やっと止まった、と見る人もいる。

 1492試合連続で全イニング出場し、世界記録を更新中だったプロ野球・阪神の金本知憲選手(42)が、先発メンバーから外れた。

 自ら申し出たという。

 このところチームの足かせになっていた。

 故障で打率は1割台、守備では狙い打ちされた。

 そんな状態に腹を立てる人はいたし、彼のファンとて痛々しく見ていたことだろう。

 米大リーグでは、故障で休むどころか、故障しないために休むのが常識だ。

 それがチームのためだし個人のためでもある。

 日本でも、連続出場より結果を残す方が求められる。

 会社勤めだって、皆勤しても給料が上がるわけはない。

 それでも彼が出続けるようになったのは、チームのためだった。

 故障者が続出した広島時代、何があっても試合に出ることが主力の責任であり、ファンのためでもあると考えたという。

 出場はあくまでチームのためで、記録はおまけにすぎない。

 そんな意識の強い彼にして、本末転倒になりかけた。

 それでもぎりぎりのところで踏みとどまったのは、誇り高き人だったからだろう。

 しかし世の中、そんな人ばかりではない。

 例えば政治家たち。長く務めるだけで年金がもらえる奇妙な世界で、議員であるということが目的になってはいないだろうか。

 本末転倒になりながら平気でいられる人には、金本選手の値打ちは分からないだろう。
食肉の生産現場を撮った外国記録映画を以前見た。

野菜や果物の収穫と同様に肉も淡々と製品化される様子を伝えていた。

タイトルは「いのちの食べかた」だった。

時々思い出す。

ニワトリの飼育から食肉解体までを実習で体験し「いただく」ことの意味を学ぶ高校生がいることを知った。

ヒトのいのちのためにほかのいのちをいただく。

米や野菜なども含めて、私たちの「食」は昔も今も、いのちの循環なしには成り立たない、と知れば「いただきます」が自然に出てくる。

あの映画を先日も思い出した。

和歌山県太地町に伝わるイルカ漁を撮った米映画「ザ・コーヴ」が米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

「日本人はイルカも食べている」という目で撮っている。

「日本人はクジラを食べる。魚ではないのにかわいそう」式の批判が続く中での受賞だ。

隠し撮りの面白さが受けたとも聞く。

捕鯨でも知られた太地の人が、クジラや鯨類のイルカを畏(い)敬(けい)の念をもっていただいてきた歴史には触れるはずもない。

いただくいのちは地球上の土地土地で違う。

奇異な目や好奇の目から無縁でいられる国・地域は多くはない。

違いをまずは認め合う。

それがグローバル社会のルールだろう。

欧米の価値観が優先する時代は終わった。

食文化に限らないから、構えた言い方になってしまった。
 始まりは愛知県のある小学校の児童761人だった。

 募金箱を置かせてもらったり街頭に立ったりして集めた15万円で、その雌犬「サフィー」は盲導犬候補となった。

 子犬時代の10カ月間は、ボランティア家庭で愛情込めて育てられた。

 真っ黒なつぶらな瞳のいたずらっ子は、中部盲導犬協会で1年近くの厳しい訓練を受け、やがて静岡県の視力障害のある男性に引き渡された。

 「レッツゴー・サフィー」(井上夕香、ハート出版)には、サフィーのその後も記されている。

 サフィーは男性の心の支えになっただけでなく、地域社会にも貢献した。

 小学校に一緒に出かけては、子どもたちに囲まれて「社会」の勉強を教えていたという。

 しかし6歳の時に事故は起きた。

 2005年9月、横断歩道を渡っていてトラックに突っ込まれた。

 男性は大けが、サフィーは即死。

 サフィーだけなら逃げられたと思うが、そうはしなかったのだった。

 そのサフィーを訓練・無償貸与した協会が、運転手らに損害賠償を求めた訴訟の判決が、先週あった。

 名古屋地裁は約290万円を支払うよう命じた。

 育成費という形だが、その犬の価値を裁判官が認めた。

 犬は法的には一般に「物」として扱われるが、ただの物でないことは、サフィーにかかわった大勢の人だけでなく、犬を飼ったことのある人なら誰でも知っている。

 サフィーとはスワヒリ語で「美しい」を意味するそうだ。

 犬がとった美しい行為に、少しは報いることができただろうか。