先日の集まりで出ました池袋の事件についてFBなどで見かけた物を集めてみました。その後、マスコミでは全く報道されませんがネットではまだ繰り返し出て居ます。このままでは進展がありませんので、国会で取り上げるように政党に働きかけるなり、アクションが必要です。
関連して、憲法集会も65000人も集まったのに写真は載りませんし報道も限られています。また、森友疑惑でも「不起訴不当」の議決が出てその後重大な新しい事実が出されているにも拘わらづ、マスコミは一切報道しません。
いま直面して居るのは、戦前の報道管制下の社会の様な状況の中で、隠されようとする情報を如何にして集め市民に伝えて行くか時間は迫って居るのではないかと思います。集めてシェアしたいと思います。

ひまわり行動市民の会 

二人の未来ある尊い命を奪って置きながら任意の出頭に応じる「見込みがある」と話しているようです。
この痛ましい事件は自民党安倍官邸の組織ぐるみの隠蔽工作だとわかりました。
ひき逃げしようとスピードを上げて次々と!

..息子は官僚そして親友が警視庁幹部
警察官僚 内閣情報官 北村滋(きたむら しげる)
警察庁官房長中村格

自民党安倍官邸権力、警視庁権力総力を上げ隠蔽工作!
ムカつくのは 人を轢き殺しながら 「任意の出頭に応じる「見込みがある」と話している」ことだ!
よほど 捕まらない自身をもって発言している。政権交代して二人の尊い命を奪った犯人を裁きましょう。供花のように一人一人が持っている権利「票」を使い選挙に投票し政権交代を実現して 必ず牢屋へ入れましょう。警視庁が極悪犯人を隠蔽するなんて先進国じゃありません。犠牲になった親子(二人)のためにも国民が行動するしかありません。
 
【上級国民・飯塚幸三氏、ついに海外でも報道される! 「日本は勲章もらえば治外法権なのか?」】
インドネシア紙「#飯塚幸三(敬称なし)の工業技術院長時の年収推定2千万円、現在の年金額推定年34千万円」

伊藤詩織強姦事件・飯塚幸三殺人事件揉み消しチーム。安倍晋三→北村滋→中村格。容疑者山口敬之、飯塚幸三について、警察が証拠資料を全て押収、被害者が裁判で控訴出来ない状況を作り出し、事件揉み消し。悪質な国家権力による驚きの人権侵害暴挙。

 

〇再弾圧への警戒が高まった昭和二十九年

 

 戦後愛善苑発足以来の、聖師のご神格隠しの流れの中で「三代教主伊都能売御霊論」の打ち出しはあまりにも度が過ぎている。

 

伊都能売御霊が聖師であることは、先に関係箇所を示した霊界物語のみならず、伊佐男氏自身にも触れた箇所がある「錦の土産」(※11)を見れば明白である。それを三代様に置き換えてしまうのは、余程の理由があったはずである。

これを解明するかのような動きがある。

 

まず、「三代教主伊都能売御霊論」が出たのと同じ昭和二十九年、元京都府特高課長杭迫軍司氏が、月刊「現代人」の七月号から反大本の原稿を掲載し始めている。「現代人」の編集者は後に大本総長となる宇佐美龍堂氏で、杭迫氏のペンネームは亀谷和一郎。表題は「宗教界の野望―大本教―」である。

 

 

ところで、次の資料は京都の竹之内信一氏が、京都府立総合資料館で調査した「現代人」の同年十一月号に関する部分である(※12)。

 

これを見ると、杭迫氏(亀谷)の第五回目の反大本原稿に併せて、杭迫氏の原稿に対する土井氏の反論文が掲載されていることがわかる。そして何より注目すべきは、その土井氏の反論文掲載を伊佐男氏が依頼していることである。伊佐男氏が杭迫氏と土井氏の仲立ちという形で、三者の名前が「現代人」昭和二十九年十一月号に並んでいる。

大本幹部の伊佐男氏と元特高課長の杭迫氏とは第二次事件のなかで、逮捕や拘留、取り調べなどを通じて、当然、お互いの顔を見知った関係であったことは言うまでもなかろう。

 

 

 

 

 

「第五福竜丸展示館」
NHK おはよう日本
31.4.19
 

 

さて、ここからが私の推測である。

 
杭迫氏の「反大本」原稿の「現代人」掲載が、昭和二十九年七月号であるが、この年の三月、第五福竜丸が米国の水爆実験で被ばくする事件が起こっている

これに大本はすばやく反応し、原水爆反対の署名運動を全国に展開し、六月には百六十万人もの署名簿を国連事務総長へ送っている。旧弾圧側はこの大本の全国的な社会運動から過去の大本の全国的な「昭和神聖会」運動を連想し、危険と感じたのではないか。そして、急に「現代人」七月号から杭迫氏の「反大本原稿」の執筆が始まったのではないだろうか。

 

ところで、この反対署名運動の中心を担った出口榮二氏が、伊佐男氏が「三代教主伊都能売御霊論」を挨拶で述べた十月二十九日に合わせるかのように、十月二十七日付けで副総長の職を更迭されている。

この榮二氏の更迭のことが、伊佐男氏の挨拶と合わせて「愛善苑」誌十二月号に載っているが、更迭理由が「対外的活動に忙しく内部事務がおろそかのため」という「こじつけ」のようなものである。

しかも、榮二氏の活動について「東奔西走している」とのみあるだけで、全国的署名運動や国連への署名簿の送付などの原水爆反対運動には全く触れていない。つまり、無視というか、大本とは無関係を装っているとしか言いようのない扱いである。

あたかも旧弾圧側の杭迫氏の反大本の主張を受け入れたかのように、大本の社会的活動が封じられてしまったのである。

 

この昭和二十九年の動きを整理してみる。

 

 〔昭和二十九年〕

 

三月 第五福竜丸が水爆実験で被ばく。出口栄二氏を中心に反対署名運動を展開。

 

六月 百六十万人の署名を国連事務総長へ送付。

 

七月 元特高課長杭迫氏が「現代人」に反大本原稿の掲載を開始

 

十月二十九日 主会長会議で伊佐男氏が「三代教主伊都能売御霊論」を発表。

 

  榮二氏副総長更迭(二十七日付け)

 

十一月六日 土井氏が伊佐男氏の論へ反論

 

(日付不明)杭迫氏に対する土井氏の反論文の「現代人」への掲載を、伊佐男氏が宇佐美氏へ依頼

 

「現代人」十一月号 杭迫氏の反大本原稿(五回目)と杭迫氏へ対する土井氏の反論文掲載。
 

 大本の全国的運動に旧弾圧側が反応。その旧弾圧側に対応して榮二氏が更迭されるとともに、伊佐男氏の「三代伊都能売御霊論」が発表されている。これを見ると、大本の動きが再弾圧への警戒感を極度に高めたものであるとともに、旧弾圧側にも、弾圧めいた考えが戦後もなお継続していたと想像することは容易である。

 

戦前の大本の活動は、聖師の「みろく下生」たる教義を基に昭和神聖会等の社会運動が展開されたのであるが、これを国体保持の観点から当局が弾圧したものである。第一審判決を見ると大本を「大本教義に基づき国体変革をなすもの」(※13として、国体変革の基となる教義を危険視している。

大本が聖師の「みろく下生」たる教義を持ち続ける限り、弾圧側と弾圧される側の構図が、戦後もなお続くことを伊佐男氏や幹部役員が認識していたため、その教義を封印してきたということである。

 

しかし、そうした弾圧・被弾圧の構図が、この昭和二十九年に一気に表に出たため、再弾圧を避けるために、より強い聖師の御神格隠しとしての「三代教主伊都能売御霊論」が必要となったのである。

