江戸城無血開城後の皇女和宮と熾仁親王の秘密の会話再現

王仁三郎は『霊界物語41巻』の中で人名を読み替えるなどの方法で、わかるように皇女和宮と熾仁親王の江戸城(であろう)再会時の会話を残している。『霊界物語』口述開始の年は大正十年、九月18日に口述開始したが、九月二十日午後一時には本宮山神殿破壊が始まる。天皇の権威を超える天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》。高皇産霊神《たかみむすびのかみ》、神御産巣日神《かむみむすびのかみ》、日本でほぼ初めての天の御三体の神を祭る本格的神殿である。もし本当の事を赤裸々に書けば不敬罪で最高刑、獄中での暗殺もありえない話ではない。

北光(きたてる)の神は竹野姫、竜雲、テームス、八木清之助等を引きつれ、気を利かして一間に引上げてしまった。後に熾仁親王、和宮は暫し沈黙の幕をつづけていた。和宮は心臓の鼓動を金剛力を出して鎮静しながら、顔にパツと紅葉《もみぢ》を散らし、覚束《おぼつか》な口調にて、

『熾仁親王様、お久しうございました。御壮健なお顔を拝し嬉しう存じます』

と纔...に言つたきり、恥しそうに俯《うつ》むいて顔をかくす。熾仁親王は目をしばたたきながら、

熾仁『貴女も随分辛い思いをしたでしょうなア。私も江戸の国の空を眺めて、渡り行く雁に思いを送ったことは幾度か知れませぬ。私の真心は貴女の精霊に通じたでしょうなア』

和宮『ハイ、一夜さも王様の御夢を見ないことはありませぬ。今日ここで貴方にお目にかかるのは夢の様にございます。夢を両人が見ているのではありますまいか。夢なら夢で、どこまでも醒(さ)めない様にあって欲しいものですワ』

熾仁『決して夢ではありますまい、現実でしょう、しかしながら二人の間は夢より果敢(はか)ないものでございました。今北光の神様からいろいろと御理解を承はり、今後どうしたらよからうかと思案にくれている所です』

和宮『たとえ天律を破ってもかまわぬじゃありませぬか。一分間でも自分の本能を満足させることができれば、死んでも朽ちても構いませぬ。二人が根の国底の国へおとされようとも、貴方と手を引き合うてゆくのならば、構わぬじゃありませぬか』

とマサカの時になれば、大胆なは女である。和宮は最早神の教も何も忘れてしまい、捨鉢気味になって、王の決心を煽動したり促したりしている。

熾仁『成程(なるほど)、貴女の心としてはそう思われるのももっともです。私だって貴女を思う心は決して劣りませぬ。しかしながら、そこを耐へ忍ぶのが人間の務めだ。月に村雲花に嵐、思うようにゆかぬは浮世の常、如何なりゆくも神様の御摂理、こうして半時の間でも、一生会われないと思っていた相思の男女が会うて、心のたけを語り合うのも、神様の深きお情《なさけ》、私はこれで最早一生会うことができなくても、決して神様を恨んだり、世を歎いたりは致しますまい』

和宮『貴方の恋は実に淡白なものですなア。それで貴方は最早満足なされましたか。エヽ情ない、そんな御心とは夢にも知らず、何とかして貴方に巡り会い、海山の話を互に打明け、あらゆる艱難や妨害に堪へ、たとえ虎狼の吼え猛る深山の奥でも、夫婦となつて恋の本望を遂げねばおかぬと、矢竹心に励まされ、剣呑な荒野原をわたり、イルナの都(京都)に逃げ帰る途中、神様の御引合せにてここに助けられたのでございます。(駐ここは王仁三郎が和宮がカールチンこと岩倉具視一味に剣呑な荒野原 箱根の山を渉り京に帰る途中襲われたことを百年後の読者に向けて暗示しているところ・直接霊界物語に真実を書けば王仁三郎は極刑か暗殺はまぬがれない)

どうぞそんな気の弱いことを仰有らずに金剛不壊(こんごうふえ)的の大度胸を出して、両人が目的の貫徹を計つて下さいませ。貴方にはサマリー様といふ最愛の奥様がお控へ遊ばしてござるのですから、無理もございますまい。イヤ妾(わらわ)も迷うておりました。最早貴方の心は昔日の心ではございますまい。誠にすまないことを申上げました。どうぞサマリー姫様と幾久しく偕老同穴《かいろうどうけつ》をお契《ちぎ》りなさいませ。妾は幽界とやらへ参つて、御夫婦のお身の上を守りましょう』

