私も出張先で「お花畑があって」という臨死体験を直接聞いたこともあるが、死後、こうした美しい風景の霊国を亡き妻と千代の住家としたいものである。しかし、霊国は宣伝使の行くべき世界である。これに言霊別命が答える。

「霊国は凡(すべ)て宣伝使や、国民指導者の善良なる霊(れい)の来たるべき永久(えいきう)の住所でございます…あなたは生前において宣伝使ではなかつたが、現実界の人間としての最善を尽されました。これは要するに表面的神を信仰せなくても、あなたの正守護神はすでに天界の霊国に相応し、神(しん)籍(せき)をおいてゐられたのです」

また、ここにおいても宣伝使に対する言葉は厳しい。宣伝使は、その役割を果たしていないという我々に対する言葉である。

「今日の現実界において、宣伝使や僧侶や神官牧師などは一人として霊国へ昇り来(く)る資格を有(も)つてをりませぬ。また天国へは猶さら昇る者なく、何れも地獄に籍をおき、地獄界において昏迷と矛盾と、射利と脱線と暗黒との実を結んで、互ひに肉を削り合ひ、血を啜(すす)り合ひ、妄動を続けてをりまする」

一方、王妃千草姫の肉体に入った高姫は、得意の「底津岩根の大みろく、日の出神の生宮」と叫びつつ妄動の限りを尽くす。トルマン国の現状を憂慮し、この高姫に立ち向かうジャンクを言霊別が輔(たす)ける。

「汝(なんぢ)はトルマン国の現状を憂慮し、心胆を悩ませゐる段、実に感服の至りだ。汝の至誠天に通じ、今やエンゼルとして汝の神業を輔(たす)くべく降(くだ)り来たれり」     (七十巻二二章「優秀美」)

 このジャンクは、元は印度デカタン高原トルマン国のタライの村の里庄である。それが「国王の命に依りて、トルマン国の首府バルガン城を守るべく義勇軍を起し」(六十六巻総説)、「第一軍の司令官」となりバラモン軍の「大足別(おほだるわけ)の大軍を殲滅(せんめつ)すべく」(七十巻八章「大勝」)「民間より国難に殉じて起てる英雄」(七十巻「総説」)となった。高姫に立ち向かった時には、トルマン国の「教務総監」(七十巻二二章「優秀美」)として国を支えている。

 至誠が行動となってはじめて天の主の神に通じ、エンゼルの言霊別の輔けを得るに至っている。このジャンクの行いは、まさに次の歌に通じる。

 「心のみ誠の道にかなふとも行ひせずば神は守らじ」         (入蒙記五章「心の奥」)

  ○宣伝使照国別の参軍

 ジャンクとともに、バラモン軍に立ち向かった中に、三五教の宣伝使照国別と照公がいる。

「トルマン国の太子チウインは…武勇のほまれ高きジヤンクを第一軍の司令官と仰ぎ、三五教の宣伝使照国別および照公司を殿(しんがり)となし…二千五百騎を従へ、吾が居城を攻め囲む大(おほ)足(だる)別(わけ)の大軍を殲滅(せんめつ)すべく」(七十巻八章「大勝」以下も同)

軍の殿(しんがり)となった照国別が宣伝歌を歌う。戦うのは本意ではないが、トルマン国の窮状を見捨てるわけにはいかないと言う。

「三五教の宣伝使吾は照国別司 人の命を奪ひ合ふ戦(いくさ)に臨(のぞ)むは本意(ほい)ならず…トルマン国の窮状を見すてて通るも 大神の道に仕ふる吾として心苦しきこの場合 止むを得ざれば御軍(みいくさ)に加はりながら…神は吾等と共にあり…素より刃(やいば)に血(ち)汐(しほ)ぬり敵を斃(たお)さむ心なし…仁慈の鞭(むち)を下すのみ」

そうして、大(おほ)足(だる)別(わけ)を敗走に追い込んだ。

「城内よりはガーデン王の兵数百人、砲を揃へて一斉に射撃を開始し、大足別は前後左右に敵を受け、四方八方に、馬をすて武器をすて、命からがら散乱した。この戦ひによつて、死する者バラモン軍に十八人、城内には二人の死者を出したのみであつた」

