日本で生まれ育ち染み着いている日本的感覚があると、暮らし始めてすぐに日本とイギリス社会の根本的な違いに気が付く。いわゆる集団主義と個人主義の違いに由来するものだ。
学校でも役所でも不動産屋でも、日本のような痒いところに手が届く温かいサービスはなく、どちらかというと放任主義的な、必要だったら自分で主張して勝ち取れというスタイルに当初は戸惑う。
今回イースター休暇にスペイン、ドイツを回ってみて、文化的・性格的にはどの国も特徴があるものの、その根底には個人主義が脈々と流れていることを見ることができた。
日本に居ても、集団に必ずしもどっぷりと浸からず個人で生きている人も多いと思うが、おそらくそうした態度は単なる集団主義の端っこにいるに過ぎなく、欧米人を形作る個人主義とは根本的に異なっているように思う。それほど生まれ育って身に着けたものは土着力が強い。
具体的に言うと、イギリス人にはまずは個人があって、社会がある。個々人が生活をし、楽しみ、それらの集合体が社会になっている。集団に帰属することから個人が定義づけられる日本とは反対だ。イギリス人は無意味に集団でつるもうとはしていないし、自己主張することに過度に怯えることもない。
イギリス人教授と色々と会話した際の言葉が印象的だった。「個々人が自分で判断し自由に生きるということは不文憲法に象徴される。そうした自由度は非常に居心地が良い」。
もちろんいい点ばかりではなく、昨夏のロンドンにおける暴動のように、行き過ぎた個人主義は、自分だけがよければよいという「Me centred culture」を生む。これは日本の集団主義が行き過ぎ、過度な相互監視が働いている社会と逆の現象だ。
このように考察してみると、過去はどちらも行き過ぎを緩和するために異なる文化を取り入れ融合させる努力が、無意識的なものも含めて行われてきたのではないかと想像する。従って、日本人の均質的な社会や文化のみに関心を払うことは、逆説的に居心地の悪い日本社会を作り出してしまうように思う。