と言い放ち、ワツとばかりに王の膝に泣き崩れる。王はハタと当惑し、今の泣声がもしや北光(きたてる)の神様のお耳に入ってはいないであらうかと、ツと立つて隔ての戸を押開き、あたりに人のあるか、なきかを査べむとするを、ヤスダラ姫は王の吾を見捨てて逃げ出し給うならむと早合点し、力に任せて王の手をグツと後へ引いた。王は不意に姫に手をひかれた途端に、タヂタヂと二足三足後すざりし、姫の膝に躓き、パタリと其場に倒れ、岩壁に頭を打ち、ウンと一声、人事不省に陥ってしまった。和宮は此態を見るより、

和宮『あゝ如何しよう 如何しよう』

と狂気の如く室内を駆け巡り、王の頭に手を当て、

和宮『モシ、王様、許して下さいませ。決して貴方をこかそうと思つたのじゃございませぬ。怪我(けか)でございます。貴方ばかり決して殺しは致しませぬ。妾もキツトお後を慕います』

と言いながら、スラリと懐剣の鞘《さや》を払い、つくづくと打眺め、

和宮『果敢なきは夢の浮世と知りながら

  かかるなげきは思わざりけり。

 恋慕う君に会いしと思う間も

  泣く泣く此世の別れとなるか。

 悲しさは小さき胸に充ちあふれ

  泣く涙さへ出でぬ吾なり。

 ゆるしませセーラン王の神司

  やがてはわれも御供に仕へむ。

 北光の神の命よヤスダラ姫の

  心卑しとさげすみ給うな』

と云いながら、アワヤ吾喉につき立てむとするを、此時戸外に立って様子を伺いいたる八木清之助は慌しく飛込み来り、矢庭に姫の懐剣を奪い取り、声を励まし、

清之助『ヤスダラ姫殿、狂気召されたか、かかる神聖なる霊場に於て、無理心中とは何のこと、天則違反の大罪となる事をお弁えなさらぬか。そんな御心とは知らず、貴女の御身を保護し、江戸を命カラガラ逃出し、猛獣の猛び狂う荒野原をようよう越えて此処迄お供をしながら、勿体なや王様を殺し、貴女も亦ここで御自害をなさるとは何と云う情ないお心でございますか。八岐の大蛇か金毛九尾の悪狐に憑依され、そんな悪心をお出しなさつたのでしょう。モウかうなる上はこの八木清之助が承知致しませぬ。王様の仇を討たねばおきませぬ』

この原文中に登場するセーラン王とは孝明天皇を意味したり熾仁親王を指すこともあります。サマール姫は堀川紀子、ヤスダラ姫は和宮なのですが、

リーダは八木清之助なのですが、王仁三郎は慧眼の読者が真相を見破れないようにあえて混乱させ、百年後の読者の解読を待っているのです。これから世界の学者が霊界物語を読み解こうとするようになります。世界の真相のほとんどが書いてあるために。