つまり、「三代教主伊都能売御霊論」は再弾圧防止対策としての方便、旧弾圧側に対する「カモフラージュ」ということである。このように私は推論する。

 

 (※11:錦の土産)

 

伊都能売の御魂霊園の天人なる大八洲彦命の精霊を充たし瑞月の体に来たりて口述発表したる霊界物語は、世界経綸上の一大神書なれば、教祖の伝達になれる神諭と共に最も貴重なれば、本書の拝読は如何なる妨害現はれ来るとも、不屈不携の精神をもって断行すべし、  例へ二代三代の言と難も、この事のみは廃すべからず。邪神界殊に八十八派の兇徒界の妖霊は一応尤もらしき言辞を弄し、月の西山に入りたる際、得たり賢しと聖地へ侵入し来り、先ず第一に二代三代の身魂を誑惑せんと雄猛び襲ひ来るべし」

 

      〔錦の土産 大正十二年旧十月十三日〕

 

 (※12現代人」に関する詳細は竹之内信一氏が、後日「愛善世界」誌に投稿される予定。

 

 (※13:大本第二次事件 第一審判決)

 

「万世一系の天皇を奉戴する大日本帝国の立憲君主制を廃止して、出口王仁三郎を独裁君主とする至仁至愛の国家建設を目的とせる大本と称する結社を組織 ‥昭和三年三月三日が‥みろく大祭を執行し‥大本教義に基き我国体を変革することを目的とする結社を組織し」                    〔原文カタカナ〕          

 

 ○なお続く再弾圧への警戒

 

 その十年後の昭和三十九年二月に刊行された「大本七十年史」編さん当たっても、なお再弾圧への警戒が続いている。聖師の「みろく下生」たる教義は封印されたままである。

 

◆(出口伊佐男)人間出口なお、人間出口王仁三郎といったようなたて前から、神霊感応と相応じて人間的に改造させられながら大成してこられた。 

 

直日)全くそうですもの。… 信者さんは、あまりよろこんでないでしょうけど。

  〔宗教文化は誰のものか 永岡崇〕

 

 
◆「開祖さまや、聖師さまのお示しになったご業績も、これを冷厳に史学の ( まなこ )でとらえ、あたうかぎり、人間の問題として取りあつかわれています ‥宗教の大切な要素である”奇蹟”とか”神格”の叙述について、もの足りなさをかこたれるかも知れません ‥ある時は傷ついた、苦い体験の記録である」                          

  〔大本七十年史によせる 出口直日〕

 

 三代様の「傷ついた、苦い体験」とは第二次事件のことであろう。三代様の事件体験は過酷で、それ故か、昭和二十年十二月八日の事件解決報告祭にも参拝されていない。その過酷さは、次に示した悲痛な短歌(14)や昭和三十七年九月の出口榮二氏総長更迭事件での発言「私のねがい」(15)にもうかがうことができる。

 

再弾圧への警戒のための対策として「聖師の御神格隠し」が行われたということのみではなく、その警戒感が、三代様の実体験に基づいた感情的で根強いものであったことは否めない。「現代人」昭和三十一年七月号に、三代様の「現代人」訪問(※16)の記載があるのも、再弾圧への警戒の一環と考える。

 

なお、榮二氏総長更迭事件は、昭和三十七年七月のモスクワにおける軍縮平和会議に出席された榮二氏が、帰国後の九月、総長の座を更迭されたものである。また、この更迭を三代様に勧めたのは昭和七年に聖師に引退を迫った大島豊氏で、大島氏を三代様に引き合わせたのは伊佐男氏(※17)だという。これも再弾圧を防ぐための一環であったのだろう。

 

 (※14:短歌)

 

・死にたしと吐息もらせばをさな子は死ぬなといひて膝によりくる 〔「ちり塚」昭和二十八年発行〕

 

・夫の名を呼びておもひきり揺すぶりなば或ひは正気に帰りまさむか 〔同〕

 

・逆賊と呼ばれし過去ある吾にして明智光秀の城跡に住む    〔「西王母」昭和三十九年発行〕

 

・治安維持法違反に問われ亡き母は還暦の日を獄にいましき      〔同〕

 

 (※15:三代教主「私のねがい」) 

 

「私たちのお道には、かつて昭和神聖会というのがありました ‥私はこの運動に真向うから反対しました。‥社会の目は昭和神聖会を政治運動のような形でとらえました。そしてそのことが第二次事件をひきおこす大きな要因になりました。‥大本事件は私たちに深い傷手を与えました。その時に受けた生々しい傷痕は多くの人達の胸に残り、いまなお消え去ってはおりません 〔『おほもと』昭和三十七年八、九月合併号〕 

 

 (※16月刊「現代人」に三代様が訪問

 

協会来訪者あり 出口直日、日向良広

 

〔「現代人」昭三十一年七月号編集後記〕

 

 (※17戦後愛善苑発足より愛善苑を応援してきた京都の宗教誌「中外日報」の記事

 

「出口伊佐男(故人)が、昭和三十七年に出口栄二氏(次の四代教主となる出口直美教嗣の夫君)を総長の椅子からおろすために、全精力を使った」

   〔中外日報 昭和五十六年七月二十四日号〕

 

○土井氏の反論文と三代様
 
出口伊佐男氏の「三代教主伊都能売御霊論」に土井靖都氏が反発され、その反論文の一節で明らかになったのが、本稿冒頭の「聖師を救世主とは言わない」という約束である。
 
 そして、この約束部分に続いているのが次の文章である。これを要約すると「聖師を救世主とは言わないという約束であったのに、こともあろうに三代様を伊都能売御霊にしてしまった。伊都能売御霊とは聖師お一人のことである。聖師が救世主であることを否定してしまっては、大本は崩壊してしまう。くやしくて夜も眠れない」となる。
 
「今日三代様を突如として伊都能売の御魂にまします事が宣旨されました」「厳瑞二霊を合せ給える事が即ち伊都能売の御霊であらせられ、これは聖師御一人の特色の事」「聖師救世主否定の意義を持ち来すものとすれば‥大本教団の崩壊を持ち来する」「眠りなりがたきこと幾夜」 
 
しかし思うに、三代様こそいい迷惑である。御自身が聖師の盾にされて、聖師の御神格を理解する者たちからの非難を、その身でお受けにならなければならなくなったのである。
 
ところで三代様御自身はどうかというと、自らが生き神にされることを否定されている。また、信者が自分に見せる態度が侮蔑的であり、けっして生き神とは思っていないことを自覚されているのである。
 
 
 
【生き神の否定】「おおもと」誌昭和四十七年一月号:出口和明著「第三次大本事件の真相」一八三頁
 
「この世を作られた生神さまと同じように思われてはいやですね」
 
「私は開祖さま、聖師さまほど偉くないですよ」
 
 
 
【信者の侮蔑】歌集「西王母」(昭和三十九年発行)
 
・吾がことをロボットと噂されゐるを知らざらむ厳しき手紙今日は受けたり
 
・吾が夫に面会して帰りゆく人あり吾を見ながら知らぬ顔して
 
・働きて食えよ教主の値打なしと奉仕者らしきが手紙寄越しぬ
 
ところで、伊都能売御霊とされた三代様と伊佐男氏の信頼感の強さについて和明氏の描写がある。昭和四十八年五月六日に伊佐男氏は亡くなられるが、その直前の五月二日に三代様が見舞われた時の様子である。
 
