武田信玄公生母大井夫人の眠る古長禅寺(南アルプス市)



皆様いつもご訪問ありがとう御座います
さて溜まった写真の中から今回は山梨の歴史に因んだ写真をアップします

今回記事にしたのは武田信玄公生母大井夫人が眠る古長禅寺です
前からここにはお参りしてみたかったので今回御紹介出来て良かったです

武田信虎(信玄父)と争っていた大井氏は後に和睦し大井信達の娘(大井夫人)
を正室に向え後の戦国大名武田信玄公を産みます

武田信虎との間には晴信(信玄)他定恵院(諏訪頼重室)、信繁、信廉(のぶかど)
等4人の子供を産んでいます。

ではそんな大井夫人の眠る古長禅寺に入って行きます

*一番最後の方に山梨の寺院書庫の記事一覧をまとめてみました



ここが古長禅寺です
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史跡瑞雲山古長禅寺とありました
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古長禅寺の由緒が書かれてありました
夢想国師坐像もあるそうです
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中は静まりかえっていて人影はありません
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本堂に掲げられていた古長禅寺
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お寺さんに行くとこの部分が気になります
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大井夫人墓所と書かれた看板があるので導かれていきます
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「春は花、秋は紅葉のいろいろも、日かずつもりて散らばそのまま」
大井夫人の歌が書かれてあります
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石碑にもなっています
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大井氏の家系図も設置されてありました
この地域の豪族だった事を示しています
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武田大井祖からこの系図は始っています
大井夫人には武田信虎(信玄父)との間には¥4人の子供を授かっています
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大井信達の長女として大井夫人が生まれています
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武田信虎室・瑞雲院殿・晴信母と書かれています
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大井夫人と古古長禅寺という看板がありました
子供には信玄公他、今川義元夫人も、います。
戦国大名2人の母になっていたという事ですね。
正に戦国の世に生きた方だったのが分ります
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こちらが古長禅寺に眠る武田信玄公生母大井夫人のお墓です
沢山の花が飾られてありました
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ちょっと写りが暗くなっていますが、
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お参りを済ませて今度は北側を歩いています
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寺域の東や北側からは土塁の存在も確認され、寺の防御施設や館跡の可能性が
考えられている、と書かれてあったので土塁を確認する為に東側も歩きました
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という事で今回は武田信玄公生母大井夫人の眠る古長禅寺(南アルプス市)
というタイトルで古長禅寺のご紹介を僕なりにしてみました

短い間でしたが戦国の大大名、武田信玄公生母大井夫人の足跡を感じたお参り
になって楽しい時間を過ごせました

何年か前に放送していた大河ドラマ「風林火山」では女優の吹雪ジュンさんが
慈愛に満ちた笑みをたたえた大井夫人を演じていたのを思い出しました。

歴史は好きですが、余り詳しく無いのでお寺や神社など現地を歩く事で歴史ロマン
に浸っています。




風林火山 (NHK大河ドラマ)
大井夫人(おおいふじん)
演:風吹ジュン
信虎の正室、晴信らの母。もとは大井氏の娘で、父が信虎と和解した際の人質として嫁いできた。母として息子たちを導くも、信虎追放を機に出家し、「お北様」と呼ばれるようになった。常に菩薩のように慈愛に満ちた笑みをたたえ、息子達のみならず家臣達の相談相手も務めていた。勘助を重用する晴信を「影を負う者を求めている」と評した。信濃への侵攻を続ける晴信に、信虎の面影を見るようになる。上田原の合戦にて敗れて悄然と帰還した晴信に対し、その心の乱れや慢心を厳しく諌めた。勘助が越後で捕らわれている間に病に倒れ、武田家の行く末を案じながら世を去る。また、信玄(晴信)の弁によれば禰々と諏訪頼重の忘れ形見である寅王丸のことを誰よりも案じていたという。


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                 絹本著色武田信虎夫人像(武田信廉画、長禅寺蔵、重要文化財)
大井の方
大井の方(おおいのかた、明応6年11月17日1497年12月10日) - 天文21年5月7日1552年5月30日))は、戦国時代女性甲斐国守護である武田信虎正室[1]武田信玄(晴信)らの母。大井夫人とも言われ、実名は不詳。剃髪後は武田氏の居館である躑躅ヶ崎館北の御隠居曲輪に移ったことから、御北様と呼ばれる(『甲斐国志』による)。瑞雲院殿。

