ハゲ予防のためには頭皮をやわらかくしなければなりません。
現代人は目を酷使しすぎて、頭皮もガチガチになってしまっていますから。

 

という話ではなくて、「脳みそ」としての「やわらかい頭」についてです。

 

ネットニュースをチェックされている方はご覧になったかもしれませんが、興味深いネット記事がありました。

 

元内閣官房参与が「死は存在しない」と主張する「科学的な理由」…まったく新しい世界観「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは何か?

 

もし人間も「波動」の一種なら…ある科学者が「死は終わりではない」と考える「最新科学にもとづく根拠」

 

自分は死後の世界があると思っているのでとても興味深く読みました。
死後の世界といっても閻魔様がどうのこうのとかではなく、魂として生き続けると思っています。
もちろん魂として形態があるのか、エネルギーとしてなのかわかりません。
わかりやすく「魂」として捉えているだけです。

 

この方の経歴、あのダボス会議にも出席されたことがあるということで、「死は存在しない」とか「波動」だとかそんな話はとても似つかわしくないですよね。
ですから余計に興味がわきました。

 

悲しいかな、一般人が上記の様な話をするとうさんくさく思われるのですが、「元内閣官房参与」とか肩書があると「じゃあ話を聞いてみようかな」と思ったりする人もいるんですよね。

 

上記記事中にはパラレルワールドだとかそんな言葉も出てきます。
「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この「量子真空」の中に、この宇宙で生じたすべての出来事が「波動情報」として記録されている』とか。

 

読んでいてとても腑に落ちる内容でした。
興味ない人には???な内容ですよね。

 

まぁそれを受け入れられるかどうかは人それぞれだと思います。
でも現代科学で解明できていないことはいっぱいあるのです。

 

ですから「最初っから受け入れない!」という態度ではなく、いろんな仮説も「なるほどね」と一旦受け止める柔軟さが必要だと思うのです。

 

もちろん上記記事がすべて正しいかはわかりません。
でも普段起きている現象を観察していると、腑に落ちるのです。
もちろん違うシステムの可能性もありますけど。

 

しかし西洋医学一辺倒の医者たちは本当に頭が固い人が多いですね。
その分野ではプロなのかもしれないけど(一部分がプロ、といった方が正しい)、頭がガチガチな人が結構います。
代替療法の可能性をちっとも認めない人や、漢方薬すら否定する医師もいますからね。
だったら西洋医学だけで難病や癌を含めすべて治してみろよと言いたいです。
治せたら偉そうにしていてもいいですわ。

 

例えば癌治療に際して、サプリをちょっと飲むのも許さない医師がいます。
「それをやるんだったらもううちでは診ない」と、ただ単に嫌がらせ、いじめっ子としか思えないようなセリフを吐く医師がいます。
患者さんの希望を奪い取って何がおもしろいのでしょう。

 

新薬の治験とかだったら、他のサプリなどを飲んだらダメとかは理解できますよ。
標準治療でもダメダメしか言えないダメ医師は頭がダイヤモンドよりも硬いのでしょう。
それかただの意地悪です。
患者さん全員治せないくせによくもまぁ偉そうにできるなと思います。

 

西洋医学だけで治せない病気はいっぱいあるのだから、医師はいろんな可能性を求めなくてはいけません。

 

話が脱線してしまいました。

 

頭の柔らかさについてです。

 

今回のコロナ騒動、あるいはワクチンに関しても、「頭の柔らかさ」が命運を分けたところもあるんじゃないかなと思うのです。

 

頭が固い人はすんなり国が言うこと、専門家もどきが言うことを疑わずすんなり受け入れてしまったのでしょう。
自分で考えることもせずに。

 

一方で自分でちゃんと考えられる人はワクチン接種を見合わせたり、途中で接種をやめたりしたのではないかと思います。
自分で調べることはもちろん、いろんな人の意見を取り入れたりしたのではないかなと思うのです。