「二日、直日先生が見舞いにこられるとの知らせに、父は朝からひげをそらせ、寝巻を着かえ、身辺を正して待ちかねる。教主さまと会った瞬間の父の目の輝やきは、うって変って、まるで別人であった。これが重態の病人の瞳であろうか」
 
         〔松のひびき 一一七頁〕
 
また、伊佐男氏の入院中の三月八日に、三代様が伊佐男氏を大本教主補佐に任命されたことや、亡くなられる二日前の五月四日に子の和明氏を斎司にして伊佐男氏の後を継がせると言われたこと、また、伊佐男氏が亡くなられた昭和四十八年の八月、松山での歌碑除幕式に、和明氏が教主御名代で出席されたことも、三代様の伊佐男氏への信頼の厚さを反映したものと思われる。
 
よって三代様は、御自身が聖師の盾となって伊都能売御霊にされることも納得されていたのではなかろうか。
 
 
 
 〇大本教法も聖師の御神格隠し
 
 
 土井氏は反論文の中で「聖師を救世主とは言わないこととなっていた」ことに続いて、大本教法にも次のように触れている。この私の原稿の一頁目の土井氏の原文にもある。
 
「大本教法には論議の結果に於て、…聖師を単に瑞霊と記され」
 
土井氏は、「聖師を救世主とは言わない約束」の下で大本教法が定められ、聖師を単に瑞霊とのみ記したと証言している。つまり、大本教法は聖師の救世主たる御神格を隠したまま定められたということである。
 
大本教法の制定は昭和二十七年で、昭和二十三年の聖師葬儀の誅詞と昭和二十八年の「みろく下生」のない「聖師伝」の間にあり、時期的にも「聖師を救世主とは言わない」という流れの中にある。
 
 
 
《聖師のご神格を隠してきた歴史》
 
 
 
昭和二十年十二月 大本事件解決奉告祭挨拶
 
  〔事件は我々(聖師)が悪かったから起きた〕
 
昭和二十三年一月 聖師の葬儀の誅詞 ( しぬび )
 
  〔聖師を救世主とは言い切らず〕
 
昭和二十七年四月 大本教法 
 
  〔聖師を単に瑞霊と記すのみ〕
 
昭和二十八年四月 「聖師伝」発刊
 
  〔昭和三年三月の「みろく下生」なし〕
 
昭和二十九年十月 主会長会議
 
  〔三代教主伊都能売御霊論〕
 
昭和二十九年十一月 土井靖邦氏反論
 
  〔「聖師を救世主とは言わない約束
 
 
 
 ところで、梅園浩氏が昭和五十七年の大本山口本苑での講話のなかで、戦後のGHQ占領下と教法制定について述べておられる。
 
「自分は教典を定義する教法第七条の制定に携わったが、霊界物語をそのまま教典として出して三度目の弾圧を受けると困る。そのため、安全装置として『教主の裁定』という言葉を入れ、また、一部を霊界物語から抜き出し、用心しながら小説として出した」(要約)
 
監視組織が、特高からGHQに替わったとしながらも、教法制定当時、当局による再弾圧を意識していたという重要な証言である。「聖師の御神格を隠す約束があるなかで教法が制定された」とする土井氏の主張の裏付けとなるものである。

 

 生活保護制度について随分と考えさせられた 5月5日(祝)

 
小田急線で人身事故があったため、30分遅れの12時に経産省前に着いた。藤原さんが既にセッティングを終えていた。乱さんと横浜の方も座り込んでいる。藤原さんはご自身の後援会ビデオを繰り返し上映するも通行人は少ない。乱さんは有栖川宮記念公園の中央図書館に行ってしまって、座り込みは私を含めて3人だけだ。
 
藤原さんが「私の講演は良いね」と自画自賛したので、すかさず私も「藤原とかけて、有栖川宮と解く、そのこころはどちらもコウエンは素晴らしい」と(よいしょ)を行った。やがて板橋のメンバー達、時々来られるメンバー、レジェンドさんが来て座り込みされた。4時の撤収後は事務所に戻ってのコーヒータイムで、ハシユキが関わっているエルモの家庭問題を通して生活保護制度について考えさせられる問題が随分あるんだなと思った。ユーチューバーをやっているお客様を迎えて色々な話題にふれて事務所を後にした。
 
連休最後の日もわりと多くの人がこられた 5月6日(祝)
 

今日の天気予報では昼間でも所によっては雨が降る、ということだったので雨具を持って事務所に向かった。早番のメンバーと雨対策にごみ袋を持って経産省前へ出掛けた。経産省前は風は多少あったが何時ものようにのぼり旗・バナーを取り付けることが出来た。準備をしているときに早くも北区のメンバーがやって来て、何時ものように御煎餅を差し入れてくれた。一通り座り込んだあと他所へ出掛けて行った。
 

先週の木曜日の日誌では国会前の座り込みが休みなのに他の人が来るかとずっと待っていて経産省前に来たのは引き揚げる直前だったということだったので午後1時頃になったのでレジェンドさんに電話をして、こちらに直行するように指示しました。先週の水曜日に別れるときに、明日は上に誰もいないからここに直行するように言っていたが、次の日には忘れているのが今のレジェンドさんなので()()の昼に電話してあげなければならないのです。
 

常連のメンバーがレジェンドさんと入れ違いに帰られた。奥さんの具合が良くないそうなので来週も無理して来ることのないように、と念を押した。70歳を過ぎるとどちらかが具合が悪くなっているのを私の回りでも時々見かけるようになりました。3時過ぎに3名の人が次々と座り込みに来てくれましたので最大6人での座り込みになりました。連休最後の日でしたが相変わらず経産省前を通る人は少なく低調でしたが、その割りには座り込みに来てくれる人があったので良かったと思います。明日から平常に戻るので頑張っていきましょう。
 雨が心配されましたが降ることもなく終わることができました。

 
笑いごとで済まされぬ安倍の誤読 5月7日(火)
 
11時前に、事務所に着くと既に相方のメンバーが30kmの道程を自転車で約1時間半かけて来たとの事で予想よりも若干早く到着したと言っておりました。
セッティング時には暖かかったのですが、風が強く横断幕は1枚だけセットして様子を見る。大型連休明けの、経産省前はいつものように多くの通行人が行きかう。その歩道に「原発再稼働反対」等の「ノボリ旗」が風に乗ってはためいて、何とも言えない気分だ!
 
だが14時頃急激に寒くなり、小雨も降ってきたので、急いで事務所に雨傘とビニールコートを取りに行く。
後半担当のメンバーが所用のため来られないとの連絡があり、その代理でお連れ合いさんが最後まで、レジェンドさんや、月曜・水曜担当のメンバーも辺野古基地反対の防衛省前抗議行動に行かれる時間まで座りこんでくれました。
今日の日刊ゲンダイに、安倍がまた誤読をして、右翼団体「一水会」が激怒したとの記事が載っていた。なんでも「末永くお健やかであらせられます事を願って已(やみ)ませんを、已(い)ませんと誤読したとの事、(意味がアベコベだー)早速官邸HPから映像を削除したそうだが!
 
