霊界には、天界・中有界・地獄界の三大境域があり、生前の行いや心の持ち方など、その人が覚っただけの霊界に、死後行くことになります。

今日は、その三大境域について簡単に触れてみたいと思います。


王仁太郎のブログ


中有界(中界)


死後ただちに天界、または地獄界に進む、現界での善悪の諸行がはっきりしている精霊(霊魂)も存在しますが、大多数の精霊(霊魂)たちは、生前に善悪の入り混じった生活をしているので、その善悪を立て分けるために、中有界(中界)に進み、天界と地獄界の中間的境域に当たるこの場所に集まるようになります。

そして、ここで過ごしながら、自らが進むべき霊界の境域が定まり、行くべき場所に自ら進むようになります。

死を迎え、霊界に入ったばかりの最初の期間、精霊(霊魂)の容貌は、現界にいたときと少しも変わらず、外面で装う習慣を持続します。

しかし、次第に変化し、霊界は現界とは違いすべてが 露わになり、隠すことができないところで、これを霊界の内外両面一致の法則と言い、現界で内に隠されていた、あるいは誤魔化したり、嘘をついたりして、人 にはわからないように隠し持っていたその人の内なる姿、容貌がすべて表に現れて来るようになるのです。

完全に善くも悪くも素の情態になりますから、自分がどの霊界の境域に進むべきなのか、自分の素になった容貌に見合う場所を自ら選択して進んで行くことになります。


王仁太郎のブログ


地獄界(幽界)


地獄界は、争闘、憎悪、怨恨、復讐、傲慢、不平不満などの想念が渦巻く境域で、虚偽に満ちた根の国と悪欲に満ちた底の国の二つの境域があり、それぞれ大きく分けて第一(最高)地獄、第二(中間)地獄、第三(最低)地獄の三段階に分かれています。

地獄にある精霊(霊魂)の容貌は、妖怪変化のように醜悪で、争闘に争闘を繰り返し、無明暗黒、冷寒、悲哀、不安、絶望の境涯に苦悶し続けています。

地獄界は、悪人を苦しめ、いじめるために、神がつくられた境域ではなく、生前すでに地獄的な意志想念を抱いていた者が、同じ気を持つ者同士が惹かれ合い、自ら地獄界をつくり、自ら落ちて行っているのです。

「 悪と虚偽このむ霊魂(みたま)は忽(たちま)ちに 
  
  地獄をつくりてひとり落ちゆく

 
  ことさらに神は地獄を造らねど  己が造りておのが行くなり 」
 
(出口王仁三郎)


王仁太郎のブログ



天界(神界)
 


天界には、霊国天国の二つの境域があり、それぞれ高く優れた境域から低く劣った境域まで、大きく分けて第一(最奥)天界、第二(中間)天界、第三(最下)天界の三つの段階に大別されています。

天界は愛善(あいぜん)信真(しんしん)とによって構成されている境域で、その比重によって、天国と霊国に区別され、天国を主とし、霊国を主とする境域となっています。

天国にある精霊(霊魂)を天国天人、霊国にある精霊(霊魂)を霊国天人(天使)と呼んでいます。

天国、霊国共に、意志想念の似た者が集まって、大小さまざまな団体をつくって生活しており、その情態は、和やかに円満で、歓喜悦楽に満ち、その容貌は男30歳、女20歳ぐらいで、老衰することはありません。


王仁太郎のブログ

 

このように霊界には、三大境域(天界・中有界・地獄界)があり、精霊(霊魂)は永遠に不滅であり、肉体のある現界の生活の中で、その霊魂を磨き清めて、神 様の愛善の光を輝かせる永久に朽ち果てることのない人格を築き上げること
、それが現界生活の旅路の目的になることがわかります。 

永遠、不変、絶対、不滅の内なる生命を、神様が見ても、自分が見ても、誰 が見ても美しく、何度見ても希望と喜びが湧き、歓喜の歌を歌いながら、自らを存在させて下さった神様、先祖、父母に心からの感謝を捧げる自分づくりをするべきでしょう。

そして、現界も霊界も、どこを見渡しても天国だと言える地上天国、天上天国を実現する柱になり、礎になるものは、他の誰でもない神の子、神の宮である私自身なのだということを忘れてはなりません。


王仁太郎のブログ