大阪マラソン2014 | COPDランナー大熊猫がいく

COPDランナー大熊猫がいく

タバコはまったく吸いません。だから、COPDをタバコ病と呼ばないで!
2013年2月3日 別府大分マラソンでサブスリー達成
そして、同じ年にCOPDと診断を受ける。
でも、だから終わりでは無い。
自分が諦めなければ、そこに道は続くはず
病気に負けない!

第1回大会から3年ぶりに大阪マラソンに参加してきました。



相変わらず、羽根が好きです(笑)

今回、本番5日前の夜に足を故障するという大失態。
金曜日の段階で、キロ7分で5km位走るのが限度という状態でした。
ですので、もともと距離走のつもりでしたが、
さらにランクを下げて、完全ファンランに気持ちを切り替えました。

なので、前日夜は仲間とお好み焼き。
もちろん私は麦でできた泡の出る飲み物付き(笑)



ウェアも申し訳ないので、チームウェアは着ずに頭もこんな感じ。



結果、この帽子のおかげで、けっこう声援ももらえましたし、
ハイタッチもいっぱいできました。
心折れそうになった時に大きな励ましになりました。
声援をくれた全ての方にこの場で感謝です。

まあ、それが、唯一楽しかったところかなぁ(苦笑)

あとは苦行の連続。。。

まずは、ともかく駅から荷物預け、そしてさらにそこからスタート地点が遠い!
永遠と歩きます。
そういえば、前回もだいぶ苦労したことを思い出しました。



あらためてスタートラインに立ってみると、
そこはAブロック。
気合の入った集団が、位置取りに熾烈を極めています。
後ろのBブロックの先頭面々もさらに熱い視線を。。。
「これは、安全に抜かれないとやばい・・・」



それ以上に暑いのが日差し。
地元FM局のDJの「絶好のマラソン日和となりました」のアナウンスに軽くイラッとします。
「こいつ。。。。全然わかっていないなと」
気温はスタート時点で23度。
強い日差しは、体感温度を30度くらいまでに上げ、
フルマラソンを走る上では明らかに高すぎます。

先が思いやられます。。。。

そうこうするうちにスタート!

スタートラインまでは歩き。
いつもなら、「前に進んでくれ」とジリジリするのですが、今回ばかりはありがたい。
このままずっと歩いてくれないかな。。。。
なんて、希望が叶うわけもなく、周囲に引きずられるように歩きからランへ一歩踏み出します。

踏み出した瞬間に・・・・「ずきっ」
??????
痛めている左坐骨周辺ではなく、左腰に鋭い痛みが走ります。
これはナニ????

想定外の事態に若干混乱。
「これは、相当にやばいかもしれない」
スタートしたことを軽く後悔。

でも、ここまできたらやるしかありません。

想定通り、高速ランナーをやり過ごすために1km過ぎのトイレにGo
戻る頃にはそこはDブロック。
抜かれ方もずいぶん緩やかですが、たまに体当たりされることは変わりません。

なんでぶつかるかなぁ。。
とちょっとご立腹。
でもまあ、明らかに遅いから仕方がない。

トイレ後は、なぜか左腰の痛みが治まり、
ペースは6分台の前半。
2日前の状態を考えると悪くありません。
でも、このまま持つはずはないので、とりあえず貯金です。
故障箇所の残存の痛みと新たな故障発生では痛みの質が違うので、慎重に痛みの質を見極めながら走ります。
つまり、痛みを忘れるのではなく、全身で痛みを感じる状態。
これは、想像以上に辛い。

顔が引きつります。
10km手前で、子供が「あおのふなっしー死にそうな顔してたよ。」と言っている声が聞こえます。
これは、いけません。
少なくとも顔ぐらいは平静を保たないと。。。。

それでも痛みは徐々に厳しくなります。

「なんとか半分までは走ろう。それ以降は歩いたり走ったりにしよう」
そう心に決めて、前に進みますが、限界は思いのほか早くやってきました。
1度目の難波を通り過ぎた18km過ぎ。。。
京セラドームの前あたり。。。
痛みに耐えかねた脳が勝手に止まれのサインを出します。