安倍は過去にも、「云々」を「でんでん」、「背後」を「せご」などと誤読している。こんなのが、首相で教育の充実とかほざいて改憲とは聞いて呆れる。

 

もう初夏の陽気だが、天候は不安定だ 5月8日(水)
 

初夏の陽気。風は割と強く、バナーは一つにした。
セッティングして間もなく反原発のワッペンなどをカバンにつけた男性がニュースを下さいという。しかし、今回のニュースの束にはたんぽぽ舎のスケジュール表が載っているプリントがなかったのでがっかりされる。それがほしかったのだそうだ。

今日は天皇の代替わり関係の裁判があり、わざわざ富山から上京された方が裁判の前に寄られた。東京に来たときは「テントひろば」の行動に参加するようにしているとのこと。

規制庁抗議行動の後、いつものようにメンバーがこられ、経産省の職員向かって演説。厳罰政策についてよく考え、誤った政策の遂行者にならないようにということをいろいろと歴史的事実等を出して話していた。佐藤ベーカリーのパンはみんなで分けて食べた。通行人の二人の方がカンパをしてくださる。6時に終了するまでに当番を含めて11人が参加。夜は、東海第二原発延長再稼働反対行動(浅草稲荷町)と東電抗議行動があり、レジェンドさんや保っちゃんはそっちにも参加。

 
憲法審査会開催に抗議した人たちも寄られた 5月9日(木)
 
一日中曇り空で、暑くもなく寒くもなく爽やかな風が心地良い座り込みでありました。今日は、憲法審査会が開催されて、それに対する抗議行動を9時から国会議員会館前で行っていた「9条改憲阻止の会」の人達が帰りに寄ってくれたり、今月の3日(金)にお連れ合いの葬儀を出したばかりのメンバーが来てくれたり、入れ替わり立ち代わり延べ12名の座り込みであった。
 
夜は前記審査会の緊急抗議行動に参加すると言う人もいましたが、私は文京シビックセンターで行われた、南京大虐殺・靖国神社に抗議した「香港人弾圧を許すな!5・9集会」に参加した。
 
5月9日憲法審査会開かれる 5月9日(木)
 
国会で59日に憲法審査会が開かれました。
改憲反対に取り組んでおられる皆様に毎日新聞9日夕刊の小林節先生の記事をぜひお読みください。
 
さらば「改憲マニア」たち 自民党の元「指南役」 小林節・慶応大名誉教授
毎日新聞201959日 東京夕刊

インタビューに答える小林節慶應義塾大学名誉教授=東京都千代田区で2019年4月24日、山下浩一撮影

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 会いたい人がいた。慶応大名誉教授の小林節さん(70)。憲法改正を主張するタカ派憲法学者として自民党の「指南役」を務めながら、安倍晋三首相の再登板後は、改憲論者の立場から「邪道」と厳しく批判してきた。ところが、だ。一大決心をしたらしい。【吉井理記
70歳の護憲派宣言 「僕は進歩した」

 話は1980年代にさかのぼる。皇居にほど近い学士会館(東京都千代田区)で開かれたある会合に、自民党議員らに交じり、米国留学を終えたばかりの小林さんの顔があった。

 「安倍首相の祖父・岸信介元首相が設立した『自主憲法制定国民会議』です。当時は改憲を口にするだけで右翼と言われる時代。だから『改憲はタブーじゃない』という僕の主張を知った自民党が喜んで勉強会に呼ぶようになり、『国民会議』にも招かれたんだが……
 

小林さんが若き日を回想する。記者が小林さんと初めて会ったのは2013年4月。「特集ワイド」の取材である。安倍首相が唱えた改憲発議要件を緩和する憲法96条改正論について「9条改正は不可欠だが、権力者が自らの権力行使のたがを緩めるような96条改正を入り口にするのは邪道だ」と怒っていた。

 それから6年。改憲派の重鎮に、今の自民党とその改憲論をどう思うかと尋ねると、小林さんの口から出たのが「自主憲法制定国民会議」だった。

 「自民党議員と共に会合に出るようになって、びっくりした。ある式典では、ひな壇の正面に日の丸を掲揚して『皆さん、日の丸を通して、皇居におられる天皇陛下を遥拝(ようはい)しましょう』と、みんなで最敬礼をするんです。日本国憲法下の世とは思えなくてね」。彼らの周辺には、「8月15日には靖国神社に参拝するのが国民的常識だ」と説く「明治憲法復元派」に近い憲法学者までいた。

 「僕は権力者が法律で国民の人権や自由を縛ることを許す明治憲法を『憲法』とは認めない。憲法とは、国民が権力者を縛るものです。でも、彼らは明治憲法と、大日本帝国の価値観の中で生きていた。それは違う、と。だからこそ、三十数年、憲法を理解してもらうために自民党の憲法族と付き合ってきた。それなのに……
 

その自民党が12年にまとめた改憲草案では、小林さんが説いてきた常識と正反対、権力者が憲法で国民を縛る「国民の憲法尊重義務」規定が加えられて仰天し、翌年の96条改正論議に怒り、「明白な憲法違反」と反対し続けた安全保障関連法の成立(15年)にあきれ返った。

 17年から、安倍首相が「自衛官の子どもが『お父さんは違憲なの?』と涙目になった」とのエピソードを持ち出して9条改正を訴えだしたことにはこう憤る。

 「武装組織を巡る冷徹な議論に、お涙頂戴の情緒論を持ち込む安倍首相です。もはや今の政治に、憲法を変える資格も知性もない。危なすぎる。首相たちはとにかく改憲してみたい、という『改憲マニア』なんです。もう9条を含め、憲法は変えるべきではない。僕はこれまで改憲論者、護憲的改憲論者を自負してきました。でも、もう改憲論者はやめた。護憲になる」

 「特集ワイド」の取材で、小林さん、確かに何度も「安倍政権での改憲はダメだ」とは言ってきたが、改憲論者の看板そのものを下ろすとは意外である。学者としての大転換、と言っていい。その真意は後で改めて聞くとして、こうも付け加えた。

 

「政治も、憲法を巡る状況も、先ほど言った通りのざまです。今、この国の憲政を守るため、打つべき最善の手は何か。そう考えると憲法を変えず、伝統的な憲法解釈をもっと分かりやすく再構築して固め、国民に啓発し、関係法令を整備する。これが一番いい」

 昨年、世を騒がせた自民党の杉田水脈(みお)衆院議員の「LGBTなどの性的少数者は本当にそれほど差別されているのか」「彼らは子どもを作らず『生産性』がない」との趣旨の雑誌寄稿も、小林さんにはショックだった。

 「LGBTは、いや人間は全て個性的な存在です。憲法は、各個人が、それぞれの個性を大切にして生きることを保障している。にもかかわらず差別がある。だから公権力が差別をなくす努力をすべきなんです。憲法を擁護すべき国会議員が、憲法の一番大切なところをまるで分かっていない。そんな議員たちが、憲法をいじるなんてとんでもない」

 小林さんは、生まれつき左手に障害がある。今も人前に出る時は必ず手袋をする。

 「障害も個性ですよ。小さい頃、道を歩くだけで『かたわ』と石を投げられ、幼稚園の先生には『こういうお子さんは他のお子さんの迷惑になります』とまで言われ、入園を断られた。『公園デビュー』じゃないけど、遊んでいる子どもたちに『僕も入れて』と言ったら、『入れてやらない』と突き飛ばされて、泣いて帰った。かっぽう着姿の母が抱き締めてくれて……。母も泣いていた」

 だからこそ「私が私として」生きることを保障する憲法に感動して学者を志し、「人は生まれながらにして平等で、不可侵の尊厳を持つ」と独立宣言でうたった米国に留学し、学者として、自民党議員らに「憲法とは何か」を指南しようと活動してきた。

 「でも安保法案や自民党の改憲草案を批判してから、表立って自民党の議員とは会わなくなってね。一緒にレストランにいても、別々に出たりしてね。野党も野党だ。今の選挙制度では、野党が一つにならないと絶対に勝てない。でもならない。本当に安倍政権と向き合う気があるのか。業を煮やし、16年の参院選、自分で政治団体『国民怒りの声』を結成して打って出ると、今度は野党から『商売がたき』のように見られちゃって」