略歴
甲斐西郡の国衆で、武田氏一門でもある大井信達の娘として生まれる。甲斐守護武田氏と国衆との抗争が続いていた室町・戦国期のおいて、西郡国衆の大井氏駿河国今川氏と結び信直(信虎)との抗争を続けていたが、永正14年(1517年)に信達は信虎と和睦とし、信虎の正室として嫁ぐ大井夫人の輿入れは人質的性格の強い政略結婚であったと考えられている[2]。信虎との間には永正16年に生まれた長女[3]をはじめ、嫡男晴信(信玄)[4]信繁信廉(逍遙軒信綱)を産んでいる[5]。なお、大井氏では嫡男信業らが武田一門として家臣団に加わって三弟と六弟は武藤姓を名乗っている。
のちに岐秀元伯を大井氏の菩提寺である長禅寺に招き、晴信に『四書五経』『孫子』『呉子等を学ばせたという[6]
天文10年(1541年)6月14日に信虎が晴信によって駿河に追放されるが[7]、後も信虎に随行することなく甲斐に留まっている。国主となった晴信は信濃侵攻を開始するが、天文17年(1548年)2月14日には上田原の戦いにおいて大敗するが、敗戦後にも在陣を続けた晴信は大井夫人の説得を聞き入れて帰還したという(『高白斎記』)。
また、時期は不詳だが塩山向嶽庵大善寺への寄進を行っている。天文21年(1552年)5月7日に死去、享年56(『高白斎記』)。法名は瑞雲院殿月珠泉大姉。墓所は巨摩郡大井郷(南アルプス市、旧中巨摩郡甲西町鮎沢)の長禅寺(古長禅寺)であるが、後に長禅寺は信玄により甲府へ移されている。
信廉は武将画家とも知られ甲府大泉寺所蔵の信虎の肖像を書き残しているが、甲府長禅寺所蔵の大井夫人肖像(「絹本着色武田信虎夫人」、重要文化財)は没後の一周忌に信廉によって描かれた供養像で、画中には大井夫人の和歌と信虎開祖の大泉寺住職の賛文が寄せられている[8]

参考文献
  • 柴辻俊六「武田信玄とその一族」『新編武田信玄のすべて』
  • 柴辻俊六「武田氏当主の妻妾」『山梨県史』通史編2中世
関連項目
山号 瑞雲山
宗派  臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
札所等 甲斐百八霊場第八十六番




古長禅寺
古長禅寺(こちょうぜんじ)は、山梨県南アルプス市にある臨済宗妙心寺派寺院山号は瑞雲山。本尊釈迦如来甲府市愛宕町に所在する長禅寺の前身。

歴史
所在する南アルプス市鮎沢は甲府盆地西部に位置する。釜無川右岸の巨摩山地前面に展開する一之瀬台地上に立地する。標高は262メートル付近。古代の律令制下では巨摩郡大井郷鮎沢に比定される。平安時代後期には大井荘が成立し、中世には西郡一帯に勢力をもった有力国衆である大井氏が進出する。
境内地は、もとこの地にあった真言宗寺院の西光寺の跡地であるという。西光寺の創建年代は不詳であるが、行基創建と伝わり七堂伽藍を有したと言われる。西光寺伽藍のうち地蔵堂が残っていたが、大正11年(1922年)の火災で焼失し、現在では一部の墓域のみが残っている。
南北朝時代1316年正和5年)には臨済宗の僧である夢窓疎石[1]が西光寺の一角に長禅寺を創建し、臨済宗に改宗されたという。
高白斎記』『塩山向嶽庵小年代記』に拠れば戦国時代には西郡国衆大井信達が甲斐守護武田信虎と抗争を繰り広げており、大井氏は駿河国今川氏と結び武田氏に対抗した。武田氏との和睦後に信達の娘(大井夫人)は信虎正室となり嫡男晴信(信玄)を産んでいる。長禅寺住職岐秀元伯は晴信の学問における師となり、永禄2年(1559年)に晴信が出家した際には大導師を務めている。
そのため晴信は国主となった後に長禅寺を庇護しており、古長禅寺境内には大井夫人の宝篋印塔など中世段階の石造物が現存している。大井夫人は天文21年(1552年)に死去しているが、晴信は同時期に寺を2分し、そのうち1つを甲府の愛宕山南麓に移転して甲府五山のひとつに定めとしたことから、残されたこの寺は古長禅寺と号した。
2006年平成18年)には山梨県埋蔵文化財センターによる「山梨県内中世寺院分布調査」の一環として境内の発掘調査が実施される。調査区域からは古墳時代中期からの遺物が検出され、平安時代の土器片、近世に至る遺物や基壇と推定される中世から近世の建物遺構が検出されている。また、本堂南側にも未調査の基壇が確認されているほか、寺域の東や北側からは土塁の存在も確認され、寺の防御施設や館跡の可能性が考えられている。

