どうもどうも。
ここ最近、ささくれだってる筆猿です。
今日も仕事でした。
高校3年になった息子は半ドン帰宅なので、今日も私は息子に
「母は死んだ魚の水槽に出稼ぎに行きます!」と玄関で告げると、息子はエア旗をどっかのお国の国民のように左右にわさわさと振り、どっかの組のお勤めのように
「オカン、お勤めご苦労様です。いってらっしゃい!」と頭を下げ、私はそれを「おうよ!銭のためじゃぁ~!飯のためじゃ~」と自分に喝を入れ、玄関ドアを閉めて出陣しました。
玄関を出てからは表情筋のストレッチ(笑)
おそらくすれ違った人は、とんでもないモノを見ています(笑)
接客に従事してる今は、人を相手にする以上、ブサイクでも女優です。
「笑顔は作るもの」
呼ばれた瞬間から。
振り向いた瞬間に「笑顔」でなければならい。
そのフィールドではどの角度で見られても「笑顔」でなければ販売の女優にはなれません…が持論です。
その為、口角を上げ、頬肉をアゲアゲ、笑顔のせいで口元に食いこむほうれいは私の勲章!と思いつつ、日々夜な夜なやっすい美容液を何重にも塗っておりまする…あぁ、加齢。勝てぬ加齢になすすべなく…いつかヘップバーンのように
「このシワもシミも私の歴史」とスッピンで言えるぐらいになりたでごわす。
さてさて、テーマとかなりズレた書き出しになり申したが…。
山口メンバーさん(あえて報道と同じように書いてみる)
もう、ちょっと、ちょっと!と思ったと。
下世話な私は
「なんで、JKに行った!せめてプロの接待人にしとけーよ。独身なんだし!」と本当下世話だけど、そう思った、
さて、ここからは炎上覚悟で書くぞ!っていっても炎上するほどの閲覧がないので安心(笑)
今日、坂上さんの番組で戸塚ヨットスクールの戸塚社長?学園長?を番組に招いての番組がありました。
私ら世代で戸塚ヨットスクールと言えば、ピンとくるだろう。
親も親戚縁者も手を焼いてしまった若人をそこに入門させて、ボコボコにされながら更生させるトコ。っていうイメージがあると思う。
ぶっちゃけ、私もオカンに身体張って反抗した時は「戸塚にいれんぞ!戸塚いけや!」と言われた。
そして私の中では、戸塚は昼夜公然と殴られてしまうトコ。というイメージがあって、結構びびった(いれかねない親の気質だけに)
それこそ、少年院やらはまだ法律の目がある。
しかし戸塚は行政施設でもないし、TVの中でも平気で膝蹴りや水中に顔面押し込む姿があったので、
「ここ、マジ、あかんって、マジ、フツーにヤバイし!」って子供心にも思った。
そして、数年後、死者も出てしまい裁判やらがあり戸塚のおじさんは服役もし~の。の報道は見た。
ただ、いかんせん…
我が家は、女であろうが、娘であろうが、体罰ありき!の家庭教育だったので、受ける体罰に関しては私自身、そう驚く内容でもなかった。
が他者から受ける体罰というものへの衝撃はTV画面上に口が開きぱっなしで、ぶっちゃけ「ひょえー」でした。
で、今、自分が子育てをしてこの番組を主人であるウサギくんと一緒に見て思ったこと。
「戸塚のおっちゃんの意見もかなり偏りがあるけど、時に体罰というものが必要な場合もあるんじゃなかろうか」でした。
もう、これ書くとね、結構色んな意見くるんですけど…
それでも言うぞ!
私は「褒める子育て論」に些か疑問を呈している。
ちゅーか、褒めるトコ、そこ?そこ褒めて育てるって親の見識疑うわ!なのです。
例えばね、三つになる子がゴミをゴミ箱に捨てた→えらいねぇ~って褒める親。なんで?なん?
三つになる子がお友達に自分のオモチャを貸した→えらいねぇ~って褒める親。なんで?なん?
三つになった子が泣いてる子を見て、よしよしした→えらいねぇ~優しいね。って褒める親。なんで?なん?
三つになる子がごめんねと謝られて、いいよ。よ許した→えらいねぇ~って褒める親。なんで?なん?
ゴミはゴミ箱に捨てる!当たり前やん。
当然の出来ました!ことをいちいち拾って褒めなあかんか?
オモチャを貸しました、それは一緒に遊ぶ楽しい時間を共有するため!小さい子だから貸すことが出来ないってなぜ決めつける?それに貸すことが美学でもないし!そりゃ、ワキャーとオモチャの取り合いあるよ!あるけどさ、退くことが美学じゃないし優しさでもないし。
だから私はそういう場面では息子に「Aくんと相談し!」と言ってきた。
そら、三つ子の子やから双方で相談なんてままならんし、むしろ相談するまえに欲求という感情が出る。
感情が出るから、そこに親が冷静に入ったらええんちゃうの?
ほんで、オモチャ貸してえらいね!ってなんのフォロー?意味わからん。
貸されたほうは単にワガママなんか?ちゃうやろうに。
確かに、そういう「ワガママやな」って感じるシチューエションもあるんかもしれん。しれんけどそれで貸した我が子を褒めるんは違うと思う。
ぶっちゃけ、一人っ子の息子はオモチャを確かに沢山持ってたたからその場では貸すことが多かったけど逆の立場も当然あった。
だから貸してもらいたいときは息子に「貸して」とお願いをしないさい!と言ってきたし、その代わり、「返して」と言われたらすぐに返す!と教えてきた。
もちろん、貸したあと返して欲しい時は自分の口で直接返してと言いなさい!と言ってきた。
親の介入はそこまででよくないかな?って、私は思って息子を育ててきた。
肝心なことは自分で言え!
