母のお母さんは母を19歳で身ごもった。まもなくして母のお父さんは戦争に行った。お母さんはまだ子供の体で妊娠していたので、仕事はあまりできなかった。専業農家に嫁いだ。お母さんの乳は豊乳ではなく胸にはりついているような乳だった。戦時中で食べ物もなく、乳の出も悪かった。困ったお母さんは、米汁を片栗粉でといて温めたものを与えたりしていた。それでも栄養がたりない。困り果て、草を籠一杯かり、ヤギの居る農家に持っていき、一瓶分のヤギのミルクと物々交換した。お母さんは母をヤギのミルクを薄めて飲ませ育てた。体も小さく生まれたので、5人兄妹の長女だったけど、育つかわからなかったし、育てるのが一番大変だったと、家を継いだ次男によく話していたという。