 

当初はほとんどは自分のようななんの肩書もない医師たちが、新型コロナワクチンの危険性を訴えていました。
○○大学教授なんて肩書のある人はごく一部でした。
それでも意見を取り入れる、超頭のやわらかい人たちが多くいたことも事実です。
詐欺などに注意してください。何でも取り入れちゃうからね。というのは冗談です。

 

だいたい開業医がワクチン反対して変態扱いされて、なんのメリットもないですよ。
それなのになぜ反対するのか。
ただのバカなのか?
そうじゃありません。
本当に患者さんの事、健康のことを考えているからです。
「なぜこの医師は反対するのか?」とか、そこまで背景を深く考えるべきです。

 

でもそういうことができない人が圧倒的多数だったのですね。
残念なことに。
自分で考えることができない日本人を多く作ってきてしまったのです。
それは戦後の教育だとか社会のシステムだとかいろんなことが関係してくるので話が長くなりますからここでは割愛します。

 

たぶんワクチンの危険性を伝えようとしても、まったく受け入れられなかった経験は誰にでもあるのではないでしょうか?
死んで欲しくない、健康であって欲しい、その一心でせっかく懇切丁寧にわかりやすく説明しても、ちっとも相手の心に響かない。
「ったく、頭かってーな」
とか心の中で思いませんでしたか?

 

どうやったら硬い頭の人をやわらかくすることができるか?
そんなのわかりません。
わかったら、自分も説得にここまで苦労しません。

 

なにかやっかいな心理的プログラムを行うとか、催眠術をかけるとか、そうでもしないと柔らかくならないのかもしれません。
ある意味現代社会の「洗脳を解く」ということをしなければなりませんからね。
でも洗脳にかからずに、自分で考えられる頭の柔らかい人がいることも事実です。
この違いはなんなのか?
それもわかりません。

 

「気づき」というのは本当その人のタイミングで起こります。
周りがいくら努力したところでちっとも気付かないのに、ある日突然自分で気付くこともあります。
ですから何が正解なのか、どういう方法が正解なのかなんてわかりません。

 

だからこれはもう「運命」なのかなとしか思えません。
「運命」という言葉はとても楽な回答で、諦めに近い回答でもありますね。
残酷な言葉にも感じてしまいます。
でも仕方ありません。

 

冒頭で紹介した記事の中に、坂本龍一さんのエピソードがありましたね。

 

『音楽家の坂本龍一氏は、生前、「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」と述べ、「ふと意識を失っていた間に、曲が生まれていた」とも語っていました。彼のような天才は「ゼロ・ポイント・フィールド」につながり、過去の優れた音楽家の「波動」を受け取る力に長けていたのではないか、という気がします。』

 

このようなエピソードはたまに聞きますね。

 

そして元内閣官房参与の(←わざと書きました)田坂広志氏自身も、
『私も百冊余りの本を書いてきましたが、「書くべきことが降りてきた」と感じることが、しばしばあります。実は、誰でも多かれ少なかれ、そうした経験があるのではないでしょうか。』
と書かれています。

 

自分もブログを書きまくっていますが、「書くべきことが降りてきた」という感覚、わからなくもないです。
前回のブログのウンコのくだりとか。

 

というのは冗談で(冗談でないかもしれないけど)、ブログを書くとき、ある程度今日はこれを書こうとか考えてはいたりします。
でも今このネタ?ということでも、ある読者の方にはタイミング良かったりすることがままあるのです
「このネタ書いてください」というリクエストに応えたわけじゃないですよ。
そういうリクエストには応じていませんし、逆にリクエストされたら意地でも書きません。
あまのじゃくなので。
この件は以前「クレクレ君」にも書きましたけどね。

 

書きたいネタはたくさんあるのですが、実際どれを書くかはほとんどは直前に決めています。
そして書き始めたら止まりません。
だから長くなっちゃいます。
賢い人なら、コンパクトにわかりやすくまとめるのだろうけど、腕の動きに任せています。
腕というか脳というか。