 結果は敗北。所属する国会議員がおらず、メディアから「政党」として扱われなかったことも大きかった。何せ学者である。論争は得意だが、かといって選挙にも強いとは限らない。そんなわけで、あれほど小林さんを持ち上げた自民党も野党も、最近は小林さんに近づかない。

 「改憲論を唱えていた昔も護憲派の憲法学者から嫌われて、学会からパージ(追放)されていたからね。子どもの頃から一人は慣れているんだ」

 さて、長年の持論の大転換。変節、という意地悪い声も聞こえてきそうだが、本人は涼しい顔である。

 「学者も学説も『道具』なんです。世の中をより良くするための。僕も憲法学者として、生まれて、生きて、そして死ぬまでに、世の中に良き貢献をしたい、とずっと考えてきた。それが、昔は9条を含む改憲論だった。でも今は違う。憲法を変えないことこそ、世の中への貢献だ。僕は今年70歳。長年かけてここまで進歩してきたんだ」

 夏の参院選の結果いかんで、首相、いや自民党宿願の改憲も政治日程に乗ってくる。

 「その時は、今度は『護憲派学者』として、首相らと論争させていただくよ」。ニヤリと笑い、テレビ出演のために慌ただしく去っていった。


 人物略歴
こばやし・せつ
 1949年東京生まれ。米ハーバード大ロースクール客員研究員などを経て、2014年まで慶応大教授。著書に「小林節の憲法改正試案」、共著に「『憲法改正』の真実」など多数。
(これは経産省前テントひろば日曜担当の上村信一さんの投稿です)
 

経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その115
東京電力に「3つの誓い」を守らせよう、電力購入止めよう
~東電に甘く、メディアに強圧の世耕経産相~ 

 東京電力の「3つの誓い」をご存知? 私はごく最近に知った。
東京電力ホールディングズのサイトには今でも次が掲げられている。
損害賠償の迅速かつ適切な実施のための方策(「3つの誓い」)
http://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/compensation/oath/
<被害を受けられた方々に早期に生活再建の第一歩を踏み出していただくため、以下の「3つの誓い」を掲げ、各種取り組みを全社挙げて実施してまいります。

1.最後の一人まで賠償貫徹
2.迅速かつきめ細やかな賠償の徹底
3.和解仲介案の尊重>
 

東電は誓いの1つでも守っているだろうか? 私が、「東電と共に脱原発をめざす会」と東電との話し合いに参加させてもらって<東電は「3つの誓い」を守っていますか?>と尋ねたところ、東電の原子力センターは<当社は「3つの誓い」を常に念頭に取組んでおり、被害を受けられた方々に寄り添い、個別のご事情を丁寧にお伺いしながら、適切に対応しております。>と回答した。
 東電は一方で、誓い1に反して賠償を打切り、誓い2に反して多くの被害者から訴えられ多くの裁判で賠償を命じられ、誓い3に反して原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)の仲裁和解案を拒否している。
 このような東電を放置し結託して被害者を切り捨てているのが、50%株主である国・経産省)だ。東電を指導する気はない。

 一方で、世耕経産相はメディアに圧力をかけている。
5月7日の記者会見でも、共同通信記者が「自動車課の職員が覚醒剤の輸入の疑いで逮捕された」ことを尋ねたところ、世耕経産相はまず次の恫喝を入れた。
<共同通信さんの御質問にお答えする前に、共同通信に対しては、昨年9月、「事実上、MOX再処理を断念」とされた記事について、重ねて訂正を強く求めたいと思います。私が会見の場でこうやって申し上げるのも10回目ということになります。>
 

昨年9月の共同通信配信記事「MOX燃料の再処理断念 電力10社、核燃サイクル崩壊」
https://this.kiji.is/408907403083547745)は、本シリーズ「その93」(2018年9月27日)で述べたように正しい
 さすが安倍政権の経産大臣、菅官房長官や萩生田議員と同様に、ナチスのやり口を真似(麻生副総理発言)して、ひとつの記事について10回もメディアに圧力をかけている。
 
 東電に甘くメディアに厳しい経産省を糾弾し続けよう。
東電から電力を購入している人は直ちに他電力に切り替えよう。

5月11日()子供を被ばくから守ろう 第12回新宿デモ
時間:13時アピール 14時デモ 集合:アルタ前
今こそチエリノブイリ法日本版を、政府の被ばく隠しを許さない
 

5月17日(金)経産省前抗議行動 17時~18時
官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~

 
5月19日(日) 老朽原発動かすな!関電包囲全国集会
場所;関電本店前(大阪市中之島) 時間:13時~
 
5月19日(日)午後2時~ 安倍改憲NO! 憲法審査会に自民党改憲案を提示させるな! 場所 衆院第二議院会館前を中心に 総がかり行動実行委員会など

 