急停止。。。
しばらく徒歩。

一息つきます。

でも、ここはまだ半分にも行かない場所。
このまま歩き続けたら、いつになったらゴールに着くやらです。
3分間だけ。
心に決めて歩きます。

そして、ゆるゆると走り始める。

痛みは少しだけ和らいでいました。
行ける所まで行こう。
そう思って走り続けます。

折り返しを折り返して、再び京セラドーム前。
ここはなんとか走ったまま通り抜けます。
しかし、痛みは耐え難い状態。
左腿の外側全部が痛い状況。

半分を過ぎてもその状況は変わらず、
うーん。。。困ったと思っているところに目に飛び込んだのが、
22km救護所の表示。
そこに迷わず飛び込みます。

状況を説明すると「筋肉の痛みだから」ということで、
アイシングとマッサージ。
この時対応してくれたトレーナーさんがなかなかしっかりしていて安心感がありました。
こういうところに本当に感謝です。

「またきつかったら、この先の救護所に寄ってください。」
と送り出されます。
「リタイアしますか?」って聞かれないってことは大丈夫ってことです。

クールダウンした足はだいぶマシになっていました。
再び、難波の中心街を抜け、南下を続けます。

通天閣の手前を折り返し、



大阪の下町へ向かう頃には再び痛みが。。。
でも、救護所に寄るのは10km行ってからって自分ルールを作ったので、そこは我慢。
きつくなったら3分歩いて、また走ります。

目指すは32km過ぎの食い倒れエイド?

はい。見えてきました。。。



各町内が工夫を凝らした給食を楽しませてくれます。
もちろん全制覇しました(笑)
レース中にエイドで食べるなんてことはほとんどないから、しっかり体験しました。

それにしても。。。
コップをゴミ箱に入れるくらいのマナーは欲しいなぁ。。。
ちょっと同じランナーとして恥ずかしいですね。

ここまでこれたってことは最後までいけるかな。
と思ったのが甘かったです。

問題なく南港への橋を渡ったところで再び痛みが強くなります。
痛みで全く足が出ません。

これはダメだ。。。

というわけで、36km過ぎの救護所へ
ここのトレーナーはイマイチ。
なんとなくストレッチして、なんとなくマッサージ
しつこく「良くなりましたか?」って聞くから「はい」って出てきてしまいました(^^;
現実は全く変わらないので、時間の無駄でしたね。
まあ、色々ってことです。

ともかく残り6kmですから、ごまかしながら行くしかありません。
行くしかありませんが、このあたりから右足の状況も悪くなってきます。
そりゃあそうです。
おそらく、左足の分も病み上がりの右足が頑張ってきたはずです。
負担がかからないはずがない。

ちょっと頑張ると、肉離れを起こしそう。。。
なので、やばそうになったら歩く。
しばらくしたら、またゆっくり走る。
また歩く。。

それの繰り返し。

たった6kmにどれだけ時間を使ったことか。

息も苦しくない。
疲れてもいない。
ただただ痛いだけ。

でも、前に進めない。
故障を押して出るってことがどんなに辛いことか、
初めて実感した思いです。

それでも、前に進めばゴールがやってきます。

5時間程度なんてとんでもない。
5時間半もかかってやっとゴールです。

なんだか気持ちがぐったりしました。

レース後は、友人と焼肉。
暑さにやられた友人たちと、なんだか鬱々と箸を進めます。
賑やかななんばに移動しても心は晴れず。



楽しみにしていたのに。。。
なんとなくスッキリしない大阪の夜でした。

やっぱり、ダメですね。
どんなに練習を積んでも、怪我をしたら台無し。。。

そういう意味では、今やるべきことがはっきりしました。
それは体を万全にすること。
少なくとも自信を持って足を運べるだけの体を作らないとダメです

これから、どれだけかかるわかりませんが、
まずはしっかり疲労を抜いて、痛みをとって、
それから前に進もうと思います。

それまでは、ひとまずお休みです。。。

こんな感じでしたが、
いっぱい声援をくれた大阪の方々、本当にありがとうございました。

心から感謝です。