 

まぁ、降りてきているのか、ただ単に脳の中にたまっているのを吐き出しているのかわかりませんけどね。

 

ちなみに「宇宙とつながる」とかいかにも怪しげですけど、上記の坂本龍一さんの話みたいに、そういうエピソードも結構あるのですよね。
しかし現代の地球は電磁波で汚染されているため、宇宙からのエネルギーが届きにくくなっている、という話を聞いたことがあります。
宇宙とつながれない人が増えているのかもしれません。

 

話が戻りますが、やっぱり前回のブログのウンコのくだり、「降りてきた」のかもしれません。
何も考えないでスッと出てきましたから。
いや、頭の中がウンコという言葉だらけで、それが吐き出されただけという可能性も否定できませんかね。

 

その人の頭が柔らかいか柔らかくないか、それもこのコロナ騒動ではっきりしましたね。
現代社会はワナだらけですし、科学だってすべて解明されているわけではありません。
全身麻酔のメカニズムだっていまだに解明されていないのですよ?
国立長寿医療研究センターのHPにもしっかり書かれています。
https://www.ncgg.go.jp/hospital/navi/18.html

 

全身麻酔受けるのが怖くなりますよね。
というか麻酔をかける方は怖くないのだろうか。
今までの慣例で大丈夫だろうから、というなんとなくでやっているようなものです。
メカニズムわかっていないのですから。

 

世の中わからないことだらけなのに、あらゆる可能性を否定して「科学第一」だとか言って威張っている奴ら、ほんと何様なんだろうって思いますよ。

 

これからの時代を生き抜くには「頭のやわらかさ」が絶対に必要です。
やわらかい頭の持ち主は絶対に生き延びるし、人生も豊かになります。

 

最後に。
冒頭で紹介した記事に、禅師の言葉としてこのようなセリフが紹介されていました。

 

『過去は無い、未来も無い、あるのは永遠に続くいまだけだ。いまを生きよ、いまを生き切れ!』

 

どうなるかわからない未来のことを心配しすぎるあまり、「いま」が犠牲になってしまっている人が結構いるのではないでしょうか?
もちろん将来に起こりうることやリスクについて考えることは必要です。
でもそれに捕らわれてしまってはいけません。
心に置いておくことは必要ですが、それよりなにより「いまを生きる」ことがもっと大事です。
先のことを考えることは大事ですし、宵越しの銭は持たないような生き方をしろとはいいませんけど、「いま」を楽しんだもん勝ちですよ。
(禅師はもちろん「楽しんだもん勝ち」という意味で言ったわけではないと思いますが)
楽しむというか、「いま」をもっと大事にして欲しいと思うのです。
「いま」にフォーカスを当てるというか。
これはあくまで個人的な意見です。
人にはいろんな考え方・価値観がありますからね。

 

というか「未来」ってただだ人間の頭の中にあるだけなんですね。
その未来の時点に実際になったら、結局は当人にとってはそこは「いま」なんです。
いま、いま、いま、いま、いま…って感じで「いま」がずっと続いて、その先に昔は「未来」と読んでいた「いま」になるのです。
「未来」というのは「まぼろし~」なんですね。
その人の勝手な妄想・想像です。
逆言えば未来は自分で作れるのです。

 

どうなるかわからない未来を思い悩んで不安になるなんてもったいないと思いませんか?
肉体は「いま」にしか存在できないのだから、心も「いま」に置いておくべきですね。
いまを生きたその先に未来がやってくるのです。
正確には未来という「いま」がやって来るのです。
「いま」を生きるしかないのに、心が「いま」にない人があまりにも多いです。

 

なんだか何書いているんだかわけわからなくなってきました。

 

明日も仕事なので今日はこの辺で。
心が未来にあるじゃんってツッコまないでください。