暑いくらいの年末年始と思ってたけど
関西に戻ってきた2日の晩は
寒さにびっくりしましたバイキンくん

そして羽田の事故。
最初見た時、
能登地震による火事が長引いてるのかと
思ったけれど、全然別件か…!と。
年始からこわいニュースが続きますね…。

1日に妹が羽田を使っていたので
巻き込まれずほんとによかったと思う。


少し話が戻りますが、
31日宴会の席で
お酒の酔のせいもあるかもしれないけれど
父がとても気弱になっていた。
昨年、前立腺がんが分かっています。

主治医とうまくいってないけど
自分一人だけで会い、
でも対話は全然できてない様子で
殆どを
ネット情報を頼りに考えてるようでした。
視野が狭くなってしまってないかと思うのと
合わない先生と会って話す時に
嫌な思いを少しでも減らせるように
誰かを同席させたらいいのにと思ったけど
それも望まないという感じでした。

自分に足りない面も理解はしてるようで
それでも人を頼らないのは
今までの人生が作ってきた性格や
色んな思いがあるのかもしれないけど
見ていて孤独で
父が弱気な根本は、
その寂しさなんじゃないかと
少し思ったりもした。

「10年生きれればいい」
と会話の中で何度か言っていて、
弟はそれをとても怒っていた。
私もそんなこと
周りに公言する必要なんてないと思う。

今回立て続いた災害や事故もそうだけど
人がいつ死ぬか分からないのは
がん患者であっても普通の人でも一緒で
がん患者は
それが少し見えやすくなってはいるけど
だからって
私で言えば「あと5年生きれればいいか」
とか、そんなこと思ってもないけど
周りも自分も苦しくなるそんな言葉
公言する必要なんてないし、
ただ毎日普通に大切に生きようよと思う。


私が診察に同席しようかとは言ったけれど、
父は無言だった。
九州と関西の距離は
多分父も引っかかったろうし
私自身、年始の予定を考えると
100%の気持ちで提案できてなかったと思う。
一緒に住む弟がついて行こうかと
言ったけれど拒絶。
兄が最適と思うけれど、
多分忙しいだろうというのは
帰宅してしまった後、想像でしかない。

孤独にならないでほしいと思う。
2-3時間に及ぶ話の中心にいた弟が退席し、
解散となった時、おっとが
「皆お義父さんのこと心配してるんです」
といってくれて、
シンプルだけど有り難かった。

そんなおっとだけど、
関西について、あとちょいで家。
さあ義実家へ行こうかって時に
喧嘩というか、一方的に怒っていた。
夫婦喧嘩は犬もくわないというので
内容は割愛するけれど、
長距距離移動の疲労や、
帰り際に父から
「〇〇(私)を頼む」と言われたことが
実は重荷になってるんじゃないかなとか
激怒するおっとの話を聞きながら
少しよぎった。
でもおっとが怒ってる内容は
完全な八つ当たりという認識です笑真顔


がん患者本人や、その側にいる人たちの
おもいを考える年始でした。