今日はシベリウスのフィンランディアを扱います。
シャルル・デュトワっていうフランス人っぽい名前なのに実はスイス出身の愛すべきおっさん(若かりし頃はヴィオラ奏者)が指揮をされています。
そろそろ本題へとまいりましょう。
「フィンランディア」は今やフィンランドの第二の国歌として、広く国民に愛され、歌われていわす。日本でいうと、岡野貞一先生の唱歌「ふるさと」みたいなイメージですね。
その作曲家のシベリウスこと
JEAN SIBELIUS(1865-1957)は
フィンランド生まれのフリーメイソンメンバーです(苦笑)
生没年を見て頂ければわかるとおり、彼は2つの大戦を生き抜いた歴史の目撃者(というか「歴史の当事者」)なのです。
ざっと歴史を追ってみましょうか。
フィンランドってどんなイメージ持ってますか?
時期的にはムーミンですか?w
去年、独立100周年だっていうので一部ではすごく盛り上がりましたよね。フィンランド大使館ツイートが無駄にフレンドリーだったのを覚えています。
僕は、第二次世界大戦のときに日本と同じ枢軸国側として、ソ連と最後まで戦い、独立を守り抜いた民族、というイメージが強いです。
そもそもフィンランドはフィン人(スオミ人)の国という意味で、フィン人というのはたしか中央アジア〜北アジアにいた民族が紀元前3300年前くらいにスカンディナヴィア半島あたりに移動したのです。その後前期・後期民族大移動を経てスオミ、ハメーンリンナ、カレリアのあたりに定着しましたが、長らく国は作りませんでした。
ちなみに、フィン人のもともとの宗教は自然崇拝を主とする多神教で、いわゆる北欧神話とも独立した神話体系を持っていました。それゆえ、日本ではほとんど聞かれませんが、フィンランドには日本との「日芬同祖論」も存在するようです。
中世に入ると大国スウェーデンの領土となり、デンマークと戦ったりルター派を受け入れたり、やっとモンゴル人の「タタールのくびき」から脱したモスクワ大公国とわちゃわちゃ(領域争い)したり、あとはスウェーデンということで、三十年戦争・北方戦争ではフィン人が勇猛果敢に戦い、スウェーデンの最大版図を実現しましたね。
19世紀に入ると、帝政ロシアの皇帝がフィンランド大公を兼任する形でフィンランド大公国が成立します。ちょうど英国ヴィクトリア女王がインド帝国の皇帝を兼ねたようなものです。
アレクサンドル2世というロシア皇帝が居りまして。現代では○○のひとつ覚えみたいに「開明的な啓蒙専制君主」という枕詞がつくアイツですが、彼の元でフィンランドの国風文化は花開きます。ある意味、ロシア人に支配されてはじめて「スオミ人ってなんだ!?」ってのに目覚めたわけですね。
ハメーンリンナの街のお医者さんのお家にシベリウス少年が生まれたのはまさにこの時期です。
「開明的な啓蒙専制君主」さんはシベリウス少年が16歳の頃に暗殺されてしまい、このあとフィンランドは苦しい時代をむかえることになります。
フィンランド文化、フィンランド語などなどの弾圧…まあこの時代よくあることですが、フィンランドの場合は弾圧すればするほど、独立へのエネルギーになっていくのです。言うまでもなく、日露戦争での日本の勝利もこの潮流を後押ししていきます。
実は、『フィンランディア』が作曲されたのはちょうどこの時期なのです。
なんて長い導入なんだ
『フィンランディア』は、元は「愛国記念劇」の7作目で、作曲した当初の曲名は「フィンランドは目覚める」 (Suomi herää)というものでした。
もちろん帝政ロシア政府はこの曲を弾圧します。
初演は作曲の翌年、1900年にヘルシンキで行われました。
曲の構成に関しては僕よりwikiの説明の方が上手いのでパクリますね。以下引用
2つの序奏を持つ三部形式で、序奏A (Andante sostenuto) - 序奏B (Allegro moderato) - A (Allegro) - B - Aの構成。
Andante sostenuto; 金管楽器による嬰ヘ短調の重苦しい序奏で幕を開ける。嬰ヘ短調だが、調性ははっきりしない。その後木管による甲高い悲痛と弦楽器・ティンパニの重苦しい響きが交錯する。
Allegro moderato; ハ短調の緊迫したこの部分では、ティンパニのトレモロに乗って金管楽器群がこの曲の核となるリズムを予告し、緊迫感が高まる。そして、この後に入って来るクラッシュシンバルにより闘争のイメージをより一層高まらせる。
Allegro; 曲調は一転して、変イ長調の快活な主部となる。中間部となるB部は、後に「フィンランディア賛歌 (Finlandia-hymni)」と名づけられた美しい旋律を中心に展開する。快活な主部が再現され、勝利感に満ちた中で曲は幕を閉じる。
引用ここまで。
このあと、フィンランドは1917年共和国の独立宣言、1918年フィンランド内戦、フィンランド王国成立、そして第一次世界大戦が終わると1919パリ講和会議で共和国として独立、とここまでひと息で駆け抜けて行きました。
その後も第二次世界大戦や冷戦に至るまで、フィンランド人はその独立について、他に類を見ないほどの意地と迫力を見せつけ続けました。
そこには「フィンランディア」という曲が果たした役割ははかり知れません。そういう意味で、シベリウスは歴史の「当事者」だと申し上げました。
シベリウスは、91歳で天寿を全うするまで、7曲の交響曲をはじめとして、数多くの曲を世にのこしていきました。
その中でも、「私撰・シベリウスがわかる5曲」ということで、シベリウスを知るならぜひ聴いてみてほしい曲をリンクとともに以下に列挙します。
シベリウス 組曲「カレリア」より3.行進曲風に
シベリウス 交響曲第七番
シベリウス 交響曲第二番
シベリウス 交響詩「タピオラ」…ファンの間では事実上の遺作という扱いである。
シベリウス 交響曲第四番
いかがだったでしようか。
ちなみに、シベリウスの死後彼の肖像は、ユーロ導入までのフィンランド100マルッカ紙幣に使用されたそうです。
今後も日本とフィンランドの友好と繁栄を、
そしてシベリウスの栄誉が讃えられ続けることを祈って、今日のまとめとします。