結局この日が会社員としてまともに働いた最後の日となった。
 
 解雇通知書が手渡された後、本当にいろいろなことを考えた。
 思えばこの会社に入ってから、いや、社会人になってから、お盆休みも年末年始の休みもほとんど取らず働き続けてきた。

 決して有能な社員とはいえなかったけど、いつも最善は尽くしてきた。
 いや、正確には、そのつもりだった。
 それなのになんで今・・・・。
 
 テレビには津波に呑まれる仙台空港の映像が映し出されていた。
 自分も以前に何度かこの空港を利用したことがあるので衝撃を受けた。
 岩手や宮城、福島には知人や親類が何人かいる。彼らは全員無事ではあったが、今回の震災で彼らが失ったものは計り知れない。
 
 ここで神様のことを考えた。
 『神様、なぜあなたはそんな惨いことをなさるのです?』
 と問いかけた一方、
 『神様、これから私はどうすればよいのです?』
 とも問いかけた。

 『神様か・・・・・・・』
 そんなことをぼんやり考えるうち、気がつくと1か月が過ぎていた。
 地震と原発、転職活動のことで悩まされながらも、どこか空虚で不思議な1か月だった。
 
 これからの予定というものは特にないけれど、ひとつだけ漠然と決めたことがある。
 『自分の転職先がもし決まったら被災地に行ってボランティアをしよう。』

 
 面接を明日に控えた私は、今日も履歴書を書いている。




一応ここでひとまず終わる。
<<3月11日午後10時00分>>

 会社に着くと上司二人が待っていた。彼らも家に帰れなくなっていたのだ。特にすることがない上司たちは各自のパソコン端末を見るか、珍しくつけっぱなしの状態で放置されたTVを見るかしながら時間つぶしに励んでいた。

 夜勤とはいえ仕事はない。ここでも私はボケッとしながらネットを見ていた。そんな自分の不甲斐なさで、なかば発狂しそうにもなったが、何とかその場は平静と沈黙を保たせた。

 隣の総務部屋では何かの発送作業を終えた後らしく既に酒盛りが始まっていた。職員数名みなほろ酔い気分だったが、こんな光景を会社で見るのは初めてだった。

 総務の女性が私の座っているところに背後から突然現れた。「さっき全社員に郵送で送ったものですけど、岡田さんには直接渡します。」
 そう告げたあと、彼女は社名入りの封筒一通を私に手渡した。すぐさま私は封筒の端を手で引きちぎって破いた。こういうときに私ははさみなど使わない。

 同封されていた書面には「解雇予告書」と書かれていた。予想はしていたが、頭の中が白くなった。


  黙る私の耳元に、
  テレビの音がこだました
  地震と津波、そしてエーシー・・・・
 
  すべてが空虚で
  砂漠だった


 時計は夜10時を指していた。


勝手につづく・・・・・。
<<3月11日夜8時00分>>

 六本木通りはとにかく帰宅を急ぐ人と車であふれかえっていた。いくら大都市東京でもよほど大掛かりなパレードがない限り通常こうはならない。この地震ですべての交通機関が麻痺していた。こんな現実をこの光景で知った。

 このころの夜勤の習慣で、出勤前になか卯で坦々うどんを食することにしていた。だがこの日に限ってなか卯は休業。ガスが止まって調理不能になったからだが、ここに来て改めて現実に驚愕し事の重大さを認識した。

 仕方がないのでこの日の夜食をコンビニで買うことにした。ローソン、ファミマ、セブンイレブンと回ったが、どこもかしこもレジの前には長蛇の列が組まれていた。この現象が後日「買い占め」と呼ばれることになろうとは、このとき知る由もなかった。

 レジ精算まで待っていたらとてもじゃないけど遅刻してしまう。それどころか商品棚に握り飯やサンドイッチの類は既になく、アイスぐらいしか残されていなかった。こうした時間的な要因と物理的な要因が相まって、私は一切の買い物を諦めてしまった。

 このとき時刻は午後8時半を過ぎていた。


・・・・勝手につづく。
これほどまでに空虚な1か月が、かつてあっただろうか・・・・

<<3月11日午後2時46分>>

 夜勤業務があらかじめ決まっていた私は、自宅にある布団の中で一人惰眠を貪っていた。とはいえ外が明るいうちの惰眠など全く快適なはずはない。不機嫌な心持ちのまま、その日もいつものように、ネット鑑賞でうつつをぬかすことにした。それが午後2時半ごろと記憶する。

