大本では「人は神の子、神の宮」と説いており、人の霊魂は神の分霊であり、肉体もまた神の分体であり、人には神の代行者としての大きな使命があります。
神から授かった神性を開発し、その使命を果たして行くことが、とても大切なことなのです・・・
「 皇神(すめかみ)のみ姿のままに生(あ)れ出でし
人は神の子神の宮居ぞ 」
(出口王仁三郎)
言霊学(げんれいがく)によれば、人は「霊止(ヒト)」の意味であると言われており、ヒは火、日、霊を意味し、トは止(とど)まること、止まるところを意味し、戸、泊、宿なども、同じ語源から出ていると言います。
人は霊止(ヒト)であって、神の宿、神の宮という意味が、すでに人という呼称の中にこめられています。
神の宮である人には神の分霊が宿り、宇宙の神霊が帰宿(きしゅく)して、天地の経綸(けいりん)を遂行する役割があり、人はまさに神の生き宮なのです。
神は、理想世界をつくるために万物を生み、とりわけ万物の霊長として人を世に下されました。
人の身心は神の分体分霊であり、大きな責任と使命を持っており、私たちは、神から授かった神性を開発し、身魂を磨いて、生まれ赤子の心に帰って神の代行者としての使命を果たさせて頂くことが大切です。
このような「神の子神の宮」としての使命と責任を果たして行くために大切なことは、神を明らかに知ることであり、神が住み、神が宿ることができる身魂をつくると同時に、神のものではない、神に背いた悪神に支配され、暗黒無明(あんこくむみょう)の世界をつくり上げて来た人の宿、住みかにはならないようにすることです。
神のご意志を知り、目的を見失わず、自他共に、誰もが幸せに暮らすことができる地上天国を建設するために、神のみが訪ね関わることができる神の子として暮らし、神のご意志を曲げず、その目的に向かって一途に、真っ直ぐに、謙遜な心を持って、私心なくその身魂を差し出す神の生き宮になるのです。
それは神の子神の宮として暮らす私自身の喜びはもちろん、他者をも喜びで満たし、幸せにする身魂を備えることですが、その人格はどこまでも神に似るところに本質があります。
次は、その人間の本質を紹介するようにしたいと思います。
神から授かった神性を開発し、その使命を果たして行くことが、とても大切なことなのです・・・
「 皇神(すめかみ)のみ姿のままに生(あ)れ出でし
人は神の子神の宮居ぞ 」
(出口王仁三郎)
言霊学(げんれいがく)によれば、人は「霊止(ヒト)」の意味であると言われており、ヒは火、日、霊を意味し、トは止(とど)まること、止まるところを意味し、戸、泊、宿なども、同じ語源から出ていると言います。
人は霊止(ヒト)であって、神の宿、神の宮という意味が、すでに人という呼称の中にこめられています。
神の宮である人には神の分霊が宿り、宇宙の神霊が帰宿(きしゅく)して、天地の経綸(けいりん)を遂行する役割があり、人はまさに神の生き宮なのです。
神は、理想世界をつくるために万物を生み、とりわけ万物の霊長として人を世に下されました。
人の身心は神の分体分霊であり、大きな責任と使命を持っており、私たちは、神から授かった神性を開発し、身魂を磨いて、生まれ赤子の心に帰って神の代行者としての使命を果たさせて頂くことが大切です。
このような「神の子神の宮」としての使命と責任を果たして行くために大切なことは、神を明らかに知ることであり、神が住み、神が宿ることができる身魂をつくると同時に、神のものではない、神に背いた悪神に支配され、暗黒無明(あんこくむみょう)の世界をつくり上げて来た人の宿、住みかにはならないようにすることです。
神のご意志を知り、目的を見失わず、自他共に、誰もが幸せに暮らすことができる地上天国を建設するために、神のみが訪ね関わることができる神の子として暮らし、神のご意志を曲げず、その目的に向かって一途に、真っ直ぐに、謙遜な心を持って、私心なくその身魂を差し出す神の生き宮になるのです。
それは神の子神の宮として暮らす私自身の喜びはもちろん、他者をも喜びで満たし、幸せにする身魂を備えることですが、その人格はどこまでも神に似るところに本質があります。
次は、その人間の本質を紹介するようにしたいと思います。