実際の和宮は箱根塔ノ沢の地でこのように歌を詠みながら自害したと思われる。

ヤスダラ姫(和宮)はセーラン王(熾仁親王)の後について、声も静かに馬上ながら歌い進む。

『入那の国(京の都)の刹帝利  セーラン王(孝明天皇)の家筋に

 生れ合いたる吾こそは  親と親との許嫁《いいなづけ》

 セーラン王(熾仁親王)の妃となりて  入那の国(京の都)を永久に

 守らむものと朝夕に  神に願を掛巻も

 畏き神の御心に  反きしものかゆくりなく

 テルマン(江戸)国に追いやられ  素性卑しき毘舎(商工人7)の家

 シヤール(家茂)の妻となり下り  面白からぬ月日をば

 歎きかこちつ暮しける  時こそあれや青天の

 霹靂胸をとどろかす  惨状吾身に迫りけり

 梵天帝釈自在天  神は此世にまさずやと

 吾身の不運を歎つ折  忠義に篤きリーダー(清之助)が

 雨風烈しき真夜中に  吾とらわれし牢屋をば

 忠義の槌を打振りて  砕き毀《こぼ》ちて救い出し

 暗に紛れて荒野原  スタスタ進み来る折

 右守の司《岩倉具視》の捕手等に  前後左右を取りまかれ

 蓮の川の此方にて  いかがはせむと悩む折

 竜雲司に助けられ  又もやここに高照の

 深山の奥の岩窟に  危き身をば救われて

 北光神の御教を  朝な夕なにかかぶりつ

 曇りし胸も晴れ渡り  迷ひの雲は払拭し

 真如の月日は心天に  強く輝き給ひけり

 あゝ惟神々々  悪魔のしげき世の中に

 かくも仁慈に富み給ふ  誠の神もいますかと

 感謝の涙川となり  沈みし胸も浮き立ちて

 救ひの舟に棹をさし  天国浄土の楽園に

 逍遥しける折もあれ  思ひがけなき刹帝利

 セーラン王《熾仁親王》の一行が  尋ね来ませる嬉しさよ

 絶えて久しき二柱  巡り会いたる睦び言

 かはす間もなく北光の  神の司におごそかに

 教へられたる神嘉言  うなじに分けて両人は

 感謝の涙払ひつつ  駒に跨り岩窟を

 名残を惜みふり返り  馬上ゆたかに嵐吹く

 野路を踏み越えやうやうに  照山峠に来て見れば

 木々の梢の紅葉は  いつしか散りて淋しげに

 尾の上をわたる秋の風  淋しき山路も何となく

 君に従ひ登る身は  春めき渡り村肝の

 心は映ゆる春心地  神の教に導かれ

 進む吾こそ楽しけれ  入那の都に到りなば

 右守の司の御子とます  サマリー姫はさぞやさぞ

 吾身の姿を打眺め  心を悩ませ給ふべし

 あゝ惟神々々  如何なる事も天地の

 神の御旨に従ひて  恋の執着秋の野の

 木の葉の風に散る如く  サラリと清め睦じく

 姉妹と手を握つて  誠一つを立て通し

 三五教の神力を  現はしまつり入那国

 都の花と謳はれて  誉れを千代に伝ふべし

 あゝ惟神々々  大地の竜と名を負ひし

 清き白馬に跨りつ  誠を明かし奉る

 セーラン王よ聞し召せ  妾を包みし恋の雲

 瑞の御霊の吹き送る  科戸の風に払はれて

 塵もとめなくなりにける  あゝ惟神々々

 吾等の身魂に皇神は  清く涼しく宿りまし

 汚れ果てたる吾身をば  雄々しく照らさせ給ひけり

 進めよ進めいざ進め  誠の道を只管に

 心の限り進みゆけ  勝利の都も近づきぬ

 あゝ惟神々々  御霊幸はへましませよ

 朝日は照るとも曇るとも  月は盈つとも虧くるとも

 仮令大地は沈むとも  誠一つは世を救ふ

 誠の道を踏みしめて  玉の御柱立直し

 天地の花と謳はれて  豊けき誠の実りをば

 枝もたわわに結びつつ  今迄もつれし心をば

 ときさばき行く奇魂  曽富戸の神の幸ひに

 進むわれこそ雄々しけれ  あゝ惟神々々

 御霊幸はへましませよ』

 道は益々急坂となり、鞍上最も注意を要すべき難路につき当つた。されど何れも乗馬の達人、鞍上人なく、鞍下馬なき有様にて、悠々として凩に面を吹かれながら英気に充ち、一行は単縦陣を張りつつ登るのであつた。竜雲は馬上豊かに歌ひ始めた。

このように明治二年一月に有栖川宮が家茂なき後結婚を望んだ和宮が岩倉具視らにより箱根塔ノ沢の地で暗殺されました。その悲しみが熾仁親王と上田世祢を結びつけることになった。

しかしその説を主張するためには、明治十年に逝去(せいきょ)したとされる和宮の公式記録と明治二年に逝去したとする時間の差をどう説明するかが問題となります。明治二年以降に替玉としての新しい和宮が現れなければならない。

替玉和宮にもっともふさわしい女性は、南部郁子《いくこ》妃と信じています。


via 大本柏分苑
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