そして、全てにおいて交渉は「自分でしろ!」と思っている。
その交渉のせいか?息子は絵を描く授業で色鉛筆を忘れてしまったのに、クラスの中で一番色彩の多い絵を書き上げて、おまけに賞状を貰ったことがある。
一見したら、なんとずっこい子なんだろうなって話だけど、私は生きていく中でパーフェクトじゃないから交渉能力は必要不可欠だと思っている。
そう、貸して!助けて!協力して!と自ら言えて、貸してもらえる人、助けてもらえる人になるってズバリ!それは信用を得てからの話。
こう書くと、じゃ、お金も簡単に借りちゃう子なんですか!的な意見も出てくるんだろうけど、髄が違いますわぁ。
金がないのは命がないのも同じ!小遣い帳つけろ!1円でも誤差あれば翌月小遣いはナシ!の我が家です。
命・金・差別・沽券に関しては鼻血上等でビシバシやってきました。
で、その戸塚に思うのです。
私は戸塚のおっちゃんが、腹いせに預かった子をしばいたとは思えないのです。
でも、親も出来ないスパルタを行ったのも事実。
じゃ、そこに我が子を預けた親はどう思っているんだろう…?
自分では出来ない辛い部分をここに任せたんじゃなかろうか?
当時の戸塚は私たち年代では、少年院に入っても更生できない子を親がブチ込むとこ。というイメージがありました。
多分、そのイメージ、間違いではないんだろなって思います。
今、親になり、親の立場として思うのは、「本当に親が自分たちで向き合えなかったの?」という疑問符が出ます。
でも、確かに第三者を入れて好転する親子関係も施設保育士の経験から感じることもあります。
だから、ある意味、嫌われ者になってくれた危篤な戸塚のおっちゃんやな。って、長らく私は思っていたのですが…
今日の番組を見て…戸塚のおっちゃんを見て
「あぁ、あの服役がここまでこの人を狭くしたんだな」って思いました。
私は親として体罰は命・差別・沽券・金に関わることはありきだと思っている。
言葉で諭すよりも、鼻血出るくらい理由を問う前に諭す前に、尻も顔も叩かれて痛いものだと思え!と思っています。
だから、戸塚のおっちゃんのその発想はありきな部分があると一定の評価をしていただけに、今回の番組でのおっちゃんの発言に悲しかった。
それを見てウサギくんは
「おっちゃん、相当、メディアにやられたから、自分の仕事うんぬんよりも、メデイアに対しての嫌悪で凝り固まってるんやろな。ある意味、この人も悲しい人やで。散々、戸塚いれんぞ!って言われてきた人やねんし」と同情をしてた。
その言葉を聞いて思った。
そうや、小さい頃。
そんなしたら、鬼さんにさらわれるで!とかおばけ出るで!って言われたな。
それこそ、ナマハゲがいてるのもそうやん。
ようは抑止力ってういるよな。って。
そして年頃になり、警察にパクられるだの、保護官つくだの、ハコに入るだの、色々と抑止力があったよな。
本来、その抑止力は子を育てる親にないとあかんのやなぁって。
他人を頼るんじゃなくて、親になった以上、親が抑止力にならなあかんのやろな。
つまるところ、親1年生だろうが向き合わないとあかんのやろな…
と思ったら、私はどれだけ息子と向き合えたんだろか?と考えてしまった。
私の場合、私だけではなく、その時その時ウサギくんをはじめ、知恵やアドバイスをくれる身内や友達もいたので今があるんやろうなって。
そう思うとね。
戸塚のおっちゃんの存在って本来なくていい存在だったんだろうな。って
なんか上手にいえないけど、そう思った。
私は、息子を東大に入れました!とか、社会貢献をする子に育てました!とか、後にも先にもいえないけど…
息子を育てたのが私です!この息子を私が育てました!
と、いいことも悪いことも、どんな場面でも言える親で居たいと思う。
この先、ほんま、なにがあるかわかりません。
40もすぎてアイドルやる山口メンバーのようなこともあるかもわかりません。
でも、親として逃げずに「私が育てました!」と言いたい。
それこそ「私が育てたばっかりに…」な場面になるやしれない場面であっても私は
「私がこの子を育てました!」
の後に、「申し訳けございません」というか「ありがとうございます」といえるか…。
だと。思う。
なんやぐだぐだダラダラなこと書いたけど…。
戸塚のおっちゃんを見て、なんかわさわさとざわさわとしつつ、過去・今・現在の息子を見て
お互い殴りあってアザが出来た日もあったけど「戸塚に入れる」という親の私の選択肢がなかったことがウサギくんや関わってくれた方々へへほんまに有難いと思う。
あぁ、息子よ。
殴られて痛んだ頬の痛みは万国共通。
痛みを知ったのだから、その痛みをわかってくれ。
もし、その痛みが私の思い教えたかった痛みと違うのなら、今からでも親としてその「痛み」を教えたい。
今からでも私は教えたい。
私は、今も尚、そう思い、お前さんと生きてます。