数日前、お昼から無理を言ってお休みをもらい、
母の携帯の修理にショップに来ました。
奇しくも前回、
ブログをアップしたのが
約1ヶ月前の1月5日。
実はその翌日、1月6日早朝、
ちょうど1ヶ月前
離れて暮らす父が転倒し
救急車で搬送
激動の2ヶ月でした。
母は
名付けて
「明るい認知症」で
いつも笑っています。
しかしとてもひとりで置いてけないので
ショートステイでお世話になっています
そんな入院している父と
ショートステイにいる母をつなぐ
携帯電話が故障してしまったのです
母はおそらく
電話がなくても特に問題なく
「日々更新」
(今日あったことを忘れてしまう)
のようにも見えるのですが
(本当のことは誰にもわからない)
父は
不安で不安で仕方ないようで
僕は
「認知症も場合によっては幸せだなぁー」
と思いながら年老いた両親に
精一杯の関わりをしようと心に決めています
さて
また奇しくも
前回のブログの内容が
今にも繋がっており
これは「呼んでいる」?笑
と思い、書き始めます。
「悪意なき正論」
まさに今、
その正論に
私は追い詰められています。
その正論とは
「命」
です。
私が勤める
特別支援学校に通う子どもたちは
一般校よりさらにこのコロナ禍の中
最大限の感染症対策が必要です
そんな中
医療的ケアが必要な子どもたちは
さらに細心の注意が必要であり
同時に
体調管理への基準も見直しが
必要になってきます。
例えば
コロナ禍の前は
体温調節が苦手な子たちにありがちな
「こもり熱」
は明確な基準によって
「発熱」
となり
隔離
もしくは
下校
となりました。
他の既往症についても
医療の視点からの不安が指摘され
「学校」とは…
と学校の存在意義そのものを問う状況です
学校に来たい子どもたちは
来ていいですよね…
親は行かせていいですよね…
でも
「正論」はそれを許しません
「命」こそ何よりも優先されるからです。
私はある先生からお聞きしたことがある
次のエピソードを常に思い出します
高等部の彼女が
修学旅行でディズニーランドへ。
彼女は重度の障害があり
あと何年
人生を謳歌できるかわからない状況でした
そのような中
保護者が懇願されたそうです
「この子はもう二度と友達と
ディズニーランドに行けることはない。
だから、先生お願いします。
友達と乗り物に乗せてあげてください」と。
乗り物に乗せて、もし何かあったら
誰がその責任をとるのか、
彼女の最大限の安全を
「命」
を守るために
それは受け入れるわけにはいきません。
「正論」です、悪意はもちろんないです
でも…
保護者の思いは…
医療的ケア児がいる私の学校は
看護師さんの存在が非常に大きく大切です
だからこそ
医療の視点も
通常校ではあり得ないほど多く
教育と医療の狭間で
私は言いようのない
閉塞感に苦しんでいます…
それでも朝は必ずやってきます
何より子どもたちの笑顔のために
私は歩みを止めません。
