結論から言うと、大学受験では早稲田は受けず、国立には滑り、関西のとある私立大学に進学することになった。センター試験後に早稲田を受けると一度は決めたが、なにか良心の呵責のようなものを感じた。「両親は貧しい家庭を子供たちのために切り盛りしてくれているのに、お前は何て自分勝手なやつなんだ」という、自分の心の声が聞こえた。
その後、母親との間のちょっとした出来事が引き金となり、僕は彼女の目の前で、早稲田の願書をゴミ箱の中へ力一杯投げつける、というデモンストレーションをやることになる。こうして東京方面への進学は諦めた。
今思い返せば、ここから僕は、少しおかしくなっていったかもしれない。思考がどんどん短絡的になっていった。ちょっとしたことにむかつくようになった。受験勉強はしようと思っても集中できず、やがて放り出してしまった。「どうせ第一志望は諦めたんだから…」。どんどん自虐的になっていった。
国立には前期後期とも滑った。ずっとA判定が出ていて、その大学のオープン模試では学部の成績優秀者名簿に名前が載るくらいだったが、1ヶ月以上まともに勉強に集中できなかったのはやはり痛かった。本番で得意の数学(これも優秀者名簿に載る点数を取っていた)で計算が合わずパニックになり、そこから立て直すことができなかった。むしろ、建て直そうとも思わなかった。もうどうにでもなれ!という言葉がこのときの僕の気持ちを表すのに、これ以上無いくらい適切だ。
国立には滑った。しかし関西の私立大学を二校受けており、そちらは受かっていた。だからそのうちの一つに行くことにした。
───(続く)
その後、母親との間のちょっとした出来事が引き金となり、僕は彼女の目の前で、早稲田の願書をゴミ箱の中へ力一杯投げつける、というデモンストレーションをやることになる。こうして東京方面への進学は諦めた。
今思い返せば、ここから僕は、少しおかしくなっていったかもしれない。思考がどんどん短絡的になっていった。ちょっとしたことにむかつくようになった。受験勉強はしようと思っても集中できず、やがて放り出してしまった。「どうせ第一志望は諦めたんだから…」。どんどん自虐的になっていった。
国立には前期後期とも滑った。ずっとA判定が出ていて、その大学のオープン模試では学部の成績優秀者名簿に名前が載るくらいだったが、1ヶ月以上まともに勉強に集中できなかったのはやはり痛かった。本番で得意の数学(これも優秀者名簿に載る点数を取っていた)で計算が合わずパニックになり、そこから立て直すことができなかった。むしろ、建て直そうとも思わなかった。もうどうにでもなれ!という言葉がこのときの僕の気持ちを表すのに、これ以上無いくらい適切だ。
国立には滑った。しかし関西の私立大学を二校受けており、そちらは受かっていた。だからそのうちの一つに行くことにした。
───(続く)