誰一人取り残さない社会というと、マラソンで例えるなら、1番遅い人に焦点があたる。
一方一番速い人は、すでに優れているから、とくに相手する必要はないと思われがちだ。
しかし、一番速い人に焦点を当てたとき、その人が少し鍛えるだけで国際社会でさらに活躍する可能性があったのに、焦点があたらないことで、平凡なままだったとすると本当に誰一人取り残さない理想の社会が実現できたと言えるのだろうか。
杭を同じ高さにしても、息苦しいだけの社会になる。杭の高さが違っても、それぞれに意味があって、それぞれの役割を果たせることこそが、逆に誰一人取り残さない社会に近づくのではないかと勝手に思っている。