一応、直球な漢字は避けてみましたが…。
【タヒ】って上に横棒を一本足すと…

まっ、そういうことです。
今回はとてもダークなお話になるかしら。
でも。記念に綴っておきましょう

と、ここまで書いて下書きに入れたままになっておりました。
先日、祖母が亡くなりましてね。
私は祖母がとにかく大嫌いで生前は恨みしかいだいたことがないほどだったにも関わらず、実は『大好き』だったと気づいたのですが

いつから大嫌いだったかと言えば、小学校の低学年では確実で、
『おばあちゃんなんかタヒんだらええのに。』
と座敷で兄と夏休みの宿題をしていたときに発言していましたから。
生まれて初めて殴られた衝撃で私は泣くことしかできませんでした。
でも祖母は続けます。
『今、なんて言うたんや。もう1回言うてみい‼︎』
言っても小学校低学年ですよ、初めて殴られたんですよ、早々泣きやみませんよね

でも祖母の怒りは収まりません。
『言うてええことか、悪いことか、どっちやと思うんぞ‼︎』
矛先は兄にも向かいます。
兄は『悪いと思う…』と。
『兄ちゃんは悪いと思う言いよるぞ‼︎お前はどう思うんや‼︎』
多分、私も『悪いと思う』と泣きながらなんとか言ったと思います。
その頃から【大嫌い】でした。
まぁ、祖母は万事が万事この調子ですから、私の気持ちも一切ブレることはありませんでした。
祖父が亡くなり痴呆の症状がでてきてからも、
家での介護は限界で施設に入ってからも、
施設には1度も足を踏み入れることはありませんでした。
(伯父や伯母を送迎するときは駐車場で待っていました)
が、施設と併設されている病院の医師から
『今日、明日』と言われて初めて施設へ。
もともとはかなり太かったのですが、寝たきりで食も細くなり骨に皮が被っているくらいになっていました。
(母はこの頃から施設で泊まり込んでいました)
でも、もともとが丈夫なので、点滴を受けていると全然。。。
【もうそろそろかも…】と再度の呼び出しを受けた夜からは個室へ移り、母と一緒に私も泊まりました。
結局、母は11日泊まりました。
うち私と一緒にが4日。
母の代わりに父が泊まったのは1日でした。
私が泊まるようになって2日目か3日目の夜に何度が呼吸が止まるようになり、揺すれば戻るけど。
そんな感じ。
施設の介護士の方々は巡回を頻繁にしてくださるようになりました。
兄は『呼吸が止まったら無理に回復させなくてもいいじゃないか』と母に言ったそうですが、
実際にその現場に立ち会っていない人間の言葉ですよね。
どんなに嫌いな相手でも、目の前で呼吸が止まれば揺するし、『おい。』くらい声かけるってもんじゃないですかね?
私は条件反射的に体がそう動きましたけどね。
でも、さすがに明々と電気のついた部屋で
夜を過ごし、ウトウトし目がさめると呼吸を確認する。
そんな日が4日も続けばいつも以上に体のケアをしていてもキツイんです。
看病疲れってやつですね。
そして家に帰り、フト思う。
『さっさとタヒねや、クソ ババア!』
5日目かぁ…。と施設に入り部屋へ
上の言葉を実際に言葉に出したわけではないけれど、念は飛ばしたよね

それも鋭く

で、呼吸止まる。。。
母、介護士さん呼びに行く。
私、揺する。『おい。』
呼吸、戻る。
『おい、また戻るんかい⁈』
と覚悟を決め
夜のアロマルーティンを母にしてあげて、自分にもしてあげて

としていたら、いよいよ呼吸が回復しなくなった。
母、介護士さん呼びに行く。→介護士さん席を外していて探しに。
私、揺する。『おい。』→呼吸戻らない。
ちょっと大きく揺する。
→1回息を吸う。止まる。
揺する。『おい。』『もうえんかい?』
→1回息を吸う。止まる。。。
揺する。。。。。
母と介護士さんが部屋についてから呼吸が戻ることはありませんでした。
結果的に祖母の最期の瞬間って、個室で私と2人だったんですよね。
お互いに大嫌いなのにね。
祖母は私のことも母のことも【大嫌い】だったんですよ。
でも父のことは【大好き】で、私たちに見せる顔とは全く違う。
なんて言うんですかね、ある意味、
最期の最期まで1ミリのブレもなく恨みの対象でいてくれたことには感謝しましたよ。
(まだ【大好き】に気づいていないときです)
女性はよく『生まれてから死ぬまで女』だと言われますが、祖母はまさしくそうでした。
妻でも母でもなく、ましてや祖母なんかではなく【女】だった。
今になって思えば母や私に対する態度は嫉妬からくるものだったのだとわかります。
母にことさらキツく当たるようになった原因は祖父だったらしいですしね

かわいい僕ちゃん(父)だけでなく
大好きなウチの人(祖父)も取られる

ってね。
それは嫁だけではなく、50歳以上も違う孫娘にもってね。
まだまだ話は続くのですが、ひとまずここまででアップしておきます。
では、また。