<出口王仁三郎を再評価する>
出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)より下記抜粋します。
 
1972年に外部の宗教学者松島栄一氏(M)と村上重良氏(S)が対談してます。 (S)王仁三郎という人は思っていたよりも、系統的に各宗教を研究している。キリスト教、仏教など予想外に取り組んでいて、年代によって思想的な発展もある。(M)宗教家を理解する場合、最後の雰囲気で判断してしまう事が多いが、出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)は発展的に理解する上で、手本になります。(S)明治34年の聖教本義から大正15年の愛善信真にわたります。不敬罪による弾圧で、神殿破壊の音を聞きながら霊界物語を口述したり、それ以前の神霊界発表分を冒頭に収めたりする。
S)弾圧による破壊を乗り越え、大正維新の盛り上がりや霊界での体験を述べ、森羅万象の思想の体系化があります。父親が妙霊教会の信者で、長沢雄楯、本田親徳らの影響もあり古神道の鎮魂帰神の行法を学んだり、平田国学の復古神道の影響も受ける。つまり習合神道的な思想があり、筆先に接してから現実の民衆の生活に即した救済は、国家神道の枠を次第に逸脱していくプロセスになる。初期の写本類にはキリスト教の福音書がいくつかある。(M)日本の神道には、弥勒の世とかメシアの思想は基本的にない。神道そのものは農耕集団の祭りが起源で、教義とか救済は欠けている。
S)日本では神仏習合が進み、仏教では本地垂迹説がつくられ、神道では陰陽道、儒教も取り入れた教義の発展が民族宗教として残り、高度な仏教、儒教と融合していく状況は王仁三郎の宗教思想に大きく存在した。日本に伝えられた仏教の弥勒は、救世主信仰でなく布袋として農耕儀礼に埋没する。近代天皇制の国家権力が押し付けた記紀神話と本来の国祖である神が表に現れて、神政を成就する復権思想とが衝突する。大正7年の太古の神の因縁という論文で、理論的に打ち出す。(M)日本の神の場合、高天原的な世界の人の事で、瑞穂の国に生きているものは神とは言わない。
S)抽象化された神々の世界でなく、現界と連続している神霊の世界を追及する事は平田篤胤も関心を持っていた。霊界に対する重視は、国家神道と決定的に対決する。霊界に住んでいる人たちはエンゼルだったり、神だったりで職能を分担する。人間と同じ感覚がある。一定の修業をすると霊界を遍歴できるというシャマニズム的発想です。(M)天路歴程の考え方はダンテの神曲やミルトンの失楽園があります。(S)<山中他界観>の影響、例えば平田篤胤の<神童寅吉物語>など天狗に伴われ他界を歩く体験、世俗的な神霊の世界を見て来るという伝統は日本の社会に語り継がれている。
S)立替え立直しという独特な術語で表現される現状打破、神政実現の変革思想ですが、神の力によって世の中が変わるという世直し思想、<ええじゃないか>や天理教の天理王命を信じる事で理想世界が来るという変革思想の伝統があります。(M)大正7年の米騒動と大本第1次事件を結びつけ、王仁三郎の思想と実践的にもつながる時期がありました。(S)当時の社会状況は政府にとって、米騒動/労働争議/小作争議などがあり、大本はこわいという印象がありました。デマが飛び、武装反乱の企図という恐怖感をもったようです。
S)大正7年に<太古の神の因縁><国教樹立に就て>の論文が発表され、現在の政治体制は正しくないという考え方になります。明治維新で王政は復古したが神政、つまり神の意思が行われていない、だから大正維新で神政復古が必要になる。1回目の天の岩戸開きはアマテラスオオミカミだったが、今度は2回目の開祖の神がかり、大本の開教が岩戸開きだと主張します。当時の国家権力からすると、途方もない議論であり、たたかいになったわけです。(M)当時綾部が改革の中心になって、たくさんのインテリや軍人があつまり、移住して来た方もいました。
S)大正の第1次大戦の時期に、習合神道的な発想で王仁三郎は<古神道を正しく復活し継承するのは自分だ>という自負があった。近代天皇制下の政治のもつ矛盾や苦しみを信者を通じて絶えず感じている。当時の日本の神と人とのはなはだしい隔たりを指摘し、現人神である天皇が統一したものの、社会の矛盾はひどくなる一方だと鋭く批判する。(M)立替えの時迫るという予言は、米騒動のような革命的状況や大戦末期の日本の資本主義の異常な発展と恐怖、社会的動揺・混乱の反映でした。ただ問題になるのは内面的な信仰の世界との結合でした。
S)大正維新論が出て、第1次弾圧後には人類愛善・万教同根という宗教を通じての
幅広い活動を行い、昭和ファシズムの時期になると、昭和神聖会の運動が出てくる。一貫して社会への目、あるいは平和への願いが続きます。(M)日本による世界支配みたいな神国思想かと思えば、世界同胞主義のような思想も出てくる。大正デモクラシーの文化状況でインタ-ナショナリズムが大本の特色になる。世界連邦の展開とかアジアの宗教連盟を考えたりする。出口なおの筆先は復古農本主義で、明治的な民族意識がある。第1次弾圧後、王仁三郎は信者たちにエスペラントを学習させる。
S)エスペラントの講習は国粋的なかたさ、古きを脱ぎ捨てさせる手段でした。第1次大戦の惨禍を見て、人類はみな神の子であり、徹底した平和思想の必要を説いた。しかし国策が大陸侵略に向かい、東洋の経綸を強調する。宗教同士が万教同根で一緒にやる事は宗教ぐるみの宣撫工作に利用される。評価の分かれると同時に、時代的な限界の中で掲げられた平和主義や人類愛善主義の評価を、公正に行う必要がある。(M)本来ナショナリズムとインタ-ナショナリズムは選択でなく、融合する方向が正しい。大本の人類愛善会の場合、一緒になる理想の上でつくられたはずが、そうではない。
S)大本に限らず、天理教・金光教・丸山教も同じで、土着的なものと世界宗教としての国境・人種・言語を越えていく性格との結合がうまくいかない。日本は世界でもまれな、民族・人種的統一が実現して国家権力がナショナルな形で代表しやすく、近代天皇制が良い例です。ところが国家権力=民族でなく、構造的には発達していないので、政治権力により宗教が利用される。戦前の民族宗教が天皇制や戦争に協力した結果にもなる。大本教義は、構造的には弱いが、他の宗教に比べ明治25年に出発して、国家権力の矛盾に対抗できた。
M)大本は神道13派に入らず、未公認宗教でした。最後まで類似宗教として日本の新興宗教の近代社会における、悲劇のようなものを経験し代表してきた。王仁三郎は1つのものと戦ったのでなく、いろいろなものと戦った。国家権力とも、科学性が及ばない面をどうするかという事でも戦った。そして迷える民衆の為に宗教を普及しようという努力が自然な形で出て来た。(S)戦前以来から邪教のような扱いを受けてたとしても、王仁三郎という人の思想の核心を、実際の出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)の中で検討したい。
19721973年 出口王仁三郎著作集(読売新聞社刊)全5巻 ①神と人間 ➁変革と平和 ➂愛と美と命 ④10万歌集 ⑤人間王仁三郎 はアマゾンにて中古本が入手可能です。

 

 

沖縄!■世( )がわりの日に思う
 
■悔しくて!
■悔しくて!と
■沖縄の、友人からの~嘆きを
■広く転送します~
■参考まで~■
平成の時代は沖縄にとってどのような時代だったか?■
1995年の海兵隊による少女暴行をきっかけに普天間基地の撤去の合意。■
けれど県内移設が条件で「辺野古が唯一」となり、辺野古の闘争が始まった。
そして普天間基地は今だに固定化されている。抗う沖縄に、日本政府はあらゆる手段で、弾圧を繰り返している。
辺野古の闘いから20年以上。
沖縄戦から74年。復帰から47年。
沖縄の苦しみは何も変わらない。
支配がアメリカの軍政から日本政府に移っただけ。そして本土の沖縄への無関心も変わらない。
本土に在った海兵隊が本土の反基地運動によって沖縄へ移されようとしたその時、誰も反対しなかったのか?
国政にも代表を送れなかった時代。憲法の光も届かなかった沖縄の叫びを誰が受け止めてくれたのか?
本土から沖縄へ基地負担が増える中で、沖縄に基地を移すな、米国へ持って行け、とどれだけの人が声をあげてくれたのか?■
沖縄の存在は本土の視野から抜け落ちていたのです。■
そして今でも。
本土では「沖縄の痛みを本土へ移すな」と叫ぶ。
沖縄が要らないものは、本土も要らない、と。
アメリカの物はアメリカへ。この正論は日米政府には届かない。
日米安保条約によって日本の何処にでも必要なだけ基地が置かれていいと規定されているから。
諸悪の根元。
復帰後、観光立県となり表面上は「楽園の島」ともてはやされ、観光地としての認知度は特出しているかもしれない。
けれど、その陰でどれだけの犠牲があるかなど考えも及ばない。
この距離感。
この数年、確かに沖縄の闘いは心ある本土の人々と結びあい、連帯の輪は広がったかもしれない。
けれど国土の0,6%の土地の人口比でいえばたったの1%の少数派が巨大な権力に抗い、地を這う苦しみに耐えながら必死になって叫ぶ声はどこまで届いているのか?
80%以上が安保体制を支持するという圧倒的民意にどうやって挑めばいいのか?
80%の民意をことごとく粉砕するには私たちは何をすべきなのか?
政治を変える〓 という。けれど政治を変えるには国民の意識を変えなくてはならない。■
1番厄介な国民の意識。苦しみの体験のない人たちにどうやって苦しみを感じさせればいいのか?
痛みを想像する心をどうしたら育てられるか?
どのような方法で対話をすればいいのか? 
それも全て沖縄がやらなければならないのか?
沖縄は精一杯やっている。ずっとずっといい続けてきた。これ以上何を求めるのか?
沖縄が、紆余曲折ありながらあれだけまとまれるのは、差別と犠牲の歴史の中で「苦しみと悲しみ」の共有があるから。悲劇が繰り返されているから。
本当の平和を享受できていない「魂の飢餓感」をずっとずっと持ち続けているから。
亡き翁長前知事のこの言葉が心に染みる。
この国の無謀を多くの国民に周知させるには何が1番必要なのか?
どれが1番いい方法なのか?
沖縄で起きている事を自分事として感じてもらうにはどうしたらいいのか?
政治は、簡単には変えられない。沖縄という現場は日々厳しさを増し、悲鳴をあげている。
あとどれだけの時間を耐えなければならないのか?
闘いつつ、解決するための「対案」を私たち一人一人が持たなければならない時期に来ているのだと思う。■
昭和、平成、そして?令?和?。新しい時代まで持ち越されてしまった沖縄の苦しみ。
沖縄の闘いの「終わり」が見える時代であってほしい

