ムエタイの触感はリカルドロペスっぽい〜ムエタイを考える | おおおかのボクシングBLOG

おおおかのボクシングBLOG

ボクシング・格闘技観戦後の感想がメインです。

ブログランキングに参加しています。クリックお願いします。

まず、ムエタイとロペスのフォームは違います(この説明は長いのでパス)けど、ジャブがちょっと近い感じがするんです。

リカルド・ロペスの左手は少し前に出ていますね。
(これも位置を顎もとに置いてる時と違う時がある。時間をズラす技術なのだろうか?)
{F2D1E9B9-6915-4F82-82FB-646D03BD20FB:01}
タダでさえ早いパンチを持つロペスがノーモーションで見えづらくさせ尚且つ、
相手選手より短距離で競争して当てに行ける。
当然、戻る距離も短い。
懐がより深く感じる。
リストだけ押し込んで返す形のパンチでガチンという痛みを与えていく。
まあ、こういう事が出来るということは、他にも色々なジャブが打てる。
相手は、迷いが生じる。
その結果、制空権を奪う。

まあ、これでダメージを与えるためには、手首・リストの強さが必要でしょうね。
友達Yは、ロペスのジャブが好きで、語ってた。
「軌道する距離を変えて、時間軸をずらす。
早く打つだけを意識していたら慣れてしまう。
意識の無いタイミングで当てれるから効く。
ロペスは、心のどこかでしっかり打たなくていい、70%のパンチを当てれればいいって考えてもあると思うんよな。
だから、ロペスと対峙したら左腕を伸ばして距離をキープする形をされるだけで、次は何して来るんやろ?ってなるわ。」と言っていた。
{CA4CAA33-0A22-4BD8-B278-4FE445668B49:01}

ーーーーー

この話、すごくムエタイの選手の前手の使い方の話に近いと思うんですよね。
ムエタイでは、前手を「触角」という言い方もしますからね。

ーーーーー
そんなわけで、ムエタイの発展した背景を考えながら書いてみます。

ムエタイって、昔はガンガン蹴り合い、殴り合っていたらしいです。
第一次世界大戦への参戦のために武器を大量に購入することが必要となってきた。
その資金捻出のために国王ラーマ6世がムエタイのトーナメントを開催した時代(⬅︎この文は、ウィキペディアを参照)のタイ国は、シャムと呼ばれる国の時代で、西洋諸国の植民地として侵略される危惧もあった。
はっきりいって、部族ごとの思想もバラバラだった。
それを我が国の国技「ムエタイ」を国家の象徴的シンボルに用いて、国家統一の向きに持って行ったと聞いた事がある。

多分、この頃あたりが、倒すか倒されるかの激しいものだったと推測します。(なんか、WOWOWで見たピストン堀口さんのノンフィクション番組を思い出す。ナショナリズムを煽る方法論といいますか…)

でも、それも70年代までの時代で変わったのだろうと思う。
戦争の時代でもなくなったのと、テレビの普及で人気が加熱し、ギャンブルも加熱した!
{CB06C5FC-0327-44A7-B054-866A419C0646:01}

だが、タイは上流階級と下級階級の社会的地位の差が激しい。
ムエタイをよりどころにしたのは下級階級の貧困層のものだった。

江戸時代の士農工商では無いが、農民が80%以上ののシェアがあるのと多分同様の比率だっただろう。
その比率の人々が、ギャンブルで賭けたり、スタジアムでチケットを買ったり、テレビを観戦し、あちこちで試合を行うのだ。
これが、タイの国のお金を回す事になる。

タイって、発想も違うんですよね。
「ギャンブルだからスポーツ化してるんだ」って考えの意見もあります。
八百長は永久追放、
スポーツ化して、赤と青のパンツを履かせて演出はいらない。
これが平等だ。
この平等であり、スポーツ化してるのはギャンブルがあるからだ!
って言ってた事を聞いた事があるんですね。

タイでのボクシングの時に、その状況は無い。
ボクサーの地位は、そこまで高くない。
だから、「ボクシングだろ?タイの選手が勝てるように採点すればいいんだろ?」的なものもあるのかな?と考えたりしますねー。
タイでのボクシングの地位が、競技的立場が、ギャンブルで国民のお金が動くようなら違ってたのかな?と思いますね。

ちなみにタイの上流・中流階級の層は、サッカーやセパタクローが好きなんですよね、たしか。
技術的発展、背景の話まで、、たどり着けない。
異論は出てくるかもしれませんが、明日も読んでください。