とも中篇ともつかぬ作品が三つ、本書には収められています。
短編なので当然ともいえますが、完成度は高い。描かれるのは市民階級の人々。自分の才覚で細々とした財をなし、それを子供に食いつぶされるという構図が多い。これは実際の子育て上の悩みが反映されているとの見方も出来るとか。
それにしてはなんか、無駄に悲しい。英雄的な悲しさである、悲劇の悲しさとは別の、いわばゾラの悲しさ。没落を描くんですが、まったく悲劇的でない。
没落を描くってことは、英雄にふさわしいものだった。と、思う。それが19世紀の作品では、庶民の没落っていうのが描かれることが多い。そこには全く悲劇性はない。没落の原因は享楽的な性格であったり、時代遅れの頑固さであったりと自らに帰されるもの。ギリシャ以来の不可避的な運命による没落とは別物。だから平凡な庶民の生活を描き、その些細な幸福と、これまた些細な不幸を語ることに何の意味があるのか?という疑問は当然のものではないかと思う。
小市民であるシュトルムが小市民の物語を描いたってことはそれはそれで大事かも(もちろんラテン語の教養と、文学的天稟はあったにしろ。)。芸術家を主人公にした小説は、その上を向く主人公の視線が読者に伝わってくるという点が最大の魅力でもある。それを描けないこの手の作品の場合いかに描くのか。ゾラたちにも共通の課題だったのだろう。

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ドイツ文学って感想書きにくいんですよね、全般的に。岩波文庫化されているドイツの作品とかとくにそう。どちらかというと小粒の作品が多い。時代が下るにつれ特にその傾向が強くなる。短編なんかで上手くまとまった作品は多いのだけど、世界文学に名を残すような作家が正直ぱっと出てこなくなる。
と、そんな印象を持ってしまうドイツ文学ですが、そもそもドイツ文学って垣根が不明確。ドイツなんてもともとなかったしね。早くから国の形がはっきりしていた国とそうでない国では文学の流行も違いそう。イタリアとかもそんな気がする。と思うと、なんだかんだ国力って大事。
シュトルムさんは、1817年北ドイツの海沿いの町フーズムに生まれた。今でもデンマークとの国境近くにある町だが、当時はデンマークの統治下だったそう。あの牛のホルスタインの生まれ故郷あたりです。
幼いころからラテン語学校で学び、大学では法学を勉強し、第二席で卒業。ドイツ各地で判事を務め、さらには知事にまでなる。その一方でデンマーク統治に反発したかどで仕事を失ったりと、結構現実界に住んでいた人。
10代から抒情詩を書き始め、長ずるにつれ、その作風がリアリスティックになっていくらしい。ちょうどバルザックとゾラの間ぐらいの世代だから時代の流れを敏感に感じ取っていたのかもしれない。一編が100ページほどの短編とも中篇ともつかぬ作品が三つ、本書には収められています。
短編なので当然ともいえますが、完成度は高い。描かれるのは市民階級の人々。自分の才覚で細々とした財をなし、それを子供に食いつぶされるという構図が多い。これは実際の子育て上の悩みが反映されているとの見方も出来るとか。
それにしてはなんか、無駄に悲しい。英雄的な悲しさである、悲劇の悲しさとは別の、いわばゾラの悲しさ。没落を描くんですが、まったく悲劇的でない。
没落を描くってことは、英雄にふさわしいものだった。と、思う。それが19世紀の作品では、庶民の没落っていうのが描かれることが多い。そこには全く悲劇性はない。没落の原因は享楽的な性格であったり、時代遅れの頑固さであったりと自らに帰されるもの。ギリシャ以来の不可避的な運命による没落とは別物。だから平凡な庶民の生活を描き、その些細な幸福と、これまた些細な不幸を語ることに何の意味があるのか?という疑問は当然のものではないかと思う。
小市民であるシュトルムが小市民の物語を描いたってことはそれはそれで大事かも(もちろんラテン語の教養と、文学的天稟はあったにしろ。)。芸術家を主人公にした小説は、その上を向く主人公の視線が読者に伝わってくるという点が最大の魅力でもある。それを描けないこの手の作品の場合いかに描くのか。ゾラたちにも共通の課題だったのだろう。