  ○入蒙での銃撃戦

 この照国別の戦いの場面によく似た場面が、出口聖師の入蒙時に詠まれたお歌にある。出口聖師が、戦いを憂(うれ)いながらも銃撃戦の指揮をされている。

「喇嘛寺の塔上に立ちて指揮すればわが軍兵はよく戦へり」

「四五十の戦死者残して敵兵はあなたの谷に退却をなす」

「愛善の道説く身ながら戦の庭に立つよを憂しと思へり」

「折伏の剣は阿弥陀も持てるてふこと思い出して自ら戦ふ」

「左手には摂受の玉をかかへつつ右手に折伏の剣握りて立てり」

    (第十一歌集『山と海』(昭和八年六月発行)昭和七年九月「蒙古の月」)

この入蒙(大13・2・13~11・1保釈)の後、入蒙記を経て口述されたのが、トルマン国の物語が始まる六十六巻(当初六十八巻、大13・12・15~18)である。以下の「序文」を見れば、六十六巻が入蒙の体験を色濃く反映したものであることがわかる。

「本巻よりは照国別のいよいよ活動となり、やや軍事的趣味を帯ぶることとなりました。無抵抗主義の三五教が軍事に関する行動を執るのは、少しく矛盾のやうに考へる人もあらうかと思ひますが、混沌たる社会においては、ある場合には武力を用ふるの止むなき場合もあります」

「三千世界の父母ともいふべき阿弥陀如来でさへも、慈悲を以て本体としながら、右の手にて折伏の剣(けん)を有(も)ち、左手(ゆんで)には摂受の玉を抱へて、衆生済度の本願を達せむとしてゐるのです」

「回々(フイフイ)教(けう)の教祖マホメットも右手(めて)に剣(つるぎ)を持ち、左(ゆん)手(で)に経典(コーラン)を抱へて、アラビヤ広原に精神的王国を建設した事を思へば、人智未開の時代においては、三五教の宣伝使といへども軍事に関係せないわけには行かないでせう。読者はこの間の消息を推知して神の意の在るところを諒解せられむことを希望します」  (六十六巻「序文」)

○「吉岡発言」へ

 

入蒙では、王国の建設が強く意識されている。

「蒙古の大原野に一大王国を建設し」

(入蒙記四章「微燈の影」)

「蒙古王国の建設より延(ひ)いて新(しん)彊(きゃう)、西(ちべ)蔵(っと)、印度、支那の全土を宗教的に統一し、東亜聯盟の実行を成就し、次いでロシア、西(し)比(べ)利(り)亜(あ)にその教勢を拡め、パレスチナのエルサレムに再生のキリストとして現はれ、欧米の天地に新宗教的王国を建設し」     (王仁蒙古入記「神か狂(きちがひ)か」)

この王国の建設も入蒙後の霊界物語の口述に引き継がれるように、入蒙記を経て、トルマン国及びタラハン国(六十七・六十八巻、大13・12・19~14・1・30)の王国の物語が続く。

 トルマン国は「混沌たる」なかの「武力を用ふるの止むなき状況」が終わり、「首陀(しゆだ)向上運動」家を入れた民衆参加の政治体制へと変化している。その次のタラハン国も同様に、「民衆救護団長」を加えた民衆参加の政治体制となった。

 現実の日本においても、昭和十年の大本への当局からの弾圧が型となったかのように、軍事国家であった日本帝国が崩壊し、戦後昭和二十年、民主国家に生まれ変わった。

そうして、軍備撤廃を示した霊界物語の御示し(六十四巻上五章「至聖団」)を、出口聖師自らが吉岡発言として世に出された。

 「先づ第一に神の子神の生宮たる吾々は、世界にあらゆる有形無形この二つの大なる障壁を取り除かねばなりませぬ。有形的障害の最大なるものは対外的戦備《警察的武備は別》と国家的領土の閉鎖とであります。又無形の障壁の最大なるものとは、即ち国民及び人種間の敵愾心だと思ひます。又宗教団と宗教団との間の敵愾心だと思ひます」 (六十四巻上五章「至聖団」)

「いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者としての尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある」

(「吉岡発言」朝日新聞・昭和二十年十二月三十日)

「全身の智勇を権倒し 万里の荒野を開拓す

神竜淵に潜むと雖も いやしくも地中の物に非ず 

天運ここに循環し来りて 天功を樹立す

ああ北蒙の天地 山河草木盛装をこらし

歓呼して吾の到るを待望す

英雄の心事亦々快に非ずや」

(出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 王仁DB)

                (令6・6・23記)


via 大本柏分苑
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