文化財
重要文化財
木造夢窓疎石坐像 - 1983年(昭和58年)6月6日指定
材の寄木造、像高は82.5cm。挿首、玉眼(ぎょくがん)嵌入。黒漆下地彩色。国師中年期の姿で、椅子の上で禅定印を結ぶ頂相である。椅子部分は1924年(大正3年)の火災で焼失している。衲衣の上に袈裟をまとい、衣が膝下に広く垂れ下がっているのが特徴。また、夢窓像特有のなで肩も表現されている。
古長禅寺のビャクシン
頭部内面の墨書銘[2]によれば延文2年(1357年)、南都の大仏師である行成[3]による製作で、夢窓の7回忌に際して造像されたものと考えられている。また、胎内には江戸時代の天保7年(1836年)に修復が行われたことを示す木札が納められている。刀法はやや固いと評されており、県内では甲州市棲雲寺の普応国師像と比較される。
天然記念物(国指定)
古長禅寺のビャクシン

山梨県指定史跡
古長禅寺境内

参考文献
  • 「新指定の文化財」『月刊文化財』237号、第一法規、1983
  • 久野健編『仏像巡礼事典』新訂版、山川出版社、1994
  • 『山梨県内中世寺院分布調査報告書』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第260号、2009.3

 大井夫人 - 西方の一美人―武田信玄の正室三条夫人
明応六年(1497年)誕生。
甲斐国西郡豪族の大井信達の娘で、武田信虎の正室。
武田信玄・信繁・信廉・定恵院の母。
 
大井氏は、室町時代初期に武田家宗家の武田信武から分かれた名族であり、武田大井殿と尊称され、信虎の時代には有力国人層として覇をとなえていた。
信虎の子供の内、信玄・信繁・信廉、定恵院は、大井夫人所生である。
永正六年頃に信虎と結婚。 しかし、大井夫人の信虎の正室としての生活の始まりは波乱含みであった。 大永元年に、長男の太郎を産んだのは、武田軍と福島氏の率いる駿河軍との戦いが集結した一ヵ月後の、要害城(現在の積翠寺)であった。

 信虎にはお西様、他何人かの側室がいたが、大井夫人は名実共に第一の妻として、家中で重きをなしており、信玄や信繁ら息子達にも敬慕されていたようである。 おそらく、寿桂尼が、夫の今川氏親母の北川殿から武将の正室としての様々な振る舞い・心得を教わったように、三条夫人も、彼女から武将の正室としての様々な事を教わったのだろう。

また、天文十七年の二月十四日、上田原の戦いで、武田軍が大敗を喫し、当時上原城に常駐していた駒井高白斎らが信玄の退却を求めたが、なかなか応じようとしないため、 十九日に今井信浦と高白斎が話し合った結果、大井夫人に信玄の説得を依頼した。
 
「高白斎記」によると、母の大井夫人から上田原の合戦場に使者を派遣してもらい、信玄はやっと退却したという。 信玄も、母の大井夫人からの言葉は、素直に受け入れたようである。 前国主信虎の正室であり、また現当主信玄の生母である大井夫人の、息子信玄に対する大きな影響力が覗われる。信玄の様々な教養も、夫人からの影響が大きいようである。夫人は、父も歌人であっただけあり、次の一首を詠んでいる。
「春は花、秋は紅葉のいろいろも、日かずつもりて散らばそのまま」
夫人も、何かと影日向に、日頃から父信虎との確執に悩む息子晴信を支えてやっていたのだろう。 また、並々ならぬ息子の器量にも、大いに期待を抱いていたと思われる。

息子により、信虎が駿河に追放された後も、 大井夫人は引き続き、武田館に留まり、出家した後、北の隠居曲輪に移り、これ以降「お北様」と呼ばれるようになる。夫人のこの行動は、息子晴信による、 夫信虎の駿河追放に関して、黙認していたという事なのだろう。引き続き、彼女の存在は家中で重んじられていた事が 予想される。 大井夫人は天文二十一年五月七日に、二年前に孫義信の元服を見届けた後、五十五歳で死去した。
平穏な晩年であったと思われる。

先代当主の正室として、そして現当主の信玄の生母として盛大に大井夫人の葬儀が執り行われたと思われる。
法号は「瑞雲院殿心月珠泉大姉」。

追慕像の肖像画は、息子で武人画家として名高く、父信虎の追慕像も描いている、武田信廉によって描かれ、絵には夫人の詠んだ和歌と、大泉寺の玄之安穏の画賛が書かれた。

なお、夫人の遺品として生前に御岳金桜神社に奉納された「住吉蒔絵手箱」があり、当時の女性達の華やかな暮らしが偲ばれる。
 大井夫人 - 西方の一美人―武田信玄の正室三条夫人,META name=robots content=西方の一美人―武田信玄の正室三条夫人

古長禅寺

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