出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)より下記抜粋します。

 

1972年に外部の宗教学者松島栄一氏(M)と村上重良氏(S)が対談してます。 (S)王仁三郎という人は思っていたよりも、系統的に各宗教を研究している。キリスト教、仏教など予想外に取り組んでいて、年代によって思想的な発展もある。(M)宗教家を理解する場合、最後の雰囲気で判断してしまう事が多いが、出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)は発展的に理解する上で、手本になります。(S)明治34年の聖教本義から大正15年の愛善信真にわたります。不敬罪による弾圧で、神殿破壊の音を聞きながら霊界物語を口述したり、それ以前の神霊界発表分を冒頭に収めたりする。

(S)弾圧による破壊を乗り越え、大正維新の盛り上がりや霊界での体験を述べ、森羅万象の思想の体系化があります。父親が妙霊教会の信者で、長沢雄楯、本田親徳らの影響もあり古神道の鎮魂帰神の行法を学んだり、平田国学の復古神道の影響も受ける。つまり習合神道的な思想があり、筆先に接してから現実の民衆の生活に即した救済は、国家神道の枠を次第に逸脱していくプロセスになる。初期の写本類にはキリスト教の福音書がいくつかある。(M)日本の神道には、弥勒の世とかメシアの思想は基本的にない。神道そのものは農耕集団の祭りが起源で、教義とか救済は欠けている。

(S)日本では神仏習合が進み、仏教では本地垂迹説がつくられ、神道では陰陽道、儒教も取り入れた教義の発展が民族宗教として残り、高度な仏教、儒教と融合していく状況は王仁三郎の宗教思想に大きく存在した。日本に伝えられた仏教の弥勒は、救世主信仰でなく布袋として農耕儀礼に埋没する。近代天皇制の国家権力が押し付けた記紀神話と本来の国祖である神が表に現れて、神政を成就する復権思想とが衝突する。大正7年の太古の神の因縁という論文で、理論的に打ち出す。(M)日本の神の場合、高天原的な世界の人の事で、瑞穂の国に生きているものは神とは言わない。

(S)抽象化された神々の世界でなく、現界と連続している神霊の世界を追及する事は平田篤胤も関心を持っていた。霊界に対する重視は、国家神道と決定的に対決する。霊界に住んでいる人たちはエンゼルだったり、神だったりで職能を分担する。人間と同じ感覚がある。一定の修業をすると霊界を遍歴できるというシャマニズム的発想です。(M)天路歴程の考え方はダンテの神曲やミルトンの失楽園があります。(S)<山中他界観>の影響、例えば平田篤胤の<神童寅吉物語>など天狗に伴われ他界を歩く体験、世俗的な神霊の世界を見て来るという伝統は日本の社会に語り継がれている。

(S)立替え立直しという独特な術語で表現される現状打破、神政実現の変革思想ですが、神の力によって世の中が変わるという世直し思想、<ええじゃないか>や天理教の天理王命を信じる事で理想世界が来るという変革思想の伝統があります。(M)大正7年の米騒動と大本第1次事件を結びつけ、王仁三郎の思想と実践的にもつながる時期がありました。(S)当時の社会状況は政府にとって、米騒動/労働争議/小作争議などがあり、大本はこわいという印象がありました。デマが飛び、武装反乱の企図という恐怖感をもったようです。

(S)大正7年に<太古の神の因縁><国教樹立に就て>の論文が発表され、現在の政治体制は正しくないという考え方になります。明治維新で王政は復古したが神政、つまり神の意思が行われていない、だから大正維新で神政復古が必要になる。1回目の天の岩戸開きはアマテラスオオミカミだったが、今度は2回目の開祖の神がかり、大本の開教が岩戸開きだと主張します。当時の国家権力からすると、途方もない議論であり、たたかいになったわけです。(M)当時綾部が改革の中心になって、たくさんのインテリや軍人があつまり、移住して来た方もいました。

(S)大正の第1次大戦の時期に、習合神道的な発想で王仁三郎は<古神道を正しく復活し継承するのは自分だ>という自負があった。近代天皇制下の政治のもつ矛盾や苦しみを信者を通じて絶えず感じている。当時の日本の神と人とのはなはだしい隔たりを指摘し、現人神である天皇が統一したものの、社会の矛盾はひどくなる一方だと鋭く批判する。(M)立替えの時迫るという予言は、米騒動のような革命的状況や大戦末期の日本の資本主義の異常な発展と恐怖、社会的動揺・混乱の反映でした。ただ問題になるのは内面的な信仰の世界との結合でした。

(S)大正維新論が出て、第1次弾圧後には人類愛善・万教同根という宗教を通じての

幅広い活動を行い、昭和ファシズムの時期になると、昭和神聖会の運動が出てくる。一貫して社会への目、あるいは平和への願いが続きます。(M)日本による世界支配みたいな神国思想かと思えば、世界同胞主義のような思想も出てくる。大正デモクラシーの文化状況でインタ-ナショナリズムが大本の特色になる。世界連邦の展開とかアジアの宗教連盟を考えたりする。出口なおの筆先は復古農本主義で、明治的な民族意識がある。第1次弾圧後、王仁三郎は信者たちにエスペラントを学習させる。

(S)エスペラントの講習は国粋的なかたさ、古きを脱ぎ捨てさせる手段でした。第1次大戦の惨禍を見て、人類はみな神の子であり、徹底した平和思想の必要を説いた。しかし国策が大陸侵略に向かい、東洋の経綸を強調する。宗教同士が万教同根で一緒にやる事は宗教ぐるみの宣撫工作に利用される。評価の分かれると同時に、時代的な限界の中で掲げられた平和主義や人類愛善主義の評価を、公正に行う必要がある。(M)本来ナショナリズムとインタ-ナショナリズムは選択でなく、融合する方向が正しい。大本の人類愛善会の場合、一緒になる理想の上でつくられたはずが、そうではない。

(S)大本に限らず、天理教・金光教・丸山教も同じで、土着的なものと世界宗教としての国境・人種・言語を越えていく性格との結合がうまくいかない。日本は世界でもまれな、民族・人種的統一が実現して国家権力がナショナルな形で代表しやすく、近代天皇制が良い例です。ところが国家権力=民族でなく、構造的には発達していないので、政治権力により宗教が利用される。戦前の民族宗教が天皇制や戦争に協力した結果にもなる。大本教義は、構造的には弱いが、他の宗教に比べ明治25年に出発して、国家権力の矛盾に対抗できた。

(M)大本は神道13派に入らず、未公認宗教でした。最後まで類似宗教として日本の新興宗教の近代社会における、悲劇のようなものを経験し代表してきた。王仁三郎は1つのものと戦ったのでなく、いろいろなものと戦った。国家権力とも、科学性が及ばない面をどうするかという事でも戦った。そして迷える民衆の為に宗教を普及しようという努力が自然な形で出て来た。(S)戦前以来から邪教のような扱いを受けてたとしても、王仁三郎という人の思想の核心を、実際の出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)の中で検討したい。

1972~1973年 出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)全5巻 ①神と人間 ➁変革と平和 ➂愛と美と命 ④10万歌集 ⑤人間王仁三郎 はアマゾンにて中古本が入手可能です。b16c386b222860c2994e68de136d69ec_5998d1ec7b03c8c