実家で猫を飼っている


それは今年の1月、なかば強引に里親募集掲示板から


話を付けて、母親に飼わせたもの


高齢で一人暮らしをしている母親を心配して


それに自分も実家に帰ったときには猫に癒されるなんていいかな…


なんて


はじめは嫌がっていた母も徐々にその気になって来て


それでも、もらってきた初日は夜中大暴れして


翌日には「もう返す」という母をなだめるのに必死で…



その後、いつの間にか家族として当然の様に母の傍に居るのでした


母もすっかり心を許し、互いに欠かす事のできないパートナーとなっていました



そんな矢先、つい数週間前の事


突然母から電話があって、猫の調子が悪いらしい。。


病院につれていった、との事で心配していたら


翌日には調子が戻らないので、里親の方に電話して相談したところ


それはとても危ない状態だ、と


急いで車を出していただき、設備の整った大きな病院へ連れて行く


その間、メール等で連絡は取っていたものの


連絡がつかない時間もあり、状況はなかなか見えない


夜になり色々と話を聞けたが、想像以上に悪い状態らしく


結石から尿毒症、腎不全になってしまっている…


ここ2、3日が山、手は尽くすが覚悟しておいてください。と



覚悟、って言われても…


まだ1歳になったばかりの子が、なんで…


もう少ししたらおれは会いに帰るのに…



眠れぬ夜があけ、一番に母に電話したところ


病院からは連絡はない、きっと頑張ってくれているのだろう、と


その事を、病院の手配や車で連れて行ってくれた里親の方にもメールを…


と、その時、その里親の方からメール


頑張ってくれました! 奇跡的に持ち直しました!


そのすぐ後には母から電話


とても嬉しそうな声で


ああ、いつの間にか本当の家族になっていたんだね…


強くそう感じました



で、先週会いに帰って来ました


片道800キロの道をバイクで


とても、大変な旅で…


ま、それはまた、別の機会に…


http://www.youtube.com/watch?v=HJSVcqeZu1o
失ったものの大きさは


失って初めて気付く



そんな当たり前のこと



分かっていた



それがあまりに大きすぎたときには



自分が何を失ったのか



それに気付くのにはとても多くの時間が必要



何もかも失ってしまったのなら



やり直せばいい



でも



自分が何を失ったのか分からないまま



何をやり直せばいいのか



途方に暮れてしまう



結局、また前に戻っただけ



すべてが始まる前に



何もかも



また



闇の中だ
生きている


ここにいて


これを書いているから



何をもって生きているといえるのか



死を選ぶことは簡単だ


しかし生きることを選ぶことは


とても難しい


死ぬことに理由なんかいらない


生きることには理由がある


どんなに小さな理由だとしても


それは尊いもの



もしも何一つ確証が持てなかったとしたら


もしもどれか一つ失ったとしたら


それでも自ら死を選ぶことなどできなければ


生きることも選べないとしたら


これは生きているといえるのだろうか



生きてもいない、死んでもいない、ただそこにいるだけ


そこには暗闇しかない


そこには苦しみしかない


絶望


真の絶望をおれは知っている


あと一歩のところまで行った



もう二度とあんな思いはしたくない