 

半世紀前を振り返りながら、安倍政権批判・経産省批判 4月26日(金)
 

 17時からの抗議行動はメンバーが司会。さようなら原発リーフを地下鉄入口で撒きながら参加した。東電福島原発事故被害者への家賃補助打切りに怒り、他のメンバーが経産省の政策を批判、私から前々日の「原発テロ対処施設遅延なら運転停止へ川内は停止の可能性」報道についてとADR和解案を拒絶し日本原電に資金支援する東電への怒りと官邸によるメディア圧力と反撃、長年の抗議の声を聴かない経産省への怒り、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の「温暖化のCO2原因説」への疑問、そして1960年4月26日の全学連の警官隊との激突と国会デモを思い起こしながら外交でも経済でも失敗している安倍政権と経産省の終りを訴えた。その後、首相官邸「裏」の抗議行動や峠の茶屋も。 

 
連休中で人通りも少なく 4月29日(月・祝)
 

今日は10連休の三日目ということで地下鉄などの乗り物は空いていてずっと座って来られたので楽であった。今日の天気予報は一日中曇りで夜遅くには雨が降る、気温は17度ということだったが経産省前に着いたら風もないので暖かく感じた。
 今日の経産省前は初め歩いている人もあまりいなかったが2時過ぎぐらいから通る人も出てきた。が日本人で我々の声かけに反応する人はほとんどいなかったー残念ながら。外国の観光客は多いかなと期待したがほとんど通らなかったー観光バスが一台通っただけであった。
 

しかし座り込みに来てくれた人は入れ替わりであり座り込み者が五人になることもあった。北区のメンバーは御煎餅を二袋も差し入れてくれたし、群馬から来られた方は久しぶりに来られたとのことでお菓子の差し入れてくれたばかりか帰りには事務所まで重いテントグッズを運んでくれたので我々は多いに助けられた。ひと月半ぶりなら淵上さんのお通夜の弔辞は読んでいないと思いテントニュースセットをお渡しした。
 レジェンドさんは2時半過ぎに来られたが着くなり腰が痛いと言って椅子に腰掛けられたので、明日もあるから今日の夜の集会には行かないように説得して、昼間だけで充分ということで片付けが終わったところで帰ってもらった。

 

連休の盛最中で経産省の鯉のぼりも 4月30日(祝)
 

いつものようにメンバーが手際よく椅子などを台車に積み込んでくれた。その台車を押してテントニュース165号を一瀬事務所と大口事務所に配りながら経産省前に着く。

途中から降り始めた小雨のなかで日傘を広げて、その下に椅子を並べ終えると、雨が止んで一瞬だけ陽が射したりしたものも、空を見上げると海からの風が強く吹いて雲が流れていて雨も断続的に落ちてくる。経産省の正面玄関わきのポールに括りつけられた鯉のぼりが風に吹かれて、隣接する木立に絡みついてしまう。今日からは年頭の国会で可決された今年だけの特別立法により5月2日までの特例休日とされて、昼過ぎの官庁街には人通りが殆どなかった。しばらくすると通り掛かったご婦人が足を停めて、近所の職場を5年前に退職してから久しぶりにこの近辺にやってきた、と言いながら財布からお札を出してカンパを寄せられた。雨が上がった夕方4時、事務所に戻ってから6時までの会議を終えて解散となる。

 
メーデーのデモ参加の人たちと交歓して 5月1日(水)
 

天気予報では雨のようだったが晴れて青空まで見えた。しかし、やはり雲行きは安定してないようだったので、パラソルや雨合羽や傘を積んで事務所を出た。
途中で、全労協のメーデーのデモに行き合った。そうだ、今日はメーデーで、それに天皇代替わり行事を安倍はぶつけてきたのだ。経産省前には11時40分頃に着いたが、日比谷野音を出発したデモ隊が次々と通るので、座り込みのセッティングをしつつ、すぐに幟旗を立てて、デモ隊と交歓した。デモ隊の宣伝カーも「経産省は原発再稼働をやめろ」「被災者を守れ」などのシュプレヒコールをしていた。また、「経産省前テントひろばの人たちが頑張っています」などと言ってくれた。

12時前に、福島の黒田さんがメーデーと天皇制反対の行動に参加するつもりで上京してこられ、まずテントひろばに来てくれたので、黒田さんを含めて、デモ隊に「原発はやめましょう」と呼びかけた。デモ隊には割と顔見知りの人、テントひろばに参加しくれた人もいて心強かった。天皇賛美の「バカさわぎ」に対して、異議申し立てをする意味もある労働者たちのメーデーなので、なんかみんな元気がよい感じがした。

 黒田さんはその後集会に参加した。そのあとも、いろいろな人が寄ってくれた。
通りすがりのご夫婦は、私たちに、こういうことをやっていて効果があるのか、意味が有るのか聞いてきた。効果があり、意味があることを述べたら「頑張って」と言ってくれた。少しして、そのご夫婦は戻って来られて、「カンパをした方がいいじゃないか、金は余裕があるかを相談して、カンパできることになったので、ひとり千円で、二人で二千円をする」と言ってカンバをしてくださった。感激。

 水曜日なので通常は規制庁前で抗議行動があるが今日は休日なのでなかったが、メンバーは座り込みの方に来て、経産省に向かって「経産省は原発政策をあらためよ」と演説していた。普段は仕事なので来られないが今日は休みなので来たと方が今川焼を持ってきてくれた。全労協のデモが終わってメンバー達も寄ってくれた。レジェンドさんも来られた。その他にも常連のメンバー、ときどき来られるメンバーたち。

 3時頃、茨城の方が知り合いと待ち合わせで来られた。相手の方は京都の人だそうだ。カンバをくださった。3時過ぎには、皆さんそれぞれ夜のデモに参加するとか用事とかで散って行かれた。3時30分ころから霧雨が降り出した。タモツベーカリーのおいしいパンをメンバーはじめいろんな人に分配した。「ああこれがおいしいパンなのですね」という人もいた。4時に今日の行動を終える。レジェンドさんはいつも最後までおられて、片付けを手伝ってくださる。雨はシトシトと降りしきっていた。

 
経産省も明かりは見えず、やはり10連休か 5月2日(祝)
 

1140分過ぎ霞が関に着いて早すぎたかな?と思ったのにもうメンバーがセッティング始めていたのでびっくり!
事務所を出るとき大雨だったそうだ。
私が着いた時もまだパラパラ降っていたが、すぐに止んで助かった。
明日の憲法集会の準備・家庭の事情でメンバーの二人が休みと言うことで困ったなと思っていたら勝爺が来てくれて嬉しかった。
12時半ごろには雨はすっかり止んで陽が差してきた。
メンバーは昨日の日比谷のメーデー集会・終わりにしよう天皇制・新天皇いらない「おわってんねっと」のデモにも参加したと話してくれた。
テレビは平成の終わり・令和の始まりとそればっかり!
そして浮かれている人たちを見てがっかりです。