 その日の天気は確かに曇りがかっていた気もするが、そのあたりまで記憶は定かでない。今にもつぶれそうなクソ会社で働く残念な人にとって、晴れだろうが雨だろうが全て曇りでしかなかった。

 骨盤をくすぐるような揺れが始まったのはちょうどmixiを見ていたときだった。地震自体さほど珍しい事でもないから当初平然と構えていたが、整理し終えたばかりの書棚が丸ごと崩れたときはさすがに参った。

 思いのほか揺れは長く続いた。ケータイのワンセグから「地震」だの「津波」だの災害ワードが連呼されるにつれさすがに恐怖が強まった。机の横は書籍が多数散乱したままだったが、恐怖をかぶせたい思いもあってここで不貞寝を決め込んだ。それが午後4時半ごろと記憶する。


・・・・勝手につづく。
チャリティーコンサートのお手伝いをしに、昨日まで青森県八戸市に行ってました。

会場はマリエントという名の水族館。

そこの5階のホールで僕たちは椅子や机を並べました。

12時開演。(だったかな?)

地元出身の好青年聖也君による巧みな司会進行のもと、太平洋がそのまま一望できるガラス張りのステージを背景に、ゴスペル3兄弟「ヨベル」の皆さんとサムエルさんが歌ってくださいました。

蒼い空と白い雲、そしてさらに蒼い海。

そんな中で愛の歌を奏で、そして歌っていく彼らは、本当にかっこよかったと思います。



ステージ終了後、夕食をとってそのまま睡眠、と思いきや・・・・

僕は5人の若い仲間たちと一緒に花火をすることに。


その後どうしたわけだか、4人で花火で「LOVE」の4文字を書いて、それを写真に収めようと言う話になりました。

けれどもこれがなかなかうまくいかなくて、みんなして3時間ほど苦戦を強いられました。

そしてできた画像がこれです。

もうこの夏に思い残すことはありません。
$薄れゆく記憶の中で~おかけんの日常

$薄れゆく記憶の中で~おかけんの日常
おかけんです。

最近自分はアラフォーと言うやつになったのですが、アラフォーになった瞬間、アラフォーの自覚が芽生えちゃったから驚きです。

まずかつて数少ない特技の一つだった大食い。

あれがアラフォーになった瞬間できなくなりました。

どんなにうまい飯を食っても最近常に腹八分です。

それ以上に「俺アラフォーだな」と感じてしまう瞬間。

それは

若くてスタイルのいいかわいこちゃんを見ても、すぐにはかわいいと思わなくなったこと

「すぐには」がポイント。

話し方や何気ない仕草を少し見た後、頭のどこかの回路で思考分析するに至り初めて、その子を好きになるかならないかが頭のどっかで決まるという感じですかね。

よく一目ぼれとかあるじゃないですか。

ああいうのは絶対直感でわかるものだから、以前は理屈じゃないと思っていました。

いまアラフォーになった僕は、女の子を完璧に理屈で判断しているところがあります。

正直気持ち悪い感覚はあります。


でもしょうがないです。

以前松田聖子さんが言ってたの「ビビビ」と言う感覚がこれから先味わえないかも知れません。

寂しい限りですが不可抗力として諦めることにしました。
mixi落ちちゃっているから、普及するまでしばらくこちらで間借りします。

amebroはイマイチ使い勝手がわからないから、書かないでいたけれどこれを機にいろいろ研究してみるかな。

経済的な事情から(貧乏と言う意味もあるけれど、むかしカード詐欺にあった経験と言う意味で)僕はmixiプレミアムというものが使えない人種なので、日記の文字を大きくしたりだの、色をつけたりだのした事はありません。

でもどうやらここではできそうな気がするので、いっちょやってみます。

あいらぶゆー

まあ上記コメントに特に意味はありません。
雨下给富人,也下给穷人;下给义人,也下不义的人,其实,雨并不公道,因为下落在一个没有公道的世界上



其他

◆爱与不爱,穷人得在金钱上决定,“情种”只生在大富之家。

◆经验是生活的肥料,有什么样的经验便变成什么样的人,在沙漠里养不出牡丹来。

◆最伟大的牺牲是忍辱,最伟大的忍辱是预备反抗。
見よう見まねでアメブロを始めました。

ここではどんなこと書こうかな?

どーせみんな読んでなかろうから、ぶっちゃけ日記でも書こうかな?