1時前に通りがかった上品な老婦人と娘さんと思われる人が立ち止まって見ていたのでチラシをお渡ししたらカンパして下さった。
座り込んでいて良かったと思える瞬間でした。
しばらくしてメンバー達が来て3時まで座って下さった。
2時ごろにはたんぽぽ舎のボランティアの方も来てくれちょっと賑やかになって良かった。レジェンドさんは一人で議員会館前に座っていたそうで片づける間際にやって来た。
さすがに10連休のせいか経産省の窓に明かりは見えず鯉のぼりだけが悠然とたなびいていた。

 
今日は憲法集会もあって有明臨界防災公園に行く人も多く 5月3日(祝)
 
今日は憲法記念日で、有明臨海防災公園に行く人も多く、テントの座りこみの準備は女性3人でした。メンバーのお連れ合いも途中で参加して貰いました。連休で人は少なく荷物運びはスムーズでした。お弁当を食べた頃に毎日来ていらっしゃるレジェンドさん、続いて病気療養中のメンバーも見え賑やかになりました。とても爽やかないい天気で道を歩く人も観光の人もいるのかなと思うようにのんびりしていたので、チラシを配り始めました。しかし、「大丈夫」とか、会釈だけとか、手を降って話しかけるなという素振りをしたり、受け取った人は3人位でした。
 
高齢の女性の二人ずれの方が最初に受け取ってくれました。よく考えている人だろうなと心強い思いでした。警察官が一人来て「こんな事をしたらいけない」というような意味のことを言って、少し離れて待たせてあった大きなパトカーに乗って帰りました。福島の事故があったときは、東京では誰であろうと、ガソリンがなかったり、交通信号が停止したり、食べ物の不安におびえたり、怖い目にあって、もうそんなことはないとは言い切れないのに、関心がないのは不思議です。
 

好天に恵まれて憲法集会と経産省前座込み 5月3日(祝)
 

朝、紙上の二つの意見広告を見て大急ぎで有明に向かう。「さようなら原発一千万人アクション」のリーフ撒きをし、公園内のブースを覗いてから、経産省本館前に移動。イロハの人たちやレジェンドさんがゆったりと座っている。男性が有明からチャリで駆けつけてきて「ご苦労さんです」とエール。本館も蛍光灯が付いているのは4階だけ。
 

道行く人にリーフを配布しているといつの間にか4時。文科省前の抗議行動も経産省の抗議行動も休み。既に有明のブースから撤退してきたメンバー達も応援してくれて椅子類の引き上げはとても樂だった。有明ではテントのチラシも沢山はけたそう。峠の茶屋は開店。 
 
テントの川柳句会が土曜日に行われるのは何年ぶり 5月4日()
テント句会を土曜日に行うのは何年ぶりだろう。普段の倍の椅子を用意したが連休中ということもあってか空席ができてしまった。
でも普段会えない人たちの顔を見られたので満足。 

 午後3時を過ぎると雲行きが怪しくなってきた。ほんの僅かだが雨がポツポツと落ちてきた。遠くで雷の音がしたので地下鉄に

避難する準備をした。結局雨は降らなかったのでほっとした。
 
脱原発青空テント川柳句会  5月4日(土)    
 
選者は乱鬼龍氏、席題は「変」「愚」15時投句締切、1515分より入選者の発表、披講となりました。
14時くらいまでは夏のような日差しが照りつけていましたが、15時前から急に黒雲が出てきて涼しくなり、雷が鳴る中無事終了いたしました。


今回の参加者は8名、選者により入選句が読み上げられ、入選者へ雑誌やビール、和菓子などの景品が手渡されました。

入選句は以下の通りです。
 

「変
特選
10連休遊ぶ人々食えぬひと - 芒野


秀句
・おかしいをおかしいと言えぬこの国は -  やまつつじ

・改変も嘘もラクラク安倍政権  - 草地 

・変人と云われた人も脱原発 - 乾草                    

・変わらない戦争責任問わぬ国 - 無位史膳                 

・安倍政治変な世はもうお断り  - 落葉          



 「愚」
特選
・空洞の政治気づかぬ愚者の国 -  草地 

 

秀句                     
・九条をいじって平和こわす愚者 - 乾草

・核のゴミ捨て場ないのに再稼働 - やまつつじ
・最悪の愚と云うべきか現政権 - 落葉
・地震国今なお止めぬ原子力 - 芒野
・愚かなるメディアが民を馬鹿にする - 無位史膳


次回の脱原発青空テント川柳句会は2019630日(日)13時から開催いたします。

是非ご参加ください
 

原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その14
WTO最終判決「韓国の水産物輸入規制は妥当」が示す世界各国の日本への不信
~食品中の放射性物質基準は「世界で最も厳しいレベル」では無い~
 2019年04月29日 

 
 去る4月11日に世界貿易機関(WTO)の紛争を処理する上級委員会が、韓国が福島をはじめ8つの県産の水産物の輸入を全面禁止していることをWTO協定違反とした1審(紛争処理小委員会)判断を破棄し、日本が逆転敗訴した。更に4月26日に外務省が<WTO紛争解決「韓国による日本産水産物等の輸入規制」上級委員会報告書及びパネル報告書の採択>とサイトにアップした。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007380.html
 更に、「日本産食品の科学的安全性は認められた」との記載が第一審の判決文にあたる報告書になかった(朝日新聞ディジタル)こと、現在も23カ国・地域が日本産食品の輸入規制を続けていることも明らかになった。 
 安倍政権や外務省が悪あがきしているがこの現実を私たちは真摯に受け止めないといけない。世界貿易を推進する世界組織が韓国の放射線汚染を理由とする食品輸入制限を認めたのだ。私たちが毎日食べている食品は大丈夫だろうか?

 残念ながら大丈夫ではない。官僚も税金も私物化し官僚から記憶も記録も無くさせている安倍政権だ。食品の安全についても嘘をついている。
 例えば、復興庁他10省庁による「放射線リスクに関する基礎的情報」や復興庁「放射線のホント」や文科省「放射線副読本」に記載されている表「食品中の放射性物質の基準」には、日本の基準(一般食品100、乳児用食品50、牛乳50、飲料水10)【Bq/kg】に対して、EUやアメリカやコーデックスでは1000【Bq/kg】以上と記載している。しかしながら、同表には作為があり、日本のは「平常」時の値であり他国のは緊急時(事故後)の数字だ。この表で「日本は世界で最も厳しいレベルの基準」と主張しているがこれが真っ赤な嘘なのだ。
 

日本政府がこの様に「日本は世界で最も厳しいレベルの基準」と偽って我々「国民」に放射性物質を押し付けている中で、近隣諸国が心配して水産食品の輸入を制限することは当然だ。今回のWTOの決定により、他国にも輸入制限が拡がることが懸念されているのも分かる。本当は「内部被曝から体を守るためには徹頭徹尾、放射能汚染された食品を口にしない」ことが大事なのだから。政府による放射性物質含有食品押しつけを常に警戒しないといけない。
 

5月8日() 「東海第二原発 20年延長許すな 日本原電前抗議行動
時間:17時~17時45分 場所;日本原電本店前(銀座線末広町4番出口
 
5月8日()第68回東電本店前抗議行動 18時30分~19時45分
場所;東電本店前 134団体の賛同行動
 
5月11日()子供を被ばくから守ろう 第12回新宿デモ
時間:13時アピール 14時デモ 集合:アルタ前
今こそチエリノブイリ法日本版を、政府の被ばく隠しを許さない
 

5月10日(金)経産省前抗議行動 17時~18時
官邸前抗議行動(首都圏反